コンテスト「花見酒」

b_UTri2Kx5大人は勝手だ。

 

昔からそう思っていたけれど、やっぱり勝手だ。

 

 

 

「あなたも中学生になったのだから、私の言うことも理解できると思うの…」

 

母がそう話を切り出したのは、中学入学式の夜だった。

 

昼間は桜の花満開の樹の下で、

 

ぼくをはさんで右側に母、左側に父で、記念写真を撮ったというのに。

 

超難関校と言われる男子校に入るために、ぼくはがむしゃらに勉強したんだ。

 

AKBのメンバーの名前なんて覚えるヒマもないくらい。

 

模試の成績がいいと、母はとても喜んでくれて、

 

単身赴任の父に、成績表を写メで送っていた。

 

父はといえば、わざわざぼくの携帯に電話してきて

 

「がんばってるな。期待してるぞ」

 

って。なんかこそばゆかったけど、正直嬉しかった。

 

 

そんな感じで受験期を乗り越えてきたから、

 

父と母の間でこんな話になっているなんて思わなかった。

 

父の単身赴任が終わると同時に「離婚」するだなんて・・・。

 

 

父と母からその話を聞いて、ぼくはわかったふうにうなずいた。

 

そして「散歩してくるよ」って家を出た。

 

母は

 

「歩太、変なこと考えないでよ」

 

って言っていたけど、シカト。なんだよ、変なことって。

 

 

 

行くあてもなく、ぼくは多摩川へと向かった。

 

あまり人のいるところには行きたくなかったから。

 

多摩川には桜の並木があって、

 

月明かりに淡く照らされた薄紅の花の帯が、すうっと夜空に溶け込んでいた。

 

昼間は華やいでみえる桜の花も、夜だと少し寂しげ。

 

それはぼくの心のせいなのかもしれない。

 

 

「どうしたんだね・・・」

 

ふいに後方から声をかけられた。

 

ぼくはドキッとして振り返ったのだけど、そこには誰もいない。

 

気のせいかと桜を見上げると、また声がした。ちょっとしゃがれた声だ。

 

「子どもひとりでこんなところに、危ないぞい」

 

空耳かと後ろをよく見ると、にゃあ、とふくよかなネコが一匹。

 

「おまえ、しゃべった?」

 

ネコに話しかけるなんて思いもしなかった。ぼくは気が変になったんだろうか。

 

それならそれでいいか。中学校も辞めてやろうか。ああ、考えることが面倒だ。

 

ネコは、一緒に行くぞといった風に

 

フッと首を振ってぼくを促した。ぼくはついて行ってみようと思った。

 

どうせ行くあてなんてないんだし。

 

 

草むらをかき分け、かき分け、道なき道を進んでいくと、

 

川沿いのなだらかな土手に出た。

 

そこには大きな桜の古木が大きく佇んていた。

 

煌々とした満月が、どっしりとした古木全体を照らし

 

満開の花を川面に映し出していた。

 

川と地上、どっちがどっちが分からないほどに、その風景は鮮やかだった。

 

よく見ると、木の下に人の影が見える。髪の長い女の人だ。

 

「あの、ここで何をしているんですか」

 

ぼくは成り行き上、といった感じて話しかけた。女の人は微笑んでいる。

 

「ああ、彼女は口がきけんのじゃ」

 

横から割って入ったのは、道案内のネコだった。おまえはやっぱり口がきけるのか?

 

ネコは続けた。

 

「彼女の名前はユキ。この世の住人にあらず。しかしこの世に残る代償に、声を失ったのじゃ」

 

「そういうあなたは、ネコ? 妖怪?」

 

「わしは化け猫じゃよ。ユキが一人では寂しかろうと、ボランティアでこの世に残っておる。

 

ちょいと失礼…」

 

化け猫はどこからともなく酒ビンを取り出した。

 

「今日は夜桜がきれいじゃし、ひとつ酒宴でもはじめようか…」

 

「ぼくはお酒のめないから」

 

「何言っとるか、これはこの世の酒ではないからな。未成年者でも大丈夫じゃ」

 

何が大丈夫なんだか、よく分からなかったけど

 

ぼくはユキが笑顔で差し出す杯を受け取ると、グイッと一杯飲みほした。

 

ソーダ水みたいな、少し甘くて懐かしい味がした。

 

水面に移る風景が、ゆらゆらと揺れ始めた。

 

ぼくの頭の中が揺れているんだろうか?

 

 

そこにはお化粧っけのない母の顔があった。幸せそうに笑っている。

 

まだ白髪のない父も一緒に笑っている。

 

どうやらぼくに向かって微笑みかけているようだ。

 

「歩太は、愛されて生まれてきたんだよ」

 

―――声がした。ユキがいた。しゃべれるはずのないユキの声だった。

 

シーンが変わる。

 

キャッチボールをしているのは、ぼくと父。

 

母はベンチに腰かけて、ビデオカメラを構えていた。

 

「お父さんもお母さんも、歩太の成長が嬉しいんだね」

 

と、ユキ。

 

今のぼくは、たくさんの楽しい思い出とともに在るのだと思った。

 

「歩太はまだ子どもだけど、大人の気持ちをわかろうとしない子どもじゃないはずだよ。

 

だって、こんなに愛されてきたんだから。そしてこの愛はずっと続いていくんだから」

 

ユキの声がだんだんと細くなり消えていった。

 

 

ふと我に返ると、多摩川の桜並木の下にいた。

 

手にはしっかりと杯がにぎられている。

 

世の中、不思議なこともあるものだ。

 

それが現実だったのか、現実逃避したいぼくの妄想によるものか

 

そんなのどっちだっていい気がした。

 

「大人の気持ちをわかろうとしない子ども…か」

 

ぼくは杯をギュッと握った。

 

これまでぼくを愛し、これからもそれは続くであろう両親。

 

大人は勝手で、子どもの気持ちなんて考えてくれないのかもしれないけど

 

まあ、それはそれとして。

 

大人の気持ちをわかろうとするってのも悪くない。

 

ぼくの口の中には

 

まだほんの少し、ソーダ水みたいに少し甘くて懐かしい味が残っていた。

nekokan
作家:nekokan
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