そんな俺の視線など無視して彼女に甘える猫。
「そういや忘れていたわ。あなたの名前なんていうの?」
少女に問われて俺はびくっとした。
妖怪に名前を教えていいのか? なにかに悪用でもされたら……
という考えが俺の中でこだまする。
「別になんでもいいだろう!」
そう言えば彼女はふくれた。
「だって~~いつまでもあなたじゃ呼びにくいんだもの」
「う……」
たしかにそりゃそうだ。俺も彼女じゃ呼びにくい。
「じゃあお互い名前を言いあおうぜ? 俺の名前は竹内アキラだ」
「私はツバキよ。よろしくね!」
ツバキはさかずきに入った酒を一気に飲み干す。
「じゃあアキラ君! 記念に一杯どーぞ!」
いつの間にか自分が飲んでいたものとは別のさかずきを持っているツバキ。とくとくととっくりから酒がさかずきに入っていく。
「お前は俺の話を聞いていたのか! 俺は未成年だ!」
「ここの地酒は絶品でね……」
俺を無視して勝手に話を進めていくツバキ。俺の前にさかずきを差し出す。
「なんでも山の奥地で湧き出る天然水を使っているんだって!」
この言葉で俺は重大なことを思い出した。
「そうだ! 俺その天然水をくみに行く途中だったんだ!」
そのために近道のこの場所を通ったわけで。
俺は急いで足を動かした。
「え? 行っちゃうの?」
少し寂しそうな顔をするツバキ。俺の心がちくりと痛む。
あれ? なんで痛いんだろう?
「あ、俺……」
俺の言いたいことが分かるのか、彼女は俺の言葉を片手で制した。
「今度会うときは一緒に花見酒をしましょう?」
にっこり笑う彼女。俺はなぜか安堵の息をはいた。
「今度会う時に俺が成人していたらな?」
そう言うと俺は走りだす。後ろからツバキの“約束よ~~”と言う声が耳に届く。
実を言うともうちょっと一緒にいたかったなと思う。本当に成人したら最初の花見酒は彼女と飲みたいな。そう思ってやまなかった。
「ツバキ……か」
俺は何度も彼女の名前をつぶやく。とその時。
「お前はツバキを知っておるのか?」
背後からしたしわがれた声。俺は振り向いた。そこにいたのは杖をついた老婆。
こんな山の中に老婆?
「婆さん、こんなところでなにをしているんだよ?」
しかしその言葉が悪かったのか老婆のハイキックが俺を直撃した。それも顔面に。
「いってぇ~~」
とりあえず鼻血が出ていないのが救いだ。
老婆はそんな俺にいちゃもんをつけてきた。
「お前じゃな?ツバキの誘いを断ったガキは」
「そりゃ断るだろう! 俺は未成年だ!」
「ツバキにとって今宵の花見酒が最後となるのに?」
俺の頭の中は一瞬真っ白になった。
「え?」
どういうことだ? 最後って?
「婆さんどういうことだよ? 最後って……」
老婆は息をはいた。
「ツバキは山の神にいけにえにとしてささげられるのじゃ。妖怪はな、何百年もそうやって生きてきたのじゃ」
俺はその老婆の言葉に信じられないという感情でいっぱいになった。
「ツバキ……俺は……」
「今宵の宴も全てはツバキのためなのじゃ」
その言葉を聞いた俺はツバキのいる場所まで戻った。
「アキラ君には少し強引だったかしら?」
ツバキはそう言うと猫の頭をなでる。ニャーとうれしそうに猫は鳴いた。
「でも、一度でも恋ができてうれしかったわ」
ツバキは一気にさかずきの中の酒を飲み干す。
「こんな気持ちなのね……恋って」
ツバキは一滴の涙を流す。
「ぅ、つう……」
一滴では済まない涙は溢れてくる。その時、ツバキと自分を呼ぶ声が聞こえた。
「お父様……」
「行こうか……」
「……はい」
ツバキはさかずきをその場に置いて父の後についていった。
しばらくしてそんなことがあったことなど全く知らなかった俺はツバキを捜した。
「ツバキ! ツバキ!」
どこを捜してもいない彼女。俺の瞳にはうすい膜がはった。
「ちくしょ……ちくしょー!」
サヨナラ。愛しいあなた