春の夜の夢

少女と猫

 霧がかる視界の中央に一本の巨木が立っていた。

 とんでもなく巨大で、息をのむほどに優美な桜が咲き乱れていた。夜空が霞んでしまうほどに、桜自体が桃色の霧を放出しているかのように咲き誇っていた。

 一歩一歩、踏みしめるように歩み寄る、暮井誠(くれいまこと)は土の冷たさを足の裏でジワジワ感じていた。

 明かりが灯っている。お花見の季節になると、公園の桜並木には提灯がぶら下がる、それと同じ光景があたり一面に広がっていた。

 巨大な桜の木が近づくに連れて、木の下に誰かがいるのが分かった。

 時々、可愛らしくはしゃぐ高い声が聞こえてくる、それとちょっと痰がからんだような、オッサンみたいな声。

「ちょっと、雉丸ぅ、今日は飲みすぎじゃない?」

「あと一杯だけ、いいだろ、飲みたい気分なんだよぉ」

 オッサンみたいな声が泣きべそをかいた。

 二つの影がやっと明瞭になった。桃色の霧の中に、声を響かせていた正体に誠はビクリと足を止めた。

 オッサンみたいな声を発していたのは、デカいひょうたん型の酒筒を担ぐ三毛猫だった。しかも太り気味のデカい猫だ、人の半分はある。しかも目を凝らすと、その猫には尻尾が二本あった。

「あら、待ち人さんがきたみたいよ」

 手に、緋色の杯を持った少女が、こちらに気づいて呟いた。

 着物だがとんでもなく変わった格好だった。肩が丸見えの振袖、帯の下からは高校制服みたいなスカートが揺れていた。白い肌は触ったら気持ちよさそうで、だが膝小僧には転んでできたような傷跡があった。さらに目を凝らすと、少女の頭には、うさぎの様な耳が生えていた。

 くりんとして、潤んだ琥珀色の瞳と目があった誠は、飛び上がるぐらいに鼓動を高鳴らせた。

「おお、こいつかぁ、おみゃあが呼び寄せた小僧はぁ、名前はなんだぁ」

 デカい猫が酒焼けしたようなガラガラ声で訊いてきた。最初は自分に訊ねられているのが分からなくて、誠は「はい?」と顔をしかめることしかできなかった。

「おみゃさんの名前だっつってんだよ」

 とんでもない口の悪さに、誠は腹立たしくなった。

「ま、誠、です」

「来てくれてありがとう、誠くん。あなたを呼んだのは、頼みがあるの」

 杯を持っていた少女が、銀の長い髪を夜風になびかせながら、物腰やわらかにそう言った。

「頼み? な、何ですか」

 少女と猫がなぜか視線を合わせて、意思を確認するように微笑み合った。

 すると猫は担いでいたひょうたん酒を下して、地面の上に立てた。

「『花見酒』を入手してきてほしいの」

 可愛らしい少女の頼みとならば何でも聞きましょうと、言いたいところだが、誠は眉根に力が入ったまま固まった。

「な、何ですか、それ。酒? ですか?」

「あたりまーじゃ! ここへ行って入手してこい!」

 酔って舌が回っていない猫がぎゃあぎゃあ言いながら、ピンと指をはじくと、誠の視界に見たことある田舎風景が飛び込んできた。誠の家の近所は田んぼだらけだ、 おまけに昔からある農家の屋敷が密集して建っている。

 密集地域の中、一軒の屋敷の敷地内にカメラワークは侵入する。ふわふわ移動する視界は、蔵の中へと入り込んだ。

 蔵の中を映し出すと、カメラワークは井戸の中を映して、映像は消えた。

「井戸の中に『花見酒』がある、取ってきてくれ」

「ちょ、人の家に忍び込めっていうのか、無理です! っていうかあんたたち誰なんだよ」

 訳が分からない、夢だとしても感覚がリアルすぎるし、そもそも夢の中で夢だと気づくこと自体、初めての体験だった。

 少女としゃべる猫の存在感も、夢ではなく本物が目の前にいるようで、全身に鳥肌が立って、気味悪くなってきた。

「つべこべ言うな! 取ってこいと言ったら、取ってこーおおおおい!」

 怒号した猫はひょうたんを持ち上げると、太い体を大きく反って、ひょうたんを投げ飛ばしたのだ。

 叫ぶ間もなく、ひょうたんが顔面に衝突したと同時に、誠はガーンと強い衝撃を後頭部で受けて、パチッと双眸を見開いた。

 

彼女の正体?

「おはよー」と声をかけられ、誠は「おお」とおどけた。

「何驚いてんの、寝てたのか」

 前の席の椅子を引きながら、友人の真也(しんや)が呆れ顔で笑った。

「ちげぇーよ、なんか寝不足」

「やっぱり寝てたんじゃん、ゲームのやりすぎだろ」

 どかりと椅子に座った真也は、体を横に向けて壁にもたれかかった。

 今朝の教室は何やら騒がしい。というのも、黒板に「八時五十分から朝礼、講堂へ」と大々的に書かれていた。

「朝礼かぁ、めんどくせぇ」

 愚痴りながらも真也は椅子から立ち上がった。

 真也が登校してくるのを待っていた誠は、遅れて席から立ち上がった。

「ゲームやってねえよ、っていうか」

 否にリアルな夢見だったんだよ、とはどことなく言いづらかった。

 教室を出ると、ぞろぞろと講堂へ向かう生徒で廊下は混雑していた。左から右へと生徒たちが流れている。

「は? なんだよ、何か言いかけなかった?」

 意外と聞き取っていた真也が訊ねてきた。

 せっかく気にかけてくれたのなら、と誠はそれとなく訊き返した。

「まぁ、お前って、夢に知ってる人とか出てきたことある?」

「夢に? んー、さぁ、あんまり夢なんて覚えてねぇし、なになに夢に好きな子でも登場したの?」

 真也は楽しそうに誠を突いた。早く続きを聞かせろと言わんばかりに、肘で押してくる。

「違うって、違うけど、見たことある顔なんだよな、たぶんうちの学校の生徒」

 突かれた腕を撫でながら、誠はちらちら周りに視線を泳がせた。

「へぇ、それで朝からぼーっとしてたのか、で、誰だか分かったのかよ」

 からかうように真也がまた肘で突いてきた。

「分からないよ、でも見たことある顔なら、よく見る顔だと思うんだよなぁ、でもうちのクラスの子じゃなさそうでさぁ」

「お前、うちのクラス以外の女子としゃべったことないだろ、ってことは他人の空似なんじゃねえの」

 途端に真也の口調はガッカリしたような、低いテンションになった。

「しゃべったことないわけじゃねーし!」

 真也にもっともなことを言われ、悔しさを我慢する誠は強く反発できなかった。

 講堂にすべての学年が集まり、クラスごとに整列し終えると、教員の一人がステージに上がった。

「おはようございます。今日は初めに、陸上の西部大会で入賞した生徒の表彰をしますので、呼ばれた生徒はステージに上がるように」

 淡々と教員が言うと、生徒の名前が呼ばれ始めた。 呼ばれた生徒が次々とステージに上がる。

 すると、隣のクラスの女子が呼ばれて、「はい」と斜め後ろで返事が響いた。誠はちらりと視線を後ろへと向けて、顔を確認した。

 そのまさかだった。その子にウサギ耳はなかったが、髪も自然な焦げ茶だったが、まさに夢の中の杯を持った女の子だった。その事実にも驚いたが、隣のクラスの女子の顔を、一人でも覚えていた自分に驚きだった。

 スラッとした体系のその子は、ほかの生徒と一緒にステージに上がる。

 表彰が始まり、校長が表彰状の文面を読み上げた。

 誠は名前も知らない、夢の中に出てきたそっくりの彼女だけに注目した。顔だけでなく、色白さもそっくりだ。陸上部で活躍しながら、その色白さをキープしているテクは、男子目線からでも感心する。

 ついにその子の番が来た。

「表彰状、あなたは西部大会、五百メートル走において優秀な成績を収めたので是を評します。平成二十四年○月○日、二年一組、畔戸朱香(くろとしゅか)」

『朱香』誠は心の中で彼女の名前を反復した。

 真也には結局、夢の中の女子のそっくりサンが、畔戸朱香だとはまだ話せなかった。

 他人の空似だろといわれても反発できない自分がいたからだ。畔戸朱香という女子の顔なんて、朝礼の時に初めて見たような気がするのに、なぜ、夢の中に出てきた女子と似てると思ったのか、まったくのミステリーだった。

 あまりにもふわふわした、非現実的な現象にしばらく一人で考えたいというのが一番の本音だ。

 自転車での通学だが、片道三十分はかかる。しかも学校はそこそこ町中にあるが、実家に近づくにつれ周りは田んぼだけになる。田んぼか、昔からある農家の屋敷が点在していた。

 誠の家は田んぼだらけのエリアを抜けた、住宅地の中にある。そこにはサラリーマンが多く、十年前ぐらいにできたわりと新しい住宅地だ。

 新緑の穂をつける稲に囲まれながら、自宅に向かってペダルをこいでいると、猫に見せられた映像と同じ風景だということに気が付いて、思わず足を止めた。映像に映っていた屋敷もすぐ近くにあった。

 背の高い生垣に囲まれた純和風の木造建築だ。母屋の手前に蔵らしき建物もある。

 ここだ、と誠は鼓動を高鳴らせた。

 乾いた唇をなめた誠は、自転車のハンドルを通常進路から、脇道進路へと向けた。

初花見酒の入手

 生垣に囲まれた細い道路を少し進めば、目的の家の正面に回り込めた。

 門番として飼っている番犬はいないようだ。まず一安心。

「っていうか、あれは夢だろ」

 ハッと我に返った誠は、これから自分がしようとしていた行動に絶句した。今から自分は、他人の家に不法侵入しようとしていたのだ。夢に出てきた女子と猫に、酒を持ってこいと言われたのを理由に、法を犯すところだった。

 でも、それでも、と悪魔のささやきが誠の脳内で発せられる。

 あの映像通り、敷地の中には夢で見た蔵がちらりと見えた。まったく同じ光景がそこにあった。

 このうちの蔵を見たのは初めてなのに、どうして夢にそっくりな蔵の光景が出てきたんだろうか。デジャブというやつか。

 何にせよ、あの夢が現実感たっぷりで、思い出すだけで鳥肌が立つ。畔戸朱香といい、今起きているデジャブ現象といい、何がどうなっているのか、誠の脳内は今にもクラッシュしてしまいそうだった。

 それでも誠の足は止まらなかった。ほんの少しの好奇心が、不法侵入を許していた。

 自転車から降りて、背の高い生垣の隣にひっそりと止めた。

 表には誰もいない、家から何の物音もしない。入ってくださいと言わんばかりの、静けさだった。

 泥棒というのは、こんなふうにドキドキしながらもスリルを味わうんだろうかと、変な妄想をしてしまった。

 目的の蔵は、敷地内に入って右側にあった。

 家の中に人がいれば、速攻でバレるに違いないのだが、見つかるかもしれない不安より、蔵の中にあると思われる『花見酒』の方が誠は気になっていた。

 くすんだ白い土壁の蔵は、江戸時代から建っていそうなほど古く、小さな窓が上部に付いているだけだった。

 鉄製縁の木製の引き戸の前まで小走りした。絶対、鍵が掛かっているんだろうなと思ったが、重い引き戸は易々空いた。

「マジかよ、これじゃあ泥棒みたいじゃん」

 独り言をつぶやきながらも、誠の足はひっそりと蔵の中へ踏み込んだ。

「確か、井戸があるって」

 ホラーの映画を思い出して、ブルッと全身に鳥肌が立った。

 井戸のありかはすぐに分かった。上部の窓から射す明かりに照らされていた。

 あれか、と井戸を認めた誠は一歩踏み出したと同時に、ドクンと鼓動が飛び跳ねた。何故なら、井戸の縁に「何か」がいたのだ。ゾワゾワっと背筋から首筋にかけて寒気が走った。

 動けなくなった誠は目だけは凝らして、その正体を探った。

 人じゃないんだろうな、と妙なあきらめ感を持った。そして、やはり「何か」は人ではなかった。

 小さな生き物が三体いる。猫どころではない、子供にも見えるが、そんな可愛らしいものではない。

 体は小さいが、全体的に赤く、布切れで下半身を隠している。ウサギみたいな大きな目に、口端から飛び出した牙が人間ではないことを決定づけた。鬼、かもしれない。どうせならしゃべるウサギの方がまだ可愛かったかもしれない。

「おや、人間だね」

「人間だね、珍しいお客さんだ」

 それおかしいでしょ、ここ人んちの蔵の中なんだから、人の出入りなんて当たり前なんじゃないのか。と驚いてはみたが、不可思議だらけで、今更驚くこともないかと冷静にふるまった。

「何か用かね、人間さん」

「あ、あの、井戸の中にある、『花見酒』が欲しいんですけど」

 どぎまぎと誠は答えた。

 仮にも鬼は、三匹揃って「ほぉー」と感心気に唸った。

 ビックリした誠は思わず「おわっ」と声を上げて、おどけるところだった。

「人間がそんなもの欲しがるなんて、さては「誰か」に頼まれたじゃろぉ」

「黙ってるってことは、図星だろぉ」

「ほいほい簡単に頼まれるとは、安くない買い物だぞぉ」

 鬼たちは口々に言いたい放題だ。しかも三匹同時にしゃべるので、誰が何を言ったのか誠にはさっぱり分からなかった。どう答えてよいか分からず、とりあえず「あの!」と声を張った。

「井戸の中にあると聞いたんですが、『花見酒』をください」

 誠は軽く頭を垂れた。本当は視線をそらすのも恐ろしくて、手のひらに汗をびっしょり掻いていた。

「ちゅうか、わしらが見えるってことは、そうとう好かれとるんだねぇ」

「あんたみたいのも、あんまりいないじゃろぉ」

「お前さんに免じて、分けてやってもいいけどねぇ」

 また三匹同時にしゃべったが、最後に言った鬼の言葉は聞き取れた。

「本当ですか、あ、ありがとうございます」

 三匹の鬼は一斉に、井戸に落とされた桶を引き上げ始めた。

 引き上げている間も、三匹の鬼はブツブツ口ケンカに近い言い争いをしていた。

 引き上げてくれた桶には、いっぱいに水が溜まっていた。

「「「ほらあ、これじゃよ」」」

 三匹が声を揃えた。

 恐る恐る近寄った誠は、桶にいっぱいの水を覗き込んだ。ただの水にしか見えないと思ったが、ほんのり酒の香がした。ただの井戸じゃないのか。

 でも、どうやって持って帰ろうかと思った時、一匹の鬼が井戸から離れて、「じゃあ、これに入れていきなぁ」と差し出してきたのは、胴にぽっかり穴が空いた、壺だ。壺の形はしているが、それは縁取られた形が壺なのだ。

 入れ物としての機能はまったく果たさない、と思うのだが。

 不審に鬼の行動を凝視していた誠は、言葉も出なかった。鬼は、薄汚れた陶器の湯飲みで、酒をすくい、その壺らしき物の中へ流し込んだ。

「こぼれ、……ない、どうなって」

 鬼が注いだ酒は、縁しかない壺の中で、まるで壺の立体画像を描くように、流れ込んでいた。しかも、もっと不思議なことに、その壺はどの角度から見ても、平面だった。どこから見ても平面的な壺の縁取りと、液体で作られた立体的な壺の膨らみだった。

「はいよ、持ってきな」と、鬼が差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」

 どこを持ったらよいか分からず、恐々壺の縁を掴むしかなかった。酒がスケルトンの壺の中でぐらぐら揺れた。

「じゃあ、いただいてきます」

 鬼たちの様子を窺いながら、誠はそろそろと静かに蔵の出口へ歩み寄る。

 最後の最後まで穏やかな鬼でいてくれと、心臓はまだ気持ち悪いぐらい強く脈打っていた。

 何かブツブツと三匹の鬼は言い合いをしていたが、そろりと蔵を出た誠は逃げるように自転車のもとへ駆け寄った。

「マ、マジで、取ってきたんだ」

 まだ現実味がない誠は、とりあえず壺を自転車の籠の中に入れて、そおっとペダルをこいだ。

「とりあえず、机の下かな」

 意外と重い壺にハンドルを取られながら、途方にくれた呟きを胸の奥から押し出した誠だった。

合わない視線

「『花見酒』だにゃぁ! お前の人を見極める目ぇは正しかったようだにゃ」

 猫は少女を見上げながら、嬉しそうに例の壺を抱えていた。壺の蓋を開けると、ひょうたんの中へ流し込んだ。

 猫が肉球の手でよく壺を持てるなと、誠は感心しながらその光景を見つめていた。

「空になった壺はどうするの」

 素朴に疑問符が浮かんだ。

「どうするって、こんな貴重な壺、滅多に拝めにゃあよ、コレクションするにゃ」

「へぇー」と半分笑いながら誠は口端を引き攣らせた。誰のおかげで入手できたのか、少しは感謝してほしい。

「あの、ところで名前教えてよ、まだ聞いてない気がする」

 早速、杯で酒を酌み交わし始めていた少女と猫は、同時にぴたりと止まった。

 きゃっきゃとはしゃいでいた少女は、どことなく不安げに眉根を寄せていた。

「えーっと……

「さー、小僧! 次の場所だ!」

 猫がフンと腕を上げると、少女の答えを聞く前に映像が頭の中に再生された。

 どこなのか見当はつく。

「さっさと取ってこいにゃー」

 それが人にものを頼む態度か、とイライラしながらも「わかったよ」、とスネ気味に強く言い返した。

 

 

 それから、何度『花見酒』を取りに行かされたことか。そこで出くわす妖怪? なのか、何なのかよく分からない彼等は、潔くとまではいかないが、皆、『花見酒』をくれた。または、分けてくれた。

 揚げ物をするにパン粉が足りないからと、近隣にパン粉を貰いに行くようなひどく懐かしい感覚を思い出して、これってパシリに使われているだけなんじゃないかと、誠は日に日に不満をつもらせた。

 幼い頃、おそらくまだ十歳にも満たない頃、近所へパン粉を分けてもらいに行ったのは本当の話だ。昔の記憶をよみがえらせ、なぜ、自分は今こんなことをしているんだと、本気で直談判をしたくなってきた。

 学校では、畔戸朱香を盗み見に行くたび、やはり杯を持った着物少女とそっくりだった。

 髪の長さも、色も全然違う。畔戸朱香は黒髪で、ちょうど肩につく長さだ。でも大きな瞳も、笑窪ができる笑顔もまるで一緒だ。素朴感がありながらも、惹きつけられる雰囲気は人一倍持っている、気がする。

「やっぱり、あの子が好きなんだろ、でもさぁ、ちょっとレベル高くない? キレイだし、スタイルもいいし」

 真也が意地悪っぽく肘で突いてきた。

「だから違うって」

「じゃあなんで何回も見に来るんだよ、言い訳してもムダだって」

「夢に出てくる子に似てるんだって、前に言ったじゃん」

「夢に何度も出てくるほど好きなんだ!」

 これ以上何を言っても真也の妄想が覆りそうになかったので、誠は諦めてほっとくことにした。

「もう勝手にしろ」

 そもそも何故、自分に頼むのだろうかと、訊きたいことは山ほどある。なのに、猫に指図されるまま『花見酒』という意味不明の酒を入手し続けている自分は、なんてお人好しなのだろうかと、誠は自分で自分を褒めたくなった。

 教室の中で友達とおしゃべりをしている畔戸朱香は、周りを囲んでいる女子たちより均整が取れている顔立ちだ。顔がいいから付き合いたい、と思わないと言えばウソになるが、やはり外見だけで良し悪しをつけたくない。

 でも恋に発展したら? 要らぬ妄想が悶々湧いてきて、誠はイカンイカンと下唇をかみしめた。

「真也って、何が切っ掛けで人を好きになる?」

「なんだよ急に、切っ掛けかぁ、やっぱり顔?」

 正直な友人に、ある意味、悔しさを感じた。素直に「顔」という真也に、罪悪感がないところも悔しい。

「顔」と言えば、少なからずは「人としてどうなのだろうか?」と、イヤでも葛藤させられる。それが真也の中でなさそうなのも、また羨ましい。

「そりゃあ第一印象ってのはあるだろ、それで何かを切っ掛けに話す時があって、それからも偶然何回か話すようになれば、やっぱり好きになるんじゃないか」

 まともな回答が真面目に返ってきて、「あーそうかぁ」と誠もしみじみ受け取った。

「何回か話すか」

 あの子は猫と酒を飲んでいるばっかりで、まともに話したことはあっただろうかと思い返す。

 頼んでくるのはいつも猫で、いまだに名前さえ聞き出せていない。寧ろ、少女が目を合わせようとしてくれない。誠は必要以上に少女の顔を見つめているが、適度に潤んだ大きな瞳とまともに数秒間、見つめ合ったことがない。

 目があっても直ぐに逸らしてしまう。嫌われているんじゃないかとさえ思う。

 

 

「で、次はどこに取りに行かされるんでしょうか」

 嫌味交じりに誠は猫に訊ねた。

 花が満開の桜の木は、粉雪を散らせるかのごとく、いつまでも花びらを降らせていた。かなり長い間咲いている気がする、なのにいつまでも葉桜にならないのは、やはりここが夢の中なのかもしれないが、否に現実味が強すぎた。

「ほぉ、進んで訊いてきてくれるとは、成長したにゃぁ。次は、ここだ」

 猫がフンと腕を出すと、眼前に映像が再生された。

 川沿いに住宅が立ち並んでいる。商店街らしき先に滝が現れた。滝の近くには観光客用の宿泊施設が点在しているような風景だった。昔、見たことある景色だ。親が連れて行ってくれた場所とよく似ていた。

 夏になると、涼みにくる観光客でにぎわう場所だ。しかも、誠の地元から車で北へ上がった山中の田舎町だったはずだ。

「まさか、今度はあそこまで取りに行けっていうのか!?」

「そうにゃ」

 そうにゃ、じゃねえ! 心の中では言い返せるが、現実には怒鳴れない。

 なぜか少女が見ている手前、カッコ悪いところは見せたくないなどという余計な見栄が、猫への反発を邪魔する。

「わかったよ、行けばいいんだろ、行けば」

  嫌々ながらも素直に返事はした。猫から杯に酒を注がれている少女を横目に、踵を返した誠は、これでまた夢から目が覚めるのか、と胸の奥から息を押し出そうとした時。

「気を付けてね!」

 声が飛んできてクルッと誠は振り返った。

 猫の手を止めてさせて、少女は身を乗り出していた。

 意外な光景に目を惹いた誠は、「う、うん」とシャキッとしない返事をした。そのまま何事もなかったかのように、向き直ろうとした足をピタッと止めた。

「今度は名前教えて」

 声を張ったのと同時に、誠はぼんやり目を覚ました。

 雨戸の隙間から朝日が差し込んでいた。鳥の鳴き声がうるさいぐらい聞こえて、少し静かにしてくれと本気で頼みたくなる。

 でも今朝はそんなちっぽけな苛立ちも吹き飛んでいた。

「一歩前進の夢だったな」

 にやにやが止まらなくて、誠はもう一度布団を被った。

yuuma
作家:yuuma
春の夜の夢
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