背中あわせ

 亮介は携帯電話を取り出した。おそらくサクラソウを調べているのだろう。確か花の一種だったような気がする。

「えーっとね、サクラソウって花の名前だよ。ほら」

 亮介は携帯電話の画面を少女に向ける。そこにはサクラソウの写真が映っている。しわの多い楕円形の緑色の葉に、サクラのような薄い紅色の花弁。私も初めて見る花だった。

「たぶん、違うと思います」

 少女はそう言い放った。

「亮介、帰ろう。もう、時間がないよ。これだけしっかりしてる子ならきっと大丈夫だよ」

「放っておくわけにはいかないだろ?」

「あっ、喧嘩しないでください。私のことは気にしなくてもいいです。そこのマンションに住んでます。親の仕事がそろそろ終わる頃なので、私も帰ります。親切にいろいろありがとうございました」

 少女は頭を下げると、小走りで駆けていった。

「あっ、行っちゃった」

「彩花……帰ろうか」

「……うん」

 不思議な感覚に捉われた。座敷わらしなのかもしれないと心のどこかでそう思っている自分がいた。そして、私はここにまた来てしまうかもしれない。

 

-------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 教室のちょうど真ん中に私の席があり、2つ後ろに亮介がいる。私の目の前にはクラス一の大男が陣取っており、私の姿は教卓からは死角になる。よって、口少ない先生の授業の時は携帯電話を触るのが習慣となっていた。前日のライブの影響から身体が少し痛い。体育会系のクラブには所属してない運動音痴の私にとって、あれだけ飛び跳ねていれば筋肉痛になって当然である。声も少し枯れていた。

 いつものサークルのページを開き、膨大な数のライブやオフ会のコメントを一つ一つ丁寧に読んでいた。亮介には口が裂けても言えないが、今この瞬間が私にとって至福の時間だった。

 

□あ~やん

 皆さん、昨日はお疲れさまでした。これからも宜しく御願いしますね。

 

 そう書き込んだ数分後のことだった。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん 俺は何度でも蘇るwwwお前らみたいなゴキブリとダニを掛け合わせたような下等生物をこの世から排除する使命がある限り。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん Cure Love?さっさと風俗嬢かAV女優になってくれwwwそしたらお世話になるかもしれんwww

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん 管理者が高校生とか笑えるwww援交で稼いだ金でライブか?いい身分だなあwwwww 

 

 教室内にドンという音が響いた。私が机の上を叩いたからだ。一瞬、皆に注目される。黒板と向き合っている社会の教師は気にも留めていない。私は一度、携帯電話を閉じた。深呼吸をする。

なぜ、こんな奴が存在するのだろう?人を馬鹿にするのがそんなにも楽しいのだろうか?人の好きなものそ否定して得があるのだろうか?

 すると次の瞬間、後頭部に何かが触れる。白い小さな塊が机の下に転がっていた。消しゴムの切れ端だった。振り向くと亮介が目を細めていた。口を動きは「もう、やめとめ」と言っている。後ろから私を観察していて、異変に気づいたのだろう。

だが、ここで退いたら、完全に私の負けではないかと思う。

 再び、携帯電話を開いた。

 

□あ~やん

>不死身の紅色堕天使 やってること犯罪だよ!絶対に捕まえて刑務所にぶち込んでやる。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん お前のアソコに俺様のロケットをぶち込んでやるwwwww

 

□あ~やん

>不死身の紅色堕天使 マジでキモい!あんたみたいなクズは死ねばいい!!!

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やん 不死身なんで死にましぇーんwwwww

 

 気づけば机に伏していた。小刻みに身体が震えている。怒りやら悔しさやら入り混じった感情に支配されて動けない。私は何をやっているのだろう。

 

□キキ

>あ~やんさん 荒らしはスルーしましょうよ。放っておけばいつか消えます。

 

□モンゴメリ斉藤

>あ~やんさん 無視すればいいじゃん!熱くならないで。死ねとか言わない方が……。

 

□誠二@1245

>モンゴメリ斉藤さん 激しく同意。

 

 何か私が悪者のような言い方。管理者として四六時中、ページをチェックしながら誰もが楽しめる場所にするため必死になっているのに。何も分かっていない。勝手なことばかり書き込んで。誰のおかげでこのページが運営できていると思っているのか。こういう感謝という言葉を知らない人間も排除すべき。

 私は次々とブロックする。するとすぐに周りが騒ぎ始めた。『独裁者』『結局やってることは荒らしと大して変わらない』『所詮は社会を知らない高校生か』と次々と書き込まれる。結局、はじめから味方なんて、仲間なんて存在していなかったのかもしれない。

 肩に誰かの手がかかった。振り返ると亮介が立っていた。

「泣いているの?……そこまでしてやることなのか?」

 いつの間にか授業が終わっている。チャイムが鳴ったことすら気づいていなかった。昼休み、亮介に連れられて食堂に行った。

「一つ、あやまっておく。彩花がそこまでハマる理由が分からなくてさ。ちょっとアカウント作って覗いてみたんだよ」

「えっ?そうなの」

「ごめん。ネットとか興味なかったけどさ、とんでもない世界だな。サークルだけじゃなくて、ネットニュースのコメントなんか読んでて気分が悪くなる。本当に日本は大丈夫なのか心配になってきたよ」

 何も食べる気がせず、ただ水だけを飲んでいた。若干、吐き気すら覚える。

「自分がこの世界を回している気分になってたかも」

「どんな人間でも管理者になれるんだもんな」

「それと、あの世界に浸っているとなんか人格が変わるというか」

「そう。彩花が『死ね』なんて書き込むとは、思いも寄らなかったよ。実際に口にしたことも、自分の手で紙に書いたこともないだろ?それが簡単にキーボードやボタンを使えば書ける。誰にも見られていないし。感覚が麻痺しているんじゃないか?正直、怖いよ」

「ごめん」

「俺さ、初めて正面を向き合って彩花と話している気がする。何か嬉しい。今まで何か上の空というか、背中合わせで会話している感覚だったんだ」

 亮介の言葉が胸に響く。いつもサークルのことばかり考えていた。受験生なのに自宅では夜中ずっと携帯電話と睨めっこ。まどろんでいた自分。ようやく目が覚めた気がする。

「もう、やめる」

 私は決心した。しかし亮介から出た言葉は意外なものだった。

「まあ、全てを捨てなくてもいいと思う。使いようによってはスゲーツールだからな。とりあえず『Cure girls』のサークルの管理者はやめよう。あとはブログとかやったり、つぶやきとかは続けてもいいじゃん。現にクラスの友達とも繋がっているんだろ?」

 すぐに携帯電話を取り出して、サークルの管理者権限を委譲するコメントを打ち出した。謝罪の言葉も合わせて……。すると、実際にライブで会ったことのある25歳の女性から申し出があり、すぐに承認した。それから、多数の労いや感謝のメッセージを直接もらった。どういう思いが募っているのか本当のところは不明だが、嬉しかったことは事実だ。一つの呪縛から解き放たれた私は、少し晴れたような気持ちになった。亮介にも感謝しなければならない。

 週末、お礼のデートに亮介を誘った。いつもの駅で待ち合わせをする。

「ねぇ、今日はどこに行く?」

「うーん、ちょっと気になるところがあるんだけどな」

 亮介の心は読めていた。

「サクラ伝言掲示板でしょ?」

「おっ、よく分かったな」

 その少女が気になっていた。

 あれから少し調べてみた。昔、伝言板というものが駅の構内によく設置されていたらしい。すぐに連絡が取れないときに伝言板に書き込んでおくのだ。緊急時の一つの伝達手段として使われていたらしい。しかし、携帯電話の普及に伴いその姿を見なくなった。今では交流を目的として街角や若者が集まる場所などに設置されている場合もあるらしい。しかし、治安などの問題があり、撤去を余儀なくされる例も少なくない。確かに『サクラ伝言掲示板』を見れば理解できる。街にとってのプラス要素がゼロに等しい。

 私たちは夕方に訪れた。さすがに2週連続で門限を延長する許可が親から下りない。

少女はいなかった。

あれから一週間が経過しているが『サクラソウって何ですか?』という質問に対する返事は書かれていない。

「サクラとサクラソウって何か関係があるの?」

「いや、ないみたい」

 こうして荒れた伝言掲示板を眺めているとネット世界と何ら変わらないと思った。アナログかデジタルかという違い。ただ、ここに書き込むには直筆が条件で、目撃される可能性もゼロではないという危険性がある。ベンチに腰を下ろす。生ぬるい風が桜木につく緑の葉を揺らしていた。犬を連れた青年がゆっくりと公園内を横切っていく。日曜日だったが人はまばら。予報が猛暑日なので、なかなか外出する気にもなれない。

「こんにちは。また来たんですか?」

 いきなり後ろから声をかけられた。そこにはあの少女がいた。

「ここベランダから丸見えなんです。顔は分からないけど……伝言掲示板に一度、近づいていたから何か返事が書かれたかもと思って来ちゃいました」

「こんにちは」

 亮介が褒めると少女は少し微笑んだ。

「名前教えてよ。私は彩花で、このイケメンは彼氏の亮介」

「……ゆかりです」

「ゆかりちゃんね。ところでサクラソウって分かった?」

「いえ、分かりません。調べる方法もなくて」

「どうしてサクラソウのことが知りたいの?」

 サクラソウが植物ではないというなら、一体なにを意味しているのだろうか。少女の中でこの単語がなぜ気になっているのか。伝言掲示板を使ってまで知りたい理由とはなんだろう。

香城雅哉
作家:香城 雅哉
背中あわせ
0
  • 0円
  • ダウンロード

6 / 13

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント