背中あわせ

人ごみに紛れながら、明かりの多いビル群へと向かう。天気予報では熱帯夜だと言っていたが、まさに蒸し風呂のように暑く、数十メートル足を進めるだけで汗が流れてくる。亮介と手を繋いでいたが汗まみれになったので離してしまった。公園の入り口にさしかかったとき飲料水の自動販売機を見つける。街路灯も少なく、辺りは薄暗いが公園の中央には噴水があり、円形の敷地をぐるっと囲むように木々が整然と並んでいるのが分かる。おそらく桜だろう。

「暑い。何か買おうよ」

 私の提案に亮介は「うん」と短く答える。炭酸飲料を2本手に取ると、近くのベンチに腰を下ろすことにした。座っても涼しくなるわけではないが、歩きながら飲むのは個人的に好きではない。私はバッグに手を伸ばす。こうしている間にもコメントがたくさん寄せられてるかもしれない。

「好きだな」

 亮介は苦笑する。

「ごめん」

「いいよ。これ飲んだら、すぐに電車で帰ろうや。明日からまた学校だし」

 

携帯の液晶ディスプレイは2015と表示されている。うちの門限はとっくに過ぎているが今夜は21時まで特別許可をもらっているので問題はない。サークルのメンバーのライブ打ち上げオフ会に参加したい。ただ、高校3年生なので当然、飲酒禁止だし、夜更けまで盛り上がることは間違いない。と考えれば到底、無理だった。それでも管理者としては何か一言、呟いておかなければならないと思う。

 

あ~やん

 ごめんなさい。今日のオフ会参加できません。管理者としては失格ですが、まだ高校生だし、親も厳しいし……ああ、早く大人になりたい!ということで皆さん、盛り上がってくださいね♪

 

 私はイベント企画欄に書き込んだ。その他のコメントに目をとおす。特に悪質な書き込みは見当たらなかったので、ホッと胸を撫で下ろした。

「彩花、見える?あそこ誰かいない?」

 いきなり亮介は公園内の方を指差す。私は目を細めた。確かに小さな白い影があった。少女だろうか。桜の下にある四角い看板のようなものに手を伸ばしている。

「子供?幽霊じゃないよね。あっ、地面に座ったよ」

「大丈夫かなあ。俺、ちょっと見てくる」

 

 そう言って、立ち上がる亮介に私はついていった

「大丈夫?」

 亮介はしゃがみこむと膝を抱えている少女に声をかけた。

「何が?」

 白いワンピースをまとったその少女は表情を変えずにじっと前を向いている。

大きな黒板だった。上の方にライトアップされた箇所に『サクラ伝言掲示板』と大きく表示されている。その伝言掲示板には縦横無尽に文字が並んでいた。しかし、そこに有益な情報は一つもないように思えた。名指しで「死ね」と書いてあったり、個人の携帯番号が晒されている。『即日融資可』『出会ってすぐにHできる』といったビラも所狭しと貼られている。純真無垢な少女とのコントラスト比が異様に感じた。

「何をしてるの?お名前は?」

 私も目線を合わせて尋ねた。目がぱっちりとしていた。ショートボブな少女は座敷わらしを連想させる

「散歩です。知らない人に名前は教えられません」

「こんな遅くに一人でいたら危ないよ」

「そうですね。あなたたちに誘拐されるかもしれません」

「なっ」

 思わず口が開いたままになった。

「まあまあ。この伝言掲示板に何かあるの?」

 亮介が割って入る。

「まともな返事を待ってるんです」

 少女はスッと立ち上がると伝言掲示板の前まで行って一点を指差す。

 

『サクラソウって何ですか?』

 

白いチョークでそう書かれていた。

その質問に対して一本矢印が延びており、その先には信じられない文字があった。

 

『←うんこ(笑)』

 

この伝言掲示板の雰囲気からすれば、まともに答える人間なんていないことが容易に察することができる。どこかネット世界に通ずるものがあると思い、少し同情に似た気持ちが湧き上がってきた。

「ひどいこと書く人がいるんだね。スルーしちゃえ」

「スルーって何ですか?」

「あっ、無視ってこと」

「ああ、とっくにスルーしてますよ」

 亮介は携帯電話を取り出した。おそらくサクラソウを調べているのだろう。確か花の一種だったような気がする。

「えーっとね、サクラソウって花の名前だよ。ほら」

 亮介は携帯電話の画面を少女に向ける。そこにはサクラソウの写真が映っている。しわの多い楕円形の緑色の葉に、サクラのような薄い紅色の花弁。私も初めて見る花だった。

「たぶん、違うと思います」

 少女はそう言い放った。

「亮介、帰ろう。もう、時間がないよ。これだけしっかりしてる子ならきっと大丈夫だよ」

「放っておくわけにはいかないだろ?」

「あっ、喧嘩しないでください。私のことは気にしなくてもいいです。そこのマンションに住んでます。親の仕事がそろそろ終わる頃なので、私も帰ります。親切にいろいろありがとうございました」

 少女は頭を下げると、小走りで駆けていった。

「あっ、行っちゃった」

「彩花……帰ろうか」

「……うん」

 不思議な感覚に捉われた。座敷わらしなのかもしれないと心のどこかでそう思っている自分がいた。そして、私はここにまた来てしまうかもしれない。

 

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 教室のちょうど真ん中に私の席があり、2つ後ろに亮介がいる。私の目の前にはクラス一の大男が陣取っており、私の姿は教卓からは死角になる。よって、口少ない先生の授業の時は携帯電話を触るのが習慣となっていた。前日のライブの影響から身体が少し痛い。体育会系のクラブには所属してない運動音痴の私にとって、あれだけ飛び跳ねていれば筋肉痛になって当然である。声も少し枯れていた。

 いつものサークルのページを開き、膨大な数のライブやオフ会のコメントを一つ一つ丁寧に読んでいた。亮介には口が裂けても言えないが、今この瞬間が私にとって至福の時間だった。

 

□あ~やん

 皆さん、昨日はお疲れさまでした。これからも宜しく御願いしますね。

 

 そう書き込んだ数分後のことだった。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん 俺は何度でも蘇るwwwお前らみたいなゴキブリとダニを掛け合わせたような下等生物をこの世から排除する使命がある限り。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん Cure Love?さっさと風俗嬢かAV女優になってくれwwwそしたらお世話になるかもしれんwww

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん 管理者が高校生とか笑えるwww援交で稼いだ金でライブか?いい身分だなあwwwww 

 

 教室内にドンという音が響いた。私が机の上を叩いたからだ。一瞬、皆に注目される。黒板と向き合っている社会の教師は気にも留めていない。私は一度、携帯電話を閉じた。深呼吸をする。

なぜ、こんな奴が存在するのだろう?人を馬鹿にするのがそんなにも楽しいのだろうか?人の好きなものそ否定して得があるのだろうか?

 すると次の瞬間、後頭部に何かが触れる。白い小さな塊が机の下に転がっていた。消しゴムの切れ端だった。振り向くと亮介が目を細めていた。口を動きは「もう、やめとめ」と言っている。後ろから私を観察していて、異変に気づいたのだろう。

だが、ここで退いたら、完全に私の負けではないかと思う。

 再び、携帯電話を開いた。

 

□あ~やん

>不死身の紅色堕天使 やってること犯罪だよ!絶対に捕まえて刑務所にぶち込んでやる。

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やんさん お前のアソコに俺様のロケットをぶち込んでやるwwwww

 

□あ~やん

>不死身の紅色堕天使 マジでキモい!あんたみたいなクズは死ねばいい!!!

 

□不死身の紅色堕天使

>あ~やん 不死身なんで死にましぇーんwwwww

 

 気づけば机に伏していた。小刻みに身体が震えている。怒りやら悔しさやら入り混じった感情に支配されて動けない。私は何をやっているのだろう。

 

□キキ

>あ~やんさん 荒らしはスルーしましょうよ。放っておけばいつか消えます。

 

□モンゴメリ斉藤

>あ~やんさん 無視すればいいじゃん!熱くならないで。死ねとか言わない方が……。

 

□誠二@1245

>モンゴメリ斉藤さん 激しく同意。

 

 何か私が悪者のような言い方。管理者として四六時中、ページをチェックしながら誰もが楽しめる場所にするため必死になっているのに。何も分かっていない。勝手なことばかり書き込んで。誰のおかげでこのページが運営できていると思っているのか。こういう感謝という言葉を知らない人間も排除すべき。

 私は次々とブロックする。するとすぐに周りが騒ぎ始めた。『独裁者』『結局やってることは荒らしと大して変わらない』『所詮は社会を知らない高校生か』と次々と書き込まれる。結局、はじめから味方なんて、仲間なんて存在していなかったのかもしれない。

香城雅哉
作家:香城 雅哉
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