「細胞内の核は、なぜ重力に逆らってその位置をキープできているのか?」
(細胞内で核が下方にかたよらず、常に中心付近に位置しているのはなぜか?)
この課題の答え合わせの回の講義に欠席してしまい、
また、そのときは深くは考えなかったので、いまだにナゾのままです。。。
どうしてなんでしょう???
答えをご存知でしたら、ぜひご一報をm(_ _)m
→Fujikenより
私にはその理由が説明できません。
私は、何かの細胞をスペーシシャトルの中の無重力の中で観察したときの
違いを見てみたくなりました。
何かよく知っている方からの情報をお待ちしています。
メールはこちら→ fujiken200605@ares.eonet.ne.jp
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■今日のテーマ 「滋賀の大地ができるまで」 2004/4/27 No.179
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琵琶湖の北部の伊吹山は石灰岩で出来ています。
この石灰岩はフズリナ、サンゴ、ウミユリ、などから出来ていることから、
遠い昔、この地層が出来た頃は、赤道付近の海であったと考えられます。
また、チャートもあることから放散虫などのすむ南の暖かい海で出来たと
考えられます。
この地層が出来たのは今から2億年くらい前の古生代・中生代のころで、
その地層が海洋プレートにのって少しずつ北へ移動してきたのです。
そして、海洋プレートが大陸プレートの下へもぐる7千万年前には、
多くの火山活動があったと考えられています。
その時、たくさんの火砕流が出て中心部分がかんぼつしたカルデラとなり、
火山活動がおさまり、地下に花コウ岩できたのです。
そしてさらに、カルデラの回りが隆起し伊吹山などをつくったのです。
そのため、伊吹山には火砕流が冷えて固まったと考えられる溶結凝灰岩、
別名「湖東流紋岩」が見られます。
(滋賀県立琵琶湖博物館の展示より)
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■ちょっとコメント■
琵琶湖博物館はとても素晴らしい所でした。
博物館自体がとても大きく、中にミニ水族館があり、またちょっと離れた
ところに草津市立水生植物公園「みずの森」もあり、ゆっくりみてたら、
2時間くらいはたってしまいそうな所でした。
「滋賀県にこんな立派なミュージアムがあったんだ~!」と驚きました。
今回のテーマは私も興味があったので、ビデオの前でノート片手に何回も
何回も聞いてメモをしたものです。
もしかして、ビデオの前で必死にメモをとっていた中年のおじさんをみか
けたとしたら、それは Fujiken だったかもしれませんよ!
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■「読者からのメール」より■
前回の「りんご」さんからの質問、「細胞内の核はなぜ、重力にさからって
常に中心付近に位置しているのか」についていろいろな意見が集まりました。
●NCさんより
或る種のバクテリアが磁力で方角を感知するのは、その微細な
スケールの為、重力の影響を受け難いからだという説を聞いた
覚えがあります。手元に資料が無いので細胞の核がどれほど小
さいのか知りませんが、最大のバクテリアは7立方ミクロンだ
そうです。もし、核がそれに近似したスケールでしたら、単純
に「重力の影響を受け難いから下方に偏る事は無い」と言って
は少々強引でしょうか。素人考えでした。
●Mさんより
①核が重くないからじゃないですか。
細胞質は、勿論ただの水ではなく、電解質だし、ATPやら、ADPやら、
酵素やら、酸素やら、いろいろなものが溶けています。相対的に核は、細胞の
なかで普通の重さなんだと思います。
②核の周りの膜の表面積が大きいという考えはどうでしょうか。細胞質と
物質をやりとりするのですから、かなり表面積が大きいのだとおもいます。
表面積が大きければ、水中で抵抗ができますよね。
③細胞質の粘度が高いというのもありですかね。
④細胞は常に振動しているので、端っこに寄ることがなく、真中へんにいると
いう考えもありかも。
私がかんがえついたのは以上ですが、他にも理由がありそうです。おそらく、
たくさんの理由の複合だと思います。
だって、生物は、ひとつの理由で変化してきたわけではないから。
→Fujikenより
たくさんのご意見ありがとうございました。
年度当初で時間がなく、みなさんに返事が出来ないことをお詫びいたします。
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■今日のテーマ 「今の琵琶湖ができるまで」 2004/5/4 No.180
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琵琶湖は、今の三重県上野盆地に誕生した大山田湖にまでさかのぼることが
できます。(約400万年から320万年前)
そのころは、断層の活動によって数キロメートル四方のくぼみがいくつもでき、
盆地が形成されました。
盆地の低いところにしだいに水がたまり、大山田湖が誕生しました。
その後、土砂によって埋めつくされました。
地層からでる化石は、当時の気候が亜熱帯性であったことを示しています。
その後300万年前には大山田湖付近に阿山湖という浅い湖、250万年ころ
には阿山湖の北方に甲賀湖という岸辺に山が迫る深い湖が出来、甲賀湖は隆起
し消滅するまでの約20万年間、古琵琶湖のなかで最も安定した湖でした。
250万年~180万年前、あちこちに湖沼や湿地ができ、これを
「蒲生沼沢地(がもうしょうたくち)」とよび、しばしばおこる洪水によって
一時的に湖ができましたが、しだいに干上がり、メタセコイヤなどの大木が
茂る森林が広がりました。
100~40万年前に堅田(かたた)湖が出来、今の琵琶湖の一部が出来始め
たのでした。
(「湖と人間」滋賀県立琵琶湖博物館発行 参照)
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■ちょっとコメント■
これらの、琵琶湖のおいたちは、地層から出てくる化石などからわかってきた
ことです。さらにボーリング調査といって、地下1000メートルくらいを
掘って出てきた資料(コア)から、地層や化石を調べて分かってきたことです。
前から、「琵琶湖は昔はもっと前には南の方にあって、だんだん北上してきた」