怪夢

空中( 2 / 3 )

 ちょうどプロペラの真正面にピカピカ光っている、大きな鏡のような青空の中から、一台の小さな飛行機があらわれて、ズンズン形を大きくしはじめたのは……。

 私は不思議に思った。あまりに突然の事なので眼の誤りかと思ったが、そう思ううちに向うの黒い影はグングン大きくなって、ハッキリした単葉の姿をあらわして来た。
 私は心構えしながら舵機(だき)をシッカリと握り締めた。
 ……二千五百の高度……。
 ……静かなプロペラのうなり……。
 ……好調子なスパークの霊感……。
 私は驚いた。固唾を呑んで眼をみはった。向うから来るのは私の乗機と一分一厘違わぬ陸上の偵察機である。搭乗者も一人らしい。機のマークや番号はむろん見えないが……。
 ……二千五百の高度……。
 ……静かなプロペラ……。
 ……好調子なスパーク……。
 ……青空……。
 ……太陽……。
 ……層雲の海……。

 私はアット声を立てた。
 私が大きく左舵を取って避けようとすると、同時に向うの機も薄暗い左の横腹を見せつつ大きく迂回して私の真正面に向って来た。
 私の全身に冷汗がニジミ出た。……コンナ馬鹿な事がと思いつつ慌てて機体を右に向けると、向うの機も真似をするかのように右の横腹を眩しく光らせつつ、やはり真正面に向って来る。
 ……鏡面に映ずる影の通りに……。

 私の全神経が強直した。歯の根がカチカチと鳴り出した。
 その途端に私の機体が、軽いエア・ポケツに陥ったらしくユラユラと前に傾いた。……と同時に向うの機もユラユラと前に傾いたが、その一刹那に見えた対機(むこう)のマークは紛れもなく……T11……と読まれたではないか……。
 ……と思う間もなくその両翼を、こっちと同時に立て直して向うの機は、真正面から一直線に衝突して来たではないか……。

空中( 3 / 3 )

 ……私はスイッチを切った。
 ……ベルトを解いた。
 ……座席から飛び出した。
 ……パラシュートを開かないまま百米突ほど落ちて行った。
 私と同じ姿勢で、パラシュートを開かないまま、弾丸のように落下して行く私そっくりの相手の姿……私そっくりの顔を凝視しながら……。

 ……はてしもない青空……。
 ……眩しい太陽……。
 ……黄色く光る層雲の海……。

街路( 1 / 1 )

 大東京の深夜……。
 クラブで遊び疲れたあげく、タッタ一人で首垂れて、トボトボと歩きながら自宅の方へ帰りかけた私はフト顔を上げた。そこいら中がパアット明るくなったので……。
 ……そのトタン……飛び上るようなサイレンの音に、ハッと驚いて飛び退く間もなく、一台の自動車が疾風のように私を追い抜いた。……続いて起る砂ほこり……ガソリンの臭い……4444の番号と、赤いランプが見る見るうちに小さく小さく……。
 ……ハテナ……あの自動車の主は人形じゃなかったかしら……あんまり綺麗過ぎる横顔であった。着物はよくわからなかったが、水の滴るような束髪に結って、真白に白粉をつけて、緑色の光りの下にチンと澄まして……黒水晶のような眼をパッチリと開いて、こころ持ち微笑みを含みながら、運転手と一緒に、一直線の真正面を見詰めて行った。あの反 り身になった澄まし加減がイカニモ人形らしかった……と思う中に又一台あとから自動車が来た。
 私はすぐに振り返ってみた。
 その自動車の主はパナマ帽を冠った紳士であった。赭(あか)ら顔の堂々と肥った、富豪の典型のような……それが両手をチャンと膝に置いて、心持ち反り身になったまま、運転手と一緒に、一直線の真正面をニコニコと凝視しながら、私の前をスーッと通り過ぎた。自動車の番号は11111……。
 ……人形だ人形だ。今の紳士はたしかに人形だった……ハテナ……オカシイゾ……。
 ……と考えているうちに私は又、石のように固くなったまま向うから来かかった自動車の内部を凝視した。
 ……今度は金襴の法衣を着た坊さんであった。若い、品のいい宮様のように鼻筋のとおった人形……それが心持ち眼を伏せて、両手を拝み合わせたままスーッと辷って行った。
 私はブルブルと身震いをした。あたりは森閑とした街路……大空は星で一パイ……。
 ……深夜の東京の怪……私がタッタ一人で見た……。
 私は、私の周囲に迫りつつある、何とも知れない、気味のわるい、巨大な、恐ろしいものを感じた。一刻も早く家に帰るべくスタスタと歩き出した。
 その時に私の前と背後から、二台の自動車が音もなく近付いて来た。
 ……私と……。
 ……私の夢の……。
 ……結婚式当日の姿……。
 私は逃げ出した。クラブの玄関へ駈け込んで、マットの上にぶッ倒れた。
「助けてくれ」

病院( 1 / 3 )

 私はいつの間にか頑丈な鉄の檻の中に入れられている。白い金巾(かなきん)の患者服を着せられて、ガーゼの帯を捲き付けられて、コンクリートの床のまん中に大の字型(なり)に投げ出されている。
 ……精神病院らしい。
 しかし私は驚かなかった。そのまま声も立てずにジット考えた。ここが精神病院だとわかれば、騒いでも無駄だからである。騒げば騒ぐほど非道い目に合う事がわかり切っているからである。おまけに今は深夜である。かなり大きい病院らしいのにコットリとも物音がしない。……騒いではいけない、憤ってはいけない。否々。泣いても笑ってもいけないのだ。いよいよキチガイと思われるばかりだから……。
 私はそろそろとコンクリートの床のまん中に坐り直した。両手を膝の上に並べて静坐をして、眼を半眼に開いて、檻の鉄棒の並んだ根元を凝視した。神経を鎮めるつもりで……。
 果して私の神経はズンズンと鎮静して行った。かなり広い病院の隅から隅までシンカンとなって……。
 その時であった。私が正面している鉄の檻の向うから誰か一人ポツポツと歩いて来た。それは白い診察着を着た若い男らしく、私が坐っているコンクリートの床よりも一尺ばかり高くなっている板張りの廊下を、何か考えているらしい緩やかな歩度でコトリコトリと近付いて来るのであったが、やがて私の檻の前まで来るとピッタリと立ち止まった。そうして両手をポケットに突込んだまま、ジット私を見下しているらしく、爪先を揃えたスリッパ兼用の靴が、私の上瞼の下に並んだまま動かなくなった。
 私はソロソロと顔を上げた。
 その私の視界の中には、まず膝の突んがった縞のズボンと、インキの汚染のついた診察着が這入って来た……が……それはどこかで見た事のある縞ズボンと診察着であった……と思ってチョット眼を閉じて考えたが……間もなく私はハッと気付いた。眼をまん丸く剥き出して、その顔を見上げた。
 それは私が予想した通りの顔であった。……青白く痩せこけて……髪毛をクシャクシャに掻き乱して……無精髪を蓬々 (ぼうぼう)と生やして……憂鬱な黒い瞳を伏せた……受難のキリストじみた……。
 それは私であった……嘗(かつ)てこの病院の医務局で勉強していた私に相違なかった。
 私の胸が一しきりドキドキドキドキと躍り出した。そうして又ドクドクドク……コツコツコツコツと静まって行った。
 診察着の背後の巨大な建物の上を流れ漂う銀河が、思い出したようにギラギラと輝いた。
 ……と……同時に私は、一切の疑問が解決したように思った。私を精神病患者にして、この檻に入れたのは、たしかにこの鉄格子の外に立っている診察着の私であった。この診察着の私は、あまりに自分の脳髄を研究し過ぎた結果、精神に異状を呈して、自分と間違えてこの私を、ここにブチ込んだものに相違なかった。この「診察着の私」さえ居なければ私は、こんなにキチガイ扱いされずとも済む私であったのだ。
 そう気が付くと同時に私は思わずカッとなった。吾を忘れて、鉄檻の外の私の顔を睨み付けながら怒鳴った。
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作家:夢野久作
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