「…まあ、船の上で雪景色を見られるとは、思ってもみなかったわ。めずらしいこと」
「うん。普通はない」
私は温まった毛布をどけて起き上がり、ネグリジェのまま、外を見ようとしたら遮られた。「寒いと風邪をひくからちゃんと服を着ないと」
私はにやにやした。昨晩、彼とともにお互いの裸形をどれだけむさぼりあったかを思い出したので。ただ、その行為は、幸福な営みと言うよりは、何やらカメラを意識した俳優の演技めいていたのだが。私も、彼も。
私がにやにやしたのは、ほんの5、6時間前までは情交という「非日常」にはまりこんでいた相棒(むしろ共犯者と呼びたい)が、私一人をおいてさっさと「日常」の監獄に入ってしまったことに、ちょっと呆れたからだ。
この男性は、いつもそうだ。性への幻想を燃え盛らせているときと、それが収まったときとの態度が、一種唖然とするくらいに違う。二重人格なのか? と思うくらいだ。
だが、そのような人間だからこそ、文筆家になれたのであろう。正確には歴史研究家である。
私は彼の紡ぎ出す「文章」、そして該博な知識の全てに逆らえない魅惑を感じていて、彼の著作を紐解くたびに、鍵穴に、ぴったりと鍵が一致してドアが開くときのような喜びを感じたものだ。やがて直接彼に会う機会が訪れた。
私たちはすぐに意気投合した。一目惚れと言うのはあるのだな、と思うくらいに、お互いが互いを求めた。そこで会う機会をつくろうという企みの結果、彼は私を非常勤の助手という肩書きにした。
もうあれから半年が過ぎようとしている。あのときは夏の終わりで、彼の家では、合歓の木が満開になっている庭に、手入れされていない薔薇が、実に旺盛に葉っぱを茂らせていたのを覚えている。
今は冬のさなかだ。そして酔狂な男女一対は、更に北上して雪と氷に閉ざされた地方に行くべく旅立ったのだ。
洗顔を終えて、普段着に着替えているとき、ゆっくりとであるが部屋が揺れた。今さらながらに船の旅であることを思い出す。
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