■病気になる
あまりにだらだら長くなると、つまらんかもしれないので、後の話は、はしょりますけど、パチプロやりながら、1年くらい暮らしていたのですが、やっぱり、もう、このままじゃダメだなあ、おれって。故郷に帰って、再就職でも頼んでみるかなあ、もうダメだなあ、と明日にでも引き上げるくらいのタイミングの時に、ある、ものすごいメジャーな制作プロダクションから、電話が来て、ボクは、拾われたのです。あの電話が、2、3日遅かったら、ボクの人生は変わっていたなあ。
それから、独立して、赤坂に事務所を作って、広告の企画と制作の仕事をしていました。
まあ、私生活とか、いろいろトラブルもあったけど、社員も数名雇って、ほそぼそながら、楽しく、仕事をしていましたね。
でも、40歳の時、病気になってしまった。
正確に言うと、相当若い頃から、病気は、徐々に進んでいたらしいのです。
それは、慢性の腎不全というもの。
血液をろ過して、きれいにし、老廃物をおしっこにする腎臓という臓器がダメになって、血液がどんどん濁ってしまう、という病気というか、障害ですな。
で、いつから、それが始まったのかわからないほど、それは長年にわたり,徐々に進んでいた。
それが、ついに40歳の時、ひどい身体の不調になって、ボクを襲ってきたのです。
まず、ひどい高血圧。上は190とか200。下は130とか140.血はどろどろで、血栓だらけ。
心臓に過剰な負担がかかり、うまく血液を循環できないものだから、肺に水がたまる。
夜、寝ようと、横になると、肺にたまった水のために激しく咳きこみ、眠れない。
で、睡眠不足になり、昼、突然、眠ってしまう。でも、倒れこんで横になると、また、激しく咳き込み目が覚める。
こんな状態。辛かったなあ。仕事どころじゃあない。
それで、いろいろ治療を受けたりしたけど、最後は、3ヶ月入院して、「透析」で週3回病院に通う、ということになりました。
しかし、こういう病気になると、フリーというか、独立したちっこい会社なんかやってると辛い。
会社は解散しなければならなかった。
で、それから、いろいろごまかしながら、広告の仕事もやっていたのだけれど、他の仕事もそうかもしれませんけど、週に3日も病院通いで身動きが取れない、ということになると、大きいプロジェクトとかは任せてもらえないし、チームの中でも、イニシアティブは当然取れないわけで、どんどん閑職のしょぼい仕事しかなくなるわけです。
差別とかそういうことでもなく、もうそれは、仕方のないことです。
で、ボクは、広告の仕事一本で続けていくことは、もう無理だなあ、と思い、別に、ひとつ商売を始めたのです。それが46歳の時。
これが、メイド喫茶の「おぎメイド」でした。
この店を始めた経緯もいろいろ言い出すときりがないので割愛させていただきますが、この店を始めた一番大きな動機は、「広告屋を引退した時の備えのつもり」だったのです。
もうだめだな。ボクは広告屋としては終わりだな。
透析になってからは、毎日、仕事先などで、そんなことを思い知らされることがありました。
つまり、ボクは、腎不全という病気のために、一回「死んだ」のです。
ボクは、手相占いの専門家ではありませんが、ボクの手相を見ると、確かに、運命線が途中で、切れて、その下から、また、新しい線が始まっています。きっと、ボクは、「一度死んで」、新しい別の人生を歩くような運命なのだろう、と思っています。
自ら望んで、そうなってるわけではなく、そういう宿命、運命。なのでしょうねえ。
そうして、確かに、ボクは「一回死んだ」のです。
■これ以上ないというくらい凹む
メイド喫茶は楽しかった。
年頃の女の子たちと一緒に過ごした3年間は、一生忘れないくらい、ボクにいろいろなことを教えてくれました。
その成果が、「女の子の取扱い説明書」に結実したのです。
しかし、商売をやってるヒトってのは、わかると思うのですが、こういう商売をやってると、ヒトを騙して、金を巻き上げてやろうという輩が、やたら近づいてくるものなのです。
で、ボクは、いろいろな奴に騙されて、金をむしられて、3年で、この店を閉じなければならなくなりました。
49歳の時です。
ボクは、それまでの人生、もう本当に数え切れないくらい、いろいろな失敗をしでかしてきて、
もう本当に「自分はダメなやつだなあ」と思っていたのですが、この「メイド喫茶」の失敗は、本当にコタエました。一生懸命、店のために働いてくれた女の子たちをいっぱい泣かせてしまったし、もう身体もダメだし、金もなくしたし、仕事もない。もはやこれまで。
今、考えてみると、確かに、いろいろ悪い大人たちに騙されたのが、直接の原因でしたが、やっぱり、こういう日銭を稼ぐような店は、オーナーがしっかりして、いつも店に目を光らせて、スキを見せないようにしていなくちゃならない訳で、それが、半病人のヘロヘロ男では、なめられ、よからぬことを考える輩につけ込まれることになります。
全てを病気のせいにするつもりはありません。
それまでの人生を考えても、ボクは、本当に、間違った選択ばかりしてバカばっかりやってきました。そのくせ、もっと、始末が悪いことに、わりと自分に自信があったりして、早く言えば、うぬぼれていたわけで。自分は、いつか成功できる、と心のどこかで、常にそんなふうに思い込んでいるところがあったのです。
でも、最後の望みの「メイド喫茶」をしくじったところで、ボクは、目が覚めたのです。
「オレって、つくづくダメだなあ」ってこと。
で、ボクは、全ての稼業を停止しました。
それからは、ひどい虚無感に襲われました。
なんにもヤル気が起きないのです。(まあ、どうせ、ボクみたいな奴は、やる気を起こしても、ろくなことないけどなあ)
しばらくは寝て過ごし、それに飽きると、昼の公園に行って、ベンチに座り、鳩を見て、一日を過ごしました。よく、コントやドラマで、会社をリストラされたおとうさんが、ぼんやりと公園のベンチに座っているシーンが出てきたりしますけど、ベタにあれですよ。
我ながら、あまりにもベタなんで、笑ってしまったですけどね。
あれ、結構、気分がいいんだ。なんか、憑き物が落ちたみたいでね。
そんなふうで、店を閉めてから、3ヶ月くらい、廃人同様に過ごしました。
■そして、作家になる。
何にもない、何にもない。
やることない。したいこともない。したくないこともない。
ヒトをあてにすることも、ヒトにされることもない。
空白。
そんな空っぽの状態をしばらく過ごしているうちに、なんだか退屈になってきた。
そして、本当に自分がやりたいことってなんだろうか?って考えるようになりました。
少し、元気が戻ったのです。
で、いろいろ考えた。
ボクは、基本、あほうで、無能力な人間だから、多くのヒトを巻き込むようなことは、もうやりたくないと思ったし、やれない。
それから、日常的な通院という時間的なハンデもあります。
あと、この病気というのは、時々というか、頻繁に、ものすごく体調が悪くなる。
体調がそれほど悪くない時でも、ずうっと疲労感があって、聞くところによると、常人の3倍くらい疲れるらしいのです。というか、疲れるな、本当。
なにしろ、血液をろ過する腎臓の働きが失われているので、すぐ血が濁る。
体内の疲労物質も排出されない。
それから、腎臓というのは、この血液を作る役割を持っているので、この機能が失われると、慢性的な貧血状態になる。
普通のヒトは、寝不足とか、無理に長時間仕事をするとか、酒を飲みすぎる、とか、理由があって、疲れたり、体調が悪くなったりするもんですが、ボクの場合は、なんの理由もなく、体調が悪くなり、動けなくなったりする。
そういうことだと、もし仮に、ビジネスなんぞをやっていて、いついつ、この日時に打ち合わせをしましょう、とか、いついつまでに、この仕事を仕上げちゃいましょう、とか言っても、できなくなる危険性が高いわけです。
シフトとか、拘束時間がある時給仕事に就くこともなかなかできない。
つまり、ヒトにあてにされるような仕事は基本できないってことになる。
まあ、おんなじような病気を抱えているヒトでも、ちゃんと仕事しているヒトもいますから、個人的な言い訳に過ぎないかもしれないけど、とにかく、そういう不安を常に抱えているわけです。
そうすっとさあ、本当に、できる仕事ってないんですよ。
まあ、一度死んだ人間だから、仕方ないけどね。
で、会社を興すことも、どこかに雇われることも諦めた。
でも、何かやりたい。
何かをやって生きていたい。
そう思えるくらいまで、回復した。
それと、逆に、前向きな気分も出てきた。
つまり、もう社会に用済みの一度死んだ人間なんだから、さあ、もう稼ぎのために生きるのは辞めて、自分の本当にやりたいことだけやって、生きようじゃないか、という気になった。
それって、結構、いいじゃん。
食えないかもしれないけどさ。
で、諦めて諦めて、いろんなことを諦めて、最後に、残った選択肢は「書くこと」でした。
面白いことが書けるか、とか、作家になれるか、とかじゃない。
ヒトに認められようが認められまいが、基本どうでもいいんですよ。
だって、今のボクができることってそれしかないんだから。
で、メイド喫茶の経験をベースに「女の子の取扱い説明書」を書いて、作家として再スタートしたわけです。
まあ、売れないとさ、出版社とか、それを飯の種にしているヒトには迷惑かけちゃうけどさ。
それはそれとしても、「今のボクにできること」「今のボクがしたいこと」ってそれしかないんだからさ、別にしょうがない訳です。
売れなかったら、ゴメンちゃいです。
ということで、ボクは、今度は、本当に「死ぬ」まで、こうして生きていこうと思ってるわけです。
かっこ悪い人生だけどさ。
ボクは、まあ、結構、満足していますよ。
ボクは、自分の著作に「ヒロN式」とつけてます。
さすがに、小説にはつけてないけど。
で、今までに、「ヒロN式」とつけた本は、
「ヒロN式女の子の取扱い説明書」
「男のダイエット=ヒロN式」
「ヒロN式脱力系シニアライフのすすめ。」
「ヒロN式サバイバル読本『耐災力』」
「ヒロN式女の子の取扱い講座」
「ヒロN式日本昔話」
題名を見れば、わかっていただけるかと思いますが、皆、「実用本」「ハウツー本」みたいな題名になってます。
確かに、ボクは、人生を楽しむためのノウハウを盛り込んでいます。
でもですね、普通のハウツー本とは、ちょっと違うんですよ。
普通、ハウツー本ていうのは、その道の権威とか、エライ先生が、
「君たち、ボクの成功の秘訣はだねえ」とか上から目線で、いろいろありがたいお話を教えてくれるって感じでしょ?
しか~し、ボクなんか、2)を読んでもらえばわかるとおり、人生ダメダメのマダオおじさんだから、「君たちは、さあ」みたいな、上から目線でなんて、とてもとても書けないわけです。
むしろ、「このおっさんみたいにおバカな人間でも、一生懸命考えれば、本の1冊や2冊は、かけるんだぞ」っということを見せたかったわけです。
だから、ボクの書く「ハウツー本」は、「こうすれば、わたしのように成功できるよ」という話ばかりではなく、むしろ、「こういうことをしちゃうと失敗しちゃうよ」という話のほうが多いかもしれない。
成功体験より、失敗体験のほうが多いんだから、このおっさんは。
たとえば、ボクが出したダイエット本「男のダイエット」だって、たしかに、ボクは30キロもやせたので、「こうすればやせるよ」、というコツが書いてあるんだけど、ただ単に「こうすればやせるよ」という話だけじゃなく、「自制心がなくて、だらしなくて、さんざんダイエットに失敗してきたヒトが、どういう失敗をしてしまうのか」っていうことが、いっぱい書いてあります。
この「男のダイエット」という本だけど、裏話をすれば、これは、担当編集者とモメて、出版するのに、ものすごく苦労した本なのです。
なぜなら、この本、ボクは、さっきも書いたとおり、「ダイエットに失敗ばかりしているダメなヒト」向けに、いろいろなエピソードをいっぱい書いて、こんなダメなヒトでも、こうすればダイエットできるよ、という内容に重点を置いて書いたんだけど、これが、担当編集のおっさんには気に入らなかったみたいで、「もっと、まじめに、ダイエットのノウハウを書いてください!」「ふざけた枝葉の部分が多すぎます」みたいなクレームをつけられて、「こんな本は出せん!」とまで言われて、お蔵入りしそうになり、大変な目に遭いました。。
で、このおっさん、ボクを諭そうと思ったのか、自分が、別に編集をやっていた本を出してきたんです。
それは、ある学習塾の先生が書いた本で、題名は忘れちゃったんだけど、「偏差値40の子供を早慶に入れる奇跡の学習法」とかなんとかいう本でした。
つまり、こういう真面目なハウツー本を書きなさいよ。ダイエットに失敗した話、それもネタみたいな話は要らん!というわけです。
でもさ、と、ボクは思うわけです。
確かに、ボクは、自分で30キロのダイエットに成功したけれど、はっきり言って、医者でもなければ、栄養学の先生でもありません。ただの素人です。
そんな人間が、普通に書いたダイエット本なんか、誰が読むというのか?
単に、専門家が、こうしろああしろ、という本なら、ごまんとあります。
で、皆、それが出来ないから、ダイエット本は、売れ続けるわけでしょう。
それが出来ない、皆ダメ人間。という前提で、それでもなんとかできないか、という視点で書いた本こそ、ボクが書くべき本だという思いがあったのですよ。
それが、つまり、ボクのスタンス。「ヒロN式」っていう訳です。
「女の子の取扱い説明書」だって「女の子の取扱い講座」だってそう。
いい歳して、女の子と目もあわせられない、女の子の気持ちがさっぱりわからない、っていうヒト、いっぱいいると思うんですよね。そういうヒトのために、「恋愛指南本」を書きたい。と思った。
だから、この本でも、「失恋した時、女の子にふられた時、どうするか」ということも、かなり力を入れて書いてます。
だって、「こうすれば、目あての女の子は、皆、落ちる」「どんな女の子にもモテモテ」なんて話、ウソに決まってるジャン。女の子と付き合ってれば、ふられることもある。というか、ふられることのほうが多いんですよ。当たり前ジャン。その時、どうするか、どう自分で折り合いをつけるか、ってことは、女の子と恋愛をしていく上で、とっても大切なことなんですよ。
そういうこと、嘘っぱちばっかり書いてある「恋愛ハウツー本」には、書いてないよ。
そういうヒトの目線に立つ。
というか、ダメ人間代表のボクは、そういう目線にしか立てないわけです。
だから、ボクは「ヒロN式」にこだわっているんです。
もし、ボクが、受験ハウツー本を書くなら、こうすれば、「誰もが、こうすれば早慶に入れます」なんて本は書かない。だって、早慶定員が決まってるんだから、絶対「誰もが早慶に入れる」なんてことはないんだから。そうでしょ?皆がそのハウツー本を読んで、そのとおり実行したら、結局、定員オーバーになっちゃって、誰かが落ちる訳だから。こんなのは、ウソだ。
だから、もしボクが、受験生やその親向けにハウツー本を書くなら「子供が志望校に入れなくても、こうすれば、子供は素敵な大人になれて、いい人生が送れるんじゃないかな」っていう「ハウツー本」を書きます。それが「ヒロN式」。
「ダメ人間でも明るい生活。」
「おじさんは出来ない奴の味方だぞ!っと、僕もできないけど」
それがヒロN式って訳です。
どうです?読みたくなったでしょ?ヒロN式。
え?ますます読みたくなくなった?……それは、残念だな。