医学士に加え他のいくつかの学士号を持つピーター・ブラッドは、パイプを燻らせながら、ブリッジウォーターの町のウォーター・小道を見下ろす自室の窓敷居に置かれた箱植えゼラニウムの手入れをしていた。
厳しい非難の目が向かいの窓から彼をにらんだが、気づかぬふりをした。ブラッドの注意は自分の作業と眼下にある小路を流れる群衆に向けられた。その本日二度目の行進はキャッスルフィールドに向かうものであり、そこでは今日の午後早くに、公爵1の軍僧であるファーガソン師2が神徳よりも大逆の鼓舞を多量に含んだ説教を聞かせていた場所であった。
このまとまりのない興奮した集団は、帽子に緑の枝を挿し、手に手に馬鹿げた武器を持った男達を中心に構成されていた。何人かは本物の鳥撃銃を担ぎ、剣を振り回している者もいた。しかし大半は棍棒で武装するか、あるいは大鎌でこしらえた、実際の威力はさて置き、見た目は禍々しい巨大な矛を引きずっていた。織工、醸造者、大工、鍛冶屋、石工、煉瓦職人、靴直し、この即席の兵士達の中には、ありとあらゆる職種の者がいた。ブリッジウォーターはトーントン同様、率先して町中の成年男子を庶子公爵への奉仕に提供しており、武器を持てるだけの若さと壮健さを有しながらも従軍を拒否する者は、誰であれ臆病者か旧教徒野郎3の烙印を押されたのであった。
だが武器を持つ事が可能なだけでなく、その取り扱いも訓練を受けて熟練しており、そして確実に臆病者でもないが旧教徒であるピーター・ブラッドは、その暖かな七月の夜、何事も起こってはいないかのように、無関心にゼラニウムを眺め、パイプを燻らせていた。他にひとつ、彼が行った事があった。彼はその戦争熱に浮かされた熱狂者達の背にホラチウス4の句――この詩人が度の過ぎた熱狂について書いた最初の節――を投げかけた。
「クオ、クオ、スケレスティ・ルイティス?(いずこへ、いずこへ、兇漢どもよ、押し寄せるのか?)5」
恐らくは疑問に思う者もいるだろう。母方の父祖であるサマセットシャーの冒険家達から受け継いだ激烈で恐れ知らずの彼の血が、この叛乱の熱狂的かつ狂信的な興奮の最中にありながら冷たいままでいるのは何故なのか、かつて父親により平穏な学問生活の枷を押しつけられた荒れ狂う魂が、この乱気流の真っ只中で静かなままでいるのは何故なのかと。この自由の旗――バラッド6にも歌われているように、マスグローブ夫人等がモンマスの軍旗に必要な色の為に絹のペチコートを引き裂いて提供し、ミス・ブレイクの女学校の生徒であるトーントンの乙女達が縫い上げた旗――の下に集結したあの男達を、彼がどのように見ていたのかは明白である。そのラテン語の一節、丸石の敷かれた道路を騒々しく進んで行く彼等の背に向けて馬鹿にしたように投げつけた詩句が、彼の内心を如実に物語っていた。彼にとって、あの者達は邪悪な狂乱と共に己の破滅へと突進する愚者であった。
そう、彼等がこの叛乱を起こす際に掲げた大義名分である嫡出の話に騙されるには、彼はあのモンマスという輩と、その生みの母である可愛い褐色の尻軽女7について、あまりに多くを知り過ぎていた。彼はブリッジウォーターの四ツ辻に貼り出された馬鹿馬鹿しい宣言を既に――それがトーントンや他の町で公表された時に――読んでいた。『大君チャールズⅡ世8の崩御により、イングランド、スコットランド、フランス及びアイルランドの王位とそれに属する統治権と領土とが、チャールズⅡ世陛下の御子息にして法の定めし相続人、最も輝かしくも高貴なる御生まれにあらせられるモンマス公爵ジェームズ殿下に正統に継承され移譲された事を公表するものである。』
更なる宣言が公表された時には、彼は笑わずにいられなかった。『ヨーク公ジェームズ9はまず先王を毒殺し、そして直ちに王位を簒奪し、王権を侵害したものである。』
それが真っ赤な嘘に過ぎないのを彼は知っていた。ブラッドは、このジェームズ・スコット――先頃、自分は神の恩寵によりてイングランド国王その他の地位に就いたジェームズⅡ世であると宣言した人物――が約三十六年前に誕生した場所であるネーデルラントで人生の三分の一を過ごし、件の人物の本当の父親に関する当地の噂を聞いていた。嫡子――チャールズ・スチュアートとルーシー・ウォルターの形式に則った秘密結婚による――どころか、余はイングランド王也と宣言したこのモンマス公が、亡き国王の庶子ですらない可能性まであったのだ。破滅と大惨事以外に、このグロテスクな要求の結末に待ち受けるものがあるだろうか?イングランドがこのようなパーキンの類10を鵜呑みにする可能性があるなどと、どうしたら期待できるのだろうか?にもかかわらず、彼の荒唐無稽な要求を支持する為に、少数の紋章持ち11のホイッグ党員に扇動された西国12の馬鹿どもが武装蜂起に誘い込まれたのだ!
「クオ、クオ、スケレスティ・ルイティス?」
彼は笑いと溜息を同時に吐き出した。しかし他者を恃まず己を恃む人間の常としてブラッドも無闇な同情はせぬ性分であった為に、笑いが溜息を凌駕した。彼は極めて独立独歩の人間であった。逆境が彼にそのようにあれと教えたのである。彼と同じ洞察力と知識を有した、彼より情にもろい人物ならば、この情熱的で単純なプロテスタントの羊達が屠殺場――妻や娘や恋人や母親に見送られ、正義、自由、信仰を守る為に出陣するのだという虚妄を土台にして呼び集められたキャッスルフィールドの集合地――に向かう様を見て涙したかもしれない。何故ならば、彼を含むブリッジウォーター市民は全員、数時間前に知らされていたのである。モンマス軍は今夜、敵を強襲するつもりであると。モンマス公は現在セッジムーアで野営しているフェバーシャム13指揮下の国王軍に対し、奇襲攻撃を行うはずであった。ブラッドはフェバーシャム伯の方もその情報は掴んでいるであろうと推測したが、もしこの仮定が間違っていたとしても、少なくともそれは彼の責任ではない。国王軍の指揮官ともあろう者が、自分専門分野に関してそれほどお粗末な手腕であるとは彼には思えなかったのだ。
ブラッドはパイプから灰を落とすと、窓を閉める為に後ろに下がった。その時、道の向かい側に目を向けた彼の視線は、ようやく非難を込めて自分を見つめる視線と交差した。二対の目はピット家の娘達、ハンサムなモンマス公を崇拝する事にかけてはブリッジウォーターで一番の、気だてが優しく情にもろい二人の老嬢達であった。
ブラッドは微笑して頭を下げた。この婦人達とは懇意にしており、その片方は一時期は彼の患者であったからだ。しかし彼の会釈は無視された。その代わりに彼女達は彼に冷たい軽蔑の視線を返した。ブラッドの薄い唇に浮かんでいた微笑はやや広がり、やや陽気さが減じた。彼はその敵意の理由を理解した。それはモンマスがあらゆる年代の女性達を惑わす為にやってきてから、この一週間、日毎につのっていた。察するに、このピット家の姉妹は、若く壮健な男でありながら大義に貢献するであろう軍事教練から距離を置いている彼を蔑んでいるらしい。志ある男達がプロテスタントの擁護者たるモンマス公の許に結集し、彼を正統なる王座に就ける為に血を流そうとしている時に、ブラッドは今宵もいつもの夜と変わりなく、静かにパイプをふかしてゼラニウムの世話をしているのだ。
もしブラッドが辞を低くして婦人達とこの問題について議論をしていたならば、自分は既に放浪と冒険は存分に経験しており、今は自分のおさめた学問によって元来予定されていた堅実な職に従事しているのだと力説していたかもしれない。自分は戦争ではなく医学に従事する人間なのだと。治療する者であって、殺害する者ではないのだと。だが彼にはわかっていた。このような時局にあっては、気骨ある男ならば一人残らず武器をとる義務があると彼女達は言うだろう。この婦人達は、船乗りを職業とし、ある船――その若者にとっては運の悪い事に、この情勢下にブリッジウォーター港に錨を下ろしていた――の航海士を務めている甥のジェレマイアを例に挙げる事だろう。既に彼は正義を守る為に舵棒をマスケット銃に持ち替えていた。しかしブラッドは他者の理解を欲する類の男ではなかった。先に述べたように、彼は己を恃む男であった。
窓を閉じてカーテンを引き、蝋燭に照らされた快適な室内に身を向けると、家政婦のバーロウ夫人がテーブルに夕食を広げていた。彼は夫人に向かって述懐した。
「この界隈の気難しい御婦人達からは、お見限りのようだね、私は」
彼は彷徨の間も決して失われなかったアイルランド訛により金属的な響きが和らげられた、心地よい活気に溢れた声をしていた。それは魅惑的になだめすかすように訴える事も、服従を強いるよう命ずる事も可能にする声であった。実際、この男の個性の少なからぬ部分を占めているのは、その声であった。残りの要素は長身で贅肉のない痩せた体とジプシーのように浅黒い肌、その浅黒い顔の水平な黒い眉の下に位置する、驚くほど青い目だった。高い鼻梁を挟んだきらめく瞳と精悍な鼻は、非凡な洞察力と揺らぐ事無き不遜を示しており、引き締まった唇と調和していた。職業柄、黒衣を着てはいるが、それは現在の職業である堅実な医師よりも、かつて彼がそうであった冒険家特有の伊達者振りからくる優雅さが感じられた。彼のコートは見事なキャムレット織で、銀糸で縁取られていた。手首にはメクリンレースのひだ飾りが、そして喉元にはメクリンレースのクラバットが結ばれていた。彼の豊かで黒い鬘はホワイトホール宮殿に集う人々にも劣らぬほど入念にカールされていた。
彼に会い、その明らかな本性を見て取った者は、半年前に偶然のめぐり合わせによって流されてきた小さな田舎町で、このような男がどれほどの間大人しくしていられるものだろうか、彼がその人生のスタート時に免許を取得した職業をどれほどの間続けていられるだろうかと訝しんだ事だろう。ここに到るまでの、そしてこの後の彼の経歴を知る者には、それが長続きすると信じるのは難しいだろうが、しかしそれでも運命の悪戯さえなければ、彼はこの平穏な暮らしを続け、サマセットシャーという停泊所での医師生活に腰をすえて取り組んでいたかもしれない。その可能性はあった。おそろしく低いものではあるが。
アイルランド人医師の息子である彼には、生母であるサマセットシャーの淑女から探検家のフロビッシャー一族14に連なる血が受け継がれているという事実が、幼い頃から顕著であった冒険好きな性分の理由と言えるかもしれない。この蛮性は、並はずれた平和主義の気質であったアイルランド人の父親を恐れさせた。彼は少年に自分の高潔な職業を継がせようと早くから心に決め、そして飲み込みが早く、知識を求める事に奇妙なほど貪欲であったピーター・ブラッドは、ダブリンのトリニティー・カレッジ15で二十歳の時に医学の学士号を取得する事で父を満足させた。彼の父親が満足のうちに世を去ったのは、それからわずか三ヶ月後であった。母はその数年前に亡くなっていた。かようにしてピーター・ブラッドには数百ポンドの財産が遺され、それを元にして彼は世界を見る為に旅立ち、その期間は己に染みついた彷徨する精神の手綱を解き放ったのである。奇妙なめぐり合わせが、彼をフランスと戦争中のネーデルラント軍に身を投じるように仕向けたが、この選択に到る要因は海に対する彼の偏愛にあった。彼は高名なデ・ロイテル16の下で重用され、その偉大なネーデルラントの提督が落命した地中海における戦闘に参加した。
ナイメーヘンの和約17後の、彼の行動は定かではない。しかし詳しい経緯は不明だが、彼がスペインの刑務所で二年を過ごしたのは確かである。釈放後に彼がフランス軍に仕官してネーデルラントを支配するスペイン軍と戦う事になったのは、この経験が影響しているのかもしれない。三十二歳になった頃、ようやく冒険にも飽き、怪我の不養生によって健康を損なったブラッドは、突然の里心に襲われた。彼はナントからアイルランドに向かう船に乗った。しかし彼の船は荒天によってブリッジウォーター湾に流され、航海の間に病の悪化したブラッドは、そこが母の故国であったという縁もあり、陸に上がる事を決意した。
かくして1685年1月、彼は十一年前にダブリンから旅立った時とほぼ同じ資産を持って、ブリッジウォーターに到着したのである。
自分の健康を急速に回復させたこの土地を気に入り、もはや一生分の冒険を経験したと考えた彼は、そこに居を構えて今まで持ち腐れにしていた医学の専門知識を役立てようと心に決めた。
それが六ヶ月後、セッジムーアの戦いが行なわれる夜までに彼の経験してきた全て、もしくはその主な部分であった。
差し迫った軍事行動など自分とは関わりないものと見なし、また確かに何の関係もないブラッドは、その夜のブリッジウォーターを騒然とさせていた活動にも無関心なまま、騒音に耳をふさいでさっさと床に就いた。彼は十一時前には既にのんきに眠っていた。ご存知のように、その時刻、モンマスは馬を馳せていたのだが、しかしこの叛乱勢力の首魁は正規軍との間に横たわる湿地帯を避けて迂回し、ブリストル街道沿いに移動していた。これもまたご存知のように、叛乱軍の数における優勢――ひょっとすると、正規軍の統制力に対する不利を相殺できていた可能性もあるほどの――と、敵の寝込みを襲う奇襲攻撃から生じる利点は、彼がまごついて好機を逃した事によってフェバーシャム伯と実際に交戦する前に全て失われてしまっていた。
両軍は午前二時頃に激突した。ブラッドは大砲の遠い轟きにも眠りを乱される事はなかった。四時になる前には悲惨な戦場を覆う靄の最後のひと切れを追い散らす太陽が昇り、彼は穏やかな眠りから目覚めた。
彼はベッドにきちんと座り、目をこすって眠気を払い意識をはっきりさせた。強打の音は我が家のドアに響くものであり、そして人声は支離滅裂に彼を呼ぶものだった。彼を叩き起こした騒音の正体はこれであった。誰かが産気づいたのかと考えて、彼は階下に行く為にベッドガウンと室内履きに手を伸ばした。踊り場で彼は、起き抜けの見苦しい姿でひどく取り乱したバーロウ夫人と危なくぶつかりそうになった。ブラッドは安心させるような言葉をかけて雌鶏そこのけに騒ぐ彼女をなだめると、自ら扉を開けた。
そこには早朝の黄金の斜陽を浴びて、息を切らした必死のまなざしの男と湯気を立てた馬がいた。埃と汚れにまみれ、上衣は乱れて千切れた左袖が胴衣からぶら下がるという有様で、その若者は話しだそうとしたものの、なかなか言葉が出てこぬ様子であった。
ブラッドは会釈すると、それが向いに住む老嬢姉妹の甥であり、世間の熱狂によって既にあの叛乱の渦に引き込まれている若き航海士、ジェレマイア・ピットであるのに気づいた。この船乗りの騒々しい到来によって目覚めさせられた街路は活況を呈した。いくつものドアが開き、格子窓は掛け金を外され、不安と好奇心に駆られたいくつもの頭が突き出していた。
「落ち着きたまえ」ブラッドは言った。「無闇に急かさないでくれ」
しかし興奮した面持ちの若者は警告を意に介さなかった。彼は突然に大慌てで、息を切らしながら途切れ途切れに話し始めた。
「ギルドイ卿です」彼はあえぎながら言った。「怪我をしてるんです…川の側のオグルソープの農場に……俺はそこに運んで…それで…貴方を呼びに……来て!来てください!」
彼はブラッドを掴み、そのままベッドガウンとスリッパ姿の医師を力ずくで引きずって行きかねぬ勢いだった。だがブラッドは、そのあまりにも必死な手から身をかわした。
「心配ない、行くよ」と彼は言った。ブラッドは心を痛めていた。彼がこの辺りに居を構えて以来、ギルドイ卿は彼にとって非常に友好的で寛大な後援者だった。そしてブラッドはその恩を返す為にできる限りの事をしたいと心から願っていたが、その機会がこのような形で訪れたのを悲しく思った――何故なら彼は、あの向こう見ずな若い貴族が公爵の密使を務めていた事をよく承知していたのである。「大丈夫だ、行くよ。だが、まずは服を着て身支度をする時間をくれたまえ」
「ぐずぐずしてる暇はないんです」
「落ち着きなさい。すぐに行く。いいかい、慌てずに行動した方が時間を無駄にしないで済むんだ。中に入って……椅子に座りなさい……」彼は居間の扉を開け放った。
ピット青年は招待をはねつけた。
「ここで待ちます。お願いだから急いでください」ブラッドは服を着て診察道具のケースを取ってくる為に引っ込んだ。
ギルドイ卿の傷の正確な状態についての質問は、彼等が患者の許に向かうまで保留された。ブーツをはきながら、彼はバーロウ夫人に自宅でとれないであろう夕食等の、今日の仕事についての指示を与えた。
機嫌の悪い雌鶏のように背後で不平を言うバーロウ夫人を残し、ようやく再び外に出ると、彼は戦況を知る為にあわてて服をひっかけ駆けつけてきた不安げな近在の人々――主に婦人達――に取り囲まれたピットを目にした。彼が提供できるニュースは、朝の空気を乱す悲嘆と共に読まれる類のものであった。
服とブーツを身に着け、診察道具のケースを小脇に抱えて表に出たブラッドは、涙ぐみながらすがりつく二人の叔母に閉口し、押しのけるようにして逃れてきたピットが手綱をとって鞍に登る姿を目にした。
「こっちです、先生」彼は叫んだ。「後ろに乗って」
ブラッドは無駄口をきかずにその言葉に従った。ピットは馬に拍車をかけた。野次馬達は道を開け、かくして、二人乗りの馬の尻上で同乗者のベルトに密着し、ピーター・ブラッドは彼の長い長い漂泊の旅に出発した。ブラッドが単なる叛乱軍の負傷した紳士の使者としか思わなかったこのピット青年、彼こそが、まさしく真の運命の使者だったのである。
モンマス公ジェームズ・スコット(1649年4月9日 - 1685年7月15日)
後の英国王チャールズⅡ世がオランダ亡命時代に愛人ルーシー・ウォルターとの間にもうけた庶子。モンマス公、ドンカスター伯、タインデイル男爵の称号を持つ。プロテスタント。 ⏎
ロバート・ファーガソン(1637年 - 1714年)
スコットランドの長老派教会(プロテスタントの一派)牧師。モンマス公の国王宣言を起草した。チャールズⅡ世およびヨーク公ジェームズ暗殺未遂事件である1683年の「ライハウスの陰謀」にも関与しているとされている。仇名は"the plotter (陰謀家)"。 ⏎
papist 「英国国教会よりも教皇(Pope)に信仰上の忠誠心を寄せる人」という意味で、イングランドにおいてローマン・カトリックを(主に蔑視のニュアンスで)呼ぶ際の言葉。 ⏎
クィントゥス・ホラチウス・フラックス(BC65年 - BC8年)。ローマの詩人。 ⏎
ホラチウス『Epodi 頌歌』第7歌より、自滅しつつあるローマ帝国を嘆いた詩。 ⏎
"The glory of the west, or, The virgins of Taunton-Dean Who ript open their silk-petticoats, to make colours for the late D. of M's army, when he came before the town, a song." ⏎
モンマス公の生母ルーシー・ウォルター(1658年没)を指す。
同時代人の作家ジョン・イヴリンはルーシーを評して"a brown, beautiful, bold but insipid creature(褐色の、美しい、奔放な、しかし退屈な女)"と書き残している。ルーシーは生涯正式な結婚をせずに複数の有力な男性の間を渡り歩いた女性だった。 ⏎
チャールズⅡ世(1630年5月29日 - 1685年2月6日)
清教徒革命により斬首刑に処されたチャールズⅠ世の息子。革命勃発前の1646年に英国を脱出し亡命生活を送る。クロムウェルの死後に復古王政の国王として帰国し、イングランド及びスコットランド、アイルランド王として即位した(在位1660年5月29日 - 1685年2月6日)。十三人の愛妾との間に十四人の庶子をもうけたが、正嫡はいなかった。 ⏎
英国王チャールズⅡ世の弟(1633年10月14日 - 1701年9月16日)、後の英国王ジェームズⅡ世(在位1685年2月6日 - 1688年)。ヨーク公、オールバニ公。カトリック。 ⏎
叔父リチャードⅢ世により王位継承権を剥奪された初代ヨーク公リチャードは1483年に幽閉されて以後は生死不明のまま消息を絶ったが、約十年後に「生きていたヨーク公」を詐称するパーキン・ウォーベックという男が支持者を集め武装蜂起を試みて失敗、1499年に絞首刑に処された。 ⏎
スコットランドのキャンベル氏族の族長であったアーガイル伯爵アーチボルド・キャンベル等の、ヨーク公即位反対派(ホイッグ党)を指すと思われる。 ⏎
West Countryはコーンウォール、デボン、ドーセット、サマセットを中心とした英国南西部を指す。ブリストル、グロスターシャー、ウィルトシャーの一部を含む場合も有。 ⏎
第二代フェバーシャム伯ルイス・ド・デュラス(1641年 - 1709年) ⏎
ヨークシャー地方出身の16世紀の探検家・海賊、サー・マーティン・フロビッシャーの一族を指すと思われる。 ⏎
正式名称はThe College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin(ダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分かたれざる三位一体大学)。1592年創立。英語圏最古の大学のうちの一つ。創設者はイングランド女王エリザベスⅠ世。 ⏎
ミヒール・デ・ロイテル (1607年3月24日 - 1676年4月29日)
第二次、第三次英蘭戦争で活躍したオランダ(ネーデルラント)の名将。1676年にシチリア島のカターニャ沖海戦で戦死。オランダの紙幣に肖像が採用されていた時期もあった。 ⏎
オランダ侵略戦争の講和条約。1679年にネーデルラント連邦共和国のナイメーヘンで締結された。 ⏎
オグルソープの農場はブリッジウォーターから1マイルほど南、川の右岸にあった。蔦に覆われた基部の上方にはテューダー朝時代の灰色の建物がのぞいていた。その建物を目指して、朝の陽光にきらめくパレット川の岸辺にある、理想郷的な平和にまどろむような芳しい香りの果樹園を通り抜けて進むブラッドには、ここが争いと流血によって苦悶する世界の一部であると信じるのは難しかった。
ブリッジウォーターから馬を走らせる途中、二人は橋上で戦場から逃れてきた先陣の兵士達に出会っていた。彼等は疲弊し、希望を失い、多くの者は負傷し、全ての者が恐怖に苛まれ、なけなしの力を振り絞って、あの町が彼等を匿ってくれるであろうというむなしい期待から避難所を求めて急ぎつつも、思うに任せずよろめき歩いていた。疲労と恐れで虚ろになった目が、やつれた顔から馬を進めるブラッドとピットを哀れっぽく見上げ、かすれた声が容赦ない追撃が迫っているぞと警告を叫んだ。しかしピット青年は手綱を緩める事なく、続々と集まってくるセッジムーアの総崩れからの哀れな逃亡者達の脇を通って、埃まみれの道を全速力で馬を走らせた。やがて彼は横道にそれて露を帯びた牧草地を渡る小道に入った。彼等はここですら、竜騎兵の赤いコートを警戒して何度も恐る恐る振り返りながら広い牧草地を散り散りに逃げる敗残者達に出くわした。
しかしピットが馬首を南に向けフェバーシャムの本営に近づくにつれ、敗残の兵士達と戦闘の残骸に妨げられぬようになり、やがて彼等は林檎酒生産の最盛期も間近な、熟した林檎のたわわに実る平和な果樹園の中を走っていた。
ようやく彼等が中庭の踏み石の上に降り立つと、暗い顔をした農場主のベインズが取り乱した様子で彼等を迎え入れた。
広々とした板石舗装の広間で、ブラッドはギルドイ卿――非常に長身で浅黒い若い紳士であり、顎と鼻が目立っていた――が丈高い方立仕切り付きの窓の下で、ベインズ夫人とその器量良しの娘の世話を受けながら籐の寝椅子に横たわる姿を見つけた。彼の頬は鉛色で、目は閉じられ、青ざめた唇からは苦しげな弱々しい呼吸と共にうめき声がもれていた。
ブラッドは彼の患者を見つめ、しばし静かに立っていた。彼はギルドイ卿のような前途有望な若者が、一文の値打ちもない山師の野心を助ける為に身の破滅となるような危険を冒した事を嘆いた。この勇敢な若者に好意と敬意を抱いていたが故に、ブラッドは自らの患者として対面した彼に嘆息したのである。それから彼は跪いて診察にとりかかり、上衣と肌着を引き裂いてずたずたにされた貴人の脇腹をむき出しにすると、水とリンネルと治療に必要な諸々を要求した。
半時間後、竜騎兵連隊の兵士達が農場に踏み込んできた時、彼は未だ治療に集中していた。兵士達の接近の予兆である蹄の音にも遠い叫び声にも全く集中を妨げられなかった。彼は易々と動じるような性格ではなく、また自分の作業に没頭していたという理由もあった。しかし意識を回復したギルドイ卿は少なからぬ不安を見せ、荒事慣れしたジェレミー・ピットは衣装箪笥に隠れた。ベインズは不安げであり、彼の妻と娘は震えていた。ブラッドは彼等を励ました。
「何を恐れる事がある?」彼は言った。「ここはキリスト教徒の国だ、そうだろう?クリスチャンならば、傷ついた者にもそれを匿う者にも、無体な事などするはずがない」この発言でもわかる通り、彼は未だキリスト教徒に対して幻想を抱いていたのである。ブラッドは自分で調合した薬草酒のグラスを持ち、ギルドイ卿の唇にあてがった。「気をお静めなさい、若様。これ以上悪い事など起きませんよ」
そうするうちに、兵士達はやかましい音を立てながら広間の石畳に踏み込んできた――軍用ブーツをはきタンジール1連隊の真紅の軍服をまとった丁度1ダースの騎兵達は、コートの胸に大量の金モールをつけた頑強で浅黒い男に率いられていた。
ベインズが半ば挑むような態度で踏みとどまる一方で、その妻と娘は新たな不安で縮みあがった。長椅子の端にいたブラッドは侵入者達を吟味する為に肩越しに振り返った。
その士官は命令をわめいて部下達に警戒待機させると、手袋をはめた手を剣の柄頭に置き、身動きの度に調子良く拍車を鳴り響かせながら尊大な足取りで進み出た。彼は農場主に向かって自らの権力を誇示した。
「私はホバート大尉、カーク大佐2の竜騎兵連隊所属である。貴様、謀反人を匿っているな?」
ベインズはそのこれ見よがしの威嚇に恐怖した。それは彼の震える声に表れていた。
「わた……私は謀反人を匿ってなどおりません。こちらのお怪我をなさった紳士は…」
「自分の目で確かめる」大尉は長椅子の方へ踏み出すと、灰色の顔をした患者をにらみつけた。
「この有様では、どういう次第で何故傷を負ったかを尋ねるまでもないな。忌々しい謀反人が一匹、それで充分だ」彼は竜騎兵達に命じた。「こいつを連行しろ」
ブラッドは長椅子と騎兵達の間に立ちはだかった。
「人道において貴君に訴える!」怒りを含んだ声で彼は言った。「ここはタンジールではなく、イングランドだ。この紳士は傷を負っている。動かせば命にかかわるのだぞ」
ホバート大尉は面白がった。
「おお、この手の謀反人の命には配慮するとも!充分にな!なあどう思う?我々がこいつを連れまわすのは、こいつの健康には良くないかもしれんな?ウェストンからブリッジウォーターまでの道路沿いには絞首台が置かれていてな、こいつも他の連中と同じに、そのうちの一つの世話になるのがいいかもな。カーク大佐はこいつら非国教徒の馬鹿どもに子々孫々の代まで教訓を与えてくださるだろう」
「君達は裁判もなしに絞首刑を行っているのか?どうやら私は間違っていたようだな。我々が今いるのはタンジールらしい、君の連隊がいた土地だ」
大尉は激した目で彼を見つめた。彼はブラッドの乗馬靴の爪先から鬘の天辺までをじろじろと観察した。その無駄のない俊敏そうな体躯、尊大な落ち着きがうかがえる顔と、身に帯びた威信ある雰囲気に気づき、彼はブラッドが自分と同じく軍人であるのを悟った。大尉の目は細くなった。彼には思い当たる節があった。
「貴様、一体何者だ?」彼は詰問した。
「私の名はブラッドだ――ピーター・ブラッド、お見知り置きを」
「なるほど――なるほどな!そうだ!そういう名前だった。貴様、前にフランスに仕官していたな?」
ブラッドが驚いたとしても顔には出さなかった。
「如何にも」
「覚えているぞ――五年かそこら前、貴様はタンジールにいたな」
「そうだ。私は貴君の連隊長を知っていた」
「だろうな、貴様は旧交を温められるかもしれんぞ」大尉は不快な笑い声を上げた。「何故ここにいた?」
「この怪我をした紳士の為だ。私は彼を治療する為に呼ばれたのだ。私は医者だ」
「医者だと――貴様が?」その嘘――と、彼は思った――に対する嘲りから空威張りは激しくなった。
「メディシナエ・バカラウレウス(ラテン語で『医学士』)」ブラッドは言った。
「フランス語でまくしたてるな、まったく」と、ホバート大尉がさえぎった。「英語で話すんだ!」
ブラッドの微笑は彼を苛立たせた。
「私はブリッジウォーターの町で開業している医者だ」
大尉は冷笑した。「それが庶子公爵の腰巾着の為に、ライム・リージスを通ってここまできたと」
今度はブラッドが冷笑する番であった。「もし声の大きさと知力の高さが比例していれば、親愛なる大尉、君も今頃さぞ重要人物になっていただろうにな」
一瞬、大尉は絶句した。彼の顔は真紅に染まった。
「貴様は首を吊られてしかるべき重罪人かもしれんな」
「なるほど、確かに貴君は如何にも絞首刑執行人らしい容貌と作法を備えているな。だが君がここで私の患者相手に君の天職を実践しようすれば、君は自分の首にロープをかける事になるかもしれんぞ。この方は君が首を吊るせる類の人ではないし、尋問が許される人でもない。この方は裁判を受ける権利があるし、その審理を行う権利があるのは、彼と同じ階級の方々だ」
「彼と、同じ、階級?」
大尉はブラッドが強調した三つの言葉によって、あっけにとられた。
「無論、誰であれ余程の愚か者か野蛮人以外の者ならば、絞首台行きを命じる前に彼の名を尋ねただろうがな。こちらの紳士はギルドイ卿だ」
そして卿自身が、弱々しい声で語り出した。
「私はモンマス公爵と自分の関係を隠すつもりはない。私は己の行動の結果から逃げるつもりはない。しかし、かなうならば、それは裁判を――私と同じ階級の者による審議を受けてからにしたいのだ。この医者が言ったように」
弱々しい声は途絶え、後には沈黙が続いた。大概の空威張り屋と同じく、ホバート大尉も実際は相当な小心者であった。貴族階級である事を告げられて、彼は内心動揺していた。卑屈な成り上がり者である彼は称号に対し畏怖心を抱いていた。そして彼は、自分の連隊長に対しても畏怖心を抱いていた。パーシー・カーク大佐は粗忽者に対して甘くはなかった。
身振りによって彼は部下達を制止した。そうせざるを得なかった。彼の逡巡を見て取ったブラッドは、大尉の考慮すべき事柄を指摘する為に更に付け加えた。
「貴君も知っているだろう、大尉。ギルドイ卿には、もし卿が市井の罪人のような扱いを受けたならば、カーク大佐に物申すようなトーリー党3側の御友人や御親類がある事を。慎重に行動したまえ、大尉。さもなくば私が言ったように、貴君は明朝には自分の首を吊る為の縄をなう事になるぞ」
ホバート大尉は虚勢による侮蔑の言葉を返したが、とはいえその行動は警告に従ったものだった。「長椅子を持ち上げろ」彼は言った。「その上に寝かせたままブリッジウォーターに運ぶんだ。処遇が決定されるまで、拘置所に入れておけ」
「卿は長旅に耐えられないかもしれない」ブラッドが抗議した。「動かしていい容態ではないんだ」
「お生憎様。私の任務は謀反人の捕縛なんだ」彼は身振りで命令の駄目押しをした。二人の部下は長椅子を持ち上げると、それを運び出す為に揺すぶった。
ギルドイ卿はブラッドに向かって弱々しく腕を伸べようとした。「先生」彼は言った。「借りができてしまいましたね。もし私が生き延びる事ができたならば、きっとお返ししましょう」
ブラッドはその答の代りに一礼し、それから兵士達に「慎重に運ぶんだ」と命じた。「卿の御命がかかっているんだぞ」
貴人が運び出された途端、大尉はにわかに勇み立った。彼は農場主を責め立てた。
「他にはどんな呪われた謀反人を隠している?」
「誰もおりません。卿は…」
「さしあたって、卿については対応済みだ。この家の捜索が終わったら、すぐに貴様の相手をしてやる。もし貴様が嘘をついたのなら……」彼は命令をがなり立てる為に言葉を切った。部下の竜騎兵四名が外に出た。しばし後、隣の部屋で彼等が騒々しく動き回る物音が聞こえた。その一方で、大尉はピストルの台じりで羽目板を叩きながら広間を探索していた。
ブラッドは長居した処で益はないと判断した。
「よろしければ、ごきげんようを言って和やかに去りたいのだが」彼は乞うた。
「よろしくないな、ここを離れるなよ」大尉は彼に命じた。
ブラッドは肩をすくめると腰を下ろした。「うんざりさせてくれるね」彼は言った。「君の連隊長もよく我慢できるものだ」
しかし大尉は取り合わなかった。彼は小さな一束の樫の葉がピンで留められた、埃まみれの汚い帽子を拾い上げる為に身を屈めた。それは不運なピットが隠れている洋服箪笥の近くに落ちていた。大尉は意地の悪い微笑を浮かべた。彼の視線は部屋を隈なく見渡した後、小馬鹿にしたようにまずは農場主に、次はその背後に隠れた二人に、そして最後に、内心とは裏腹の無関心な素振りで足を組み座っているブラッドに向けられた。
それから大尉は洋服箪笥の方に踏み出し、そのどっしりしたオーク材の扉の片翼を引き開けた。彼は中で縮こまっていた男の上衣の衿を掴んで、力任せに引きずり出した。
「こいつは一体何者だ?」彼は問うた。「もう一人の貴族か?」
ブラッドの脳裏には、先程この大尉が話した絞首台が描かれていた。そしてその絞首台の一つを飾るのは、ホバート大尉が逃した別の犠牲者の代わりに、裁判なしで絞首刑にされた不運な若い航海士の姿であった。即座に彼はこの若者の爵位のみならず、一族まるごとをでっち上げた。
「左様、おっしゃる通りだ、大尉。こちらはピット子爵、君の連隊長の妹であり、かつてはジェームズ陛下の王妃に侍女として仕えていた尻軽女のモル・カーク4を妻にしている、トーマス・ヴァーノン男爵の従弟にあらせられる」
大尉もその捕虜も同じく息を呑んだ。だが次にピット青年が慎重に平静を装ったのに対し、大尉の方は口汚い罵りを吐いた。ホバートは再び自分の捕虜をじろじろと見つめた。
「奴は嘘をついているな?」彼は若者の肩を掴み、その顔をにらみつけて詰問した。「でたらめに決まっている、神かけて!」
「君がそう信じるのなら」とブラッドは告げた。「彼の首を吊って、その後で我が身に何が起こるか確かめてみるといい」
大尉は医者、次に自分の捕虜に狷介な視線を向けた。「くそっ!」彼は若者を部下達に突き出した。「ブリッジウォーターに連れて行け。こいつを拘束しろ」彼はベインズを指差して言った。「そいつには謀反人を匿えばどういう事になるか教えてやらねばならん」
しばし混乱があった。ベインズは騎兵達の拘束する腕の中でもがき、猛烈に抵抗した。怯えた女達は金切り声を上げ続け、それは更に著しい恐怖によって声を失うまで続いた。大尉は彼等に向かって大股で歩いていった。彼はその少女の両肩を掴んだ。金色の髪をした愛らしい娘は、その優しげな青い瞳で懇願するように哀れっぽく竜騎兵の顔を見上げた。彼は厭らしい視線を返すと、両目をぎらつかせ、片手で少女の顎を掴み、残忍な接吻で彼女を身震いさせた。
「こいつはほんの手付だ」彼は不気味な微笑と共にそう言った。「大人しくしておいで、謀反人ちゃん、この悪党どもの始末をつけるまでな」
それから卒倒寸前に怯えさせた少女を苦悩に苛まれた母親の腕に残し、彼は再び勢いよく身をひるがえした。彼の部下達は二人の虜囚を手早く拘束し、にやにや笑いを浮かべながら命令を待っていた。
「そいつらを連れて行け。ラッパ兵に世話を任せろ」彼の燻ぶった目は再び、怯えた少女の姿に向けられた。「私はしばらく滞在するぞ――ここを探索する為にな。ここには未だ、他の謀反人が隠れているかもしれん」思い出したように彼は付け加えた。「それと、こいつを連れて行け」彼はブラッドを指し示した。「さっさとしろ!」
ブラッドは思案していた。彼は診察道具のケースに入っている、ホバート大尉に対して有益なオペを行なえそうな両刃メスの事を考えていたのである。有益、というのは、人類にとっての益という意味であるが。いずれにせよ、この竜騎兵は見るからに多血性であり、瀉血が必要だ。問題はそのチャンスを如何に作り出すかにあった。隠し金か何かの作り話で大尉の気をそらせないだろうか、時ならぬ小休止で得た限られた時間に彼はそのように考えた。
彼は時間稼ぎに努めた。
「確かに私にとっては渡りに船だな」彼は言った。「ブリッジウォーターは私の行き先なのだから、君達に連行されなくとも、どの道自分で行くはずだった」
「貴様の行き先は拘置所だ」
「ああ、まったく!冗談はやめてくれたまえ!」
「それとも絞首台に直行する方がいいか。遅かれ早かれ世話になるんだしな」
乱暴な腕がブラッドを掴み、そして頼みの綱の両刃メスは手の届かないテーブル上に置かれたケースの中だった。強く敏捷な彼は竜騎兵の腕をねじり上げたが、しかし兵達はすぐさま再び彼を締め上げ押し倒した。彼を地面に押さえつけると兵達はその手首を後ろ手に縛り、乱暴に引っ張りあげて再び無理矢理に立たせた。
「連行しろ」ホバート大尉が命じ、待機していた他の騎兵達に指示を出す為に振り返った。「この家を捜索しろ。屋根裏から地下室まで全てだ」
兵士達は室内に通じるドアから出て行った。ブラッドは竜騎兵の手でピットとベインズの待つ中庭に押し出された。広間の入り口からホバート大尉を振り返り、彼はそのサファイアの瞳を燃え上がらせた。ブラッドの唇は、彼がこの苦境から生き延びる事ができた時にホバートに何をしてやるかを告げる脅し文句で震えた。幸いにも彼は、それを口に出せば自分が生き延びる機会を失うであろう事を思い出した。現在、国王軍は西国を支配しており、西国は勝者によって戦争の最悪の惨禍を受けるべき敵国と見なされていた。この情勢下においては、一介の騎兵も生死を司る神に等しかった。
果樹園の林檎の木の下で、ブラッドと不運な彼の仲間達は、それぞれ騎兵達の鐙革にきつく結ばれた。それから進軍ラッパの鋭い号令により小隊はブリッジウォーターに向けて出発した。彼等が歩み出してから、この地は竜騎兵達に征服された敵国なのだというブラッドの忌まわしい憶説には完全なる確証が与えられた。打ち壊され投げ捨てられた家具の木材が割れる音がし、粗野な男達の怒声と笑声が聞こえた。それは、この謀反人の捜索が、略奪と破壊の口実以上の何ものでもないのだと告げているようであった。最後に全ての物音を圧し、痛切な苦しみによる、かん高い女の叫び声が聞こえた。
ベインズは歩みを止め、もがきつつ、血の気が失せた顔を振り向かせた。その結果、鐙革に結ばれたロープに足をとられた彼は、騎兵が手綱を引き、口汚く悪態を吐いて剣の平で彼を打ちすえる前に、1、2ヤードを成す術もなく引きずられる事となった。
香気に満ちた芳しい七月の朝、たわわに実った林檎の樹の下を足を引きずるようにして歩いていたブラッドに、その思いはもたらされた。人類とは――彼が長い間そう疑っていた通り――神の手になる作品のうち、最も下劣な存在であると。絶滅すべき最悪の種の治療を己の職と定めるのは、愚か者だけであろうと。
もしくはタンジェ。モロッコ北部にある都市。1662年のチャールズⅡ世とポルトガル王女カタリナとの結婚により一時的に英国領になっていたが、アラウィー朝モロッコとの戦いの末に1682年に放棄された。タンジール市を守る駐屯部隊として派遣されていたロイヤル竜騎兵連隊は本国に帰還し、モンマスの乱勃発の際にはその鎮圧にあたった。 ⏎
パーシー・カーク大佐(1646年 - 1691年)
1680年に第二タンジール連隊隊長を務め、1682年にはタンジール連隊隊長兼イングランド領タンジール総督に就任し、現地での専横な振舞いにより悪名を残している。本国に帰還後も、セッジムーアの戦いの残党狩りにおいて千人以上の敗残兵を裁判を待たずに殺害する等の非道を行った。 ⏎
ヨーク公ジェームズ即位賛成派をトーリー党と呼び、現代イギリス政界における保守党の源流となっている。対立勢力であるヨーク公即位反対派のホイッグ党は自由党の源流。 ⏎
モル・カークはパーシー・カーク大佐の妹。ホワイトホール宮殿の侍従でチャールズⅡ世の寝室担当だったジョージ・カークの娘であり、彼女自身もヨーク公ジェームズ妃の侍女を務めていたが、ヨーク公、モンマス公、マルグレイヴ伯爵らと次々と関係を持つ極めて身持ちの悪い女性だった。 ⏎