契約してちょ~だい

 今年の夏は、いつもより暑い気がする。
 エコだとか、節電だとか、そんな理由でクーラーの温度は高め。
 当然、オフィス内は、まだ午前中なのに、サウナ状態。
 背中をツゥゥーっと汗が流れていくのが、ものすごく不愉快。
 誰もがうんざりした気分で、朝礼に参加してる。
「井上さんっ! あなた、今月も契約とれなきゃクビよっ!」
 室内の温度を一気にアップさせるかのような怒りの表情で、部長はホワイドボードを叩いて怒鳴った。
 そこには社員たちの名前が並び、契約件数がグラフとなって表示されている。
 もちろん、あたしの名前もあるんだけど……。
「えええ~っ!?」
 
 あたしは、井上麻衣二十三歳。あだ名はまいまい。
 社会人一年生にして、仕事はこのニコニコ生命保険の外交員をしている。
 いわゆる生保レディーってやつ。
 だけど、入社してから一件も契約を取ることができていない。
 ホワイトボードのあたしの名前の上には、グラフがまったく伸びてない。
 そりゃあ、あたしだって、このままじゃダメって分かってる。
 でも、だからって、クビなんてひどくない!?
「部長、あたし頑張るんで、クビにだけはしないでくださいっ!」
 この不況で、世の中は超就職氷河期。
 何百件と就活して、やっと、やぁ~っと、入社できたこの会社を辞めたくない。
「ふんっ! どんなに頑張ったって、結果次第よっ! クビになりたくなきゃ、契約を取ってくることねっ!」
 冷たく言い放たれてしまった。
「うぅ……そんなぁ~」
 ガックリと項垂れるあたしの肩を、先輩生保レディーが叩いた。
「ねぇ、まいまい、あなた、パンツスーツやめさない」
 彼女は、契約数トップの、やり手外交員。
 上司からの信頼も厚く、後輩からも慕われている。
 そんな先輩からの忠告に、あたしは首をかしげた。
「え? どうしてですか?」
「あなた、色気がないんだから、せめてスカートにして、その若い足を出しなさい」
 い、色気がない……!?
 きっぱりと言い切られてしまって、あたしは更に凹んでしまった。
「あたし、ストッキングとか嫌いだし、それに、パンツの方が動きやすいんですけど……」
「なに言ってるのよ、契約取りたいんでしょ」
「スカートにしたくらいで、契約が取れるんですか?」
「もちろんよ、い~い、まいまい、生命レディーはね、女の武器をフルに活用しなくちゃダメなのよっ! どうして生命保険の外交員が女性なのかを、よ~く考えてみなさいっ!」
「それって、どういう意味ですか?」
「先輩からのアドバイスはここまでよ、後は自分で考えなさい」
 そう言って先輩は、さっさと外回りに出かけてしまった。
 アドバイスするなら、もっと分かるように教えてくれればいいのに……。
 彼女の不親切さにモヤモヤしながら、あたしも鞄を手に会社を出た。
 まだ朝だというのに外の気温は高く、8月の太陽はジリジリとあたしを焼き殺そうとしてるみたい。
 照りつける日差しを避けるために、買ったばかりの日傘を開いてみた。
 大きなリボンの絵が気に入って、衝動買いしちゃったもの。
 けど……ホントは、そんな金銭的余裕なんてない……。
 一人であたしと弟を育ててくれた母は入院中だし、まだ高校生の弟は受験生。
 お金はいくらあっても足りないくらい。
 それでも、この日傘はどうしても欲しかった。
 だって、今年の夏は、いつもより暑い気がするから……。


  ★   ★


 ゴロゴロと鳴りだした雷に、空を見上げると、今にも降り出しそうな黒い雲が広がっていた。
「先輩の嘘つきっ!」
 朝からずっと、企業訪問をしているのに、まだ一件も契約が取れていないのだ。
 アドバイス通りにパンツスーツをやめて、スカートに変えたのに、まったく効果は表れていない。
 毎日はどんどん過ぎていく一方で、あたしの焦りはピークに達しつつあった。
 このままじゃ、ホントにクビになってしまう……。
「一度会社へ戻ろうかな……」
 そう思って、ケータイの時計を見ると、まだ二時を過ぎたところだった。
「怒られるだろうなぁ~」
 こんなに早く帰れば、また怒鳴られるに決まってる。
 どうしよう……?
 グズグズと悩んでいる間に、ポツポツと雨が降り出した。
それは次第に激しさを増し、あたしは慌てて、近くにあったプレハブの軒下へ入った。
 ハンカチで濡れたところを拭きながら、空を窺うが、雨はなかなか止みそうにない。
「がははははははっ!!」
 背後から聞こえてきた大きな笑い声に、ふと振り返ると、ガラス扉の向こうでは、工事現場の作業員らしき男性たちが、酒を片手に宴会をしているようだった。
「呑気でいいなぁ~」
 あたしなんて、朝からずっと歩きっぱなしで足は痛いし、お昼だってまだ食べてない。
 その上、雨に降られるなんて……。
 自分が惨めすぎて、涙が出そうになった。
「契約さえ取れれば……」
 ポツリと呟いて、ハッと気が付いた。
 プレハブの中には、酔っぱらった多くの男性=お客様っ!
 ざっと見て、十人以上いる。
「こ、これって……チャンスっ!?」
 あたしは、居住まいを正すと、笑顔を作って、中に入った。
 室内はムッと噎せ返るほどの熱気と、酒の匂い、そして、男たちの獣のような体臭がした。
 あまりの暑さに、毛穴から汗が噴き出すのが分かる。
 部屋の隅で首を振っている扇風機は、何の役にもたっていないようだ。
 な、なにこれ……?
 回れ右して帰りたくなったが、グッと我慢して、営業スマイルを顔に浮かべた。
「こ、こんにちは~」
 宴会に夢中の作業員たちは、あたしにちっとも気付いてくれない。
 思い切って息を吸い込むと、大きな声で言った。
「こんにちはっ!!」
 すると一瞬、室内が静まりかえった。
 酔った男たちの視線があたしに注がれる。
「なんだぁ~、あんた?」
 年配の男が、少し呂(ろ)律(れつ)の回らなくなった口調で聞いた。
「わ、わたくし、ニコニコ生命の井上麻衣と申します」
 胸に付けたネームプレートを指で示した。
「まいまいって呼んで下さいね」
 そこには、手書きで(ニコニコ生命まいまい❤)と書かれてある。
 お客様と親しくなるには、まずあだ名を覚えてもらう。
 と言うのが、あたしの勤める会社の方針なのだ。
「まいまいぃぃ~、なんじゃそりゃ……がははっ!」
 みんなが一斉に笑い出した。
「あ、あの……」
 あたしは、慌ててヒールを脱ぐと、ずうずうしくも室内に上がり込んだ。
 擦り切れた古い畳は砂だらけで、足の裏がジャリジャリした。
「みなさん、生命保険はどうですか? もう加入はお済ですか?」
 鞄の中からパンフレットを出すと、作業員たちの前に広げた。
 彼らの年齢はバラバラで、二十代と思われる若い男性から、五十代くらいの年配の男性まで。
 共通しているのは、み~んな酔っ払ってるってこと。
「危険なお仕事をされてるみたいですけど、医療保険なんてどうですか? 病気もケガも一生涯保障で、とっても安心ですよっ!」
 何度も練習して、毎日のように繰り返しているセールストーク。
 あたしに染み付いてしまったかのように、スラスラと言葉が流れる。
 だけど……。
「はぁ? 俺らがケガするっていうのかっ!」
 不服そうに顔を歪めて、睨まれてしまった。
 男たちの意外な反応に慌てた。
「ち、違います……万が一に備えてって意味で……、じゃあ、じゃあ、ガン保険なんてどうですか? ガンと診断されたら、一時金をお受け取りになれますよ! それに、入院はもちろん、通院だってちゃぁ~んと保障します」
 にっこり笑ったつもりだけど、ちょっと頬が引きつってしまったかも……。
「それってさ、俺らがガンになるって言ってんの?」
「えええ~っ! 違いますよぉ~、万が一って意味です! それに、日本人の二人に一人はガンになると言われる時代です。備えあれば憂いなしっ!」
 これでどうだっ?
「あんたさぁ、さっきから万が一、万が一って言ってるけど、その万が一のために、高い金取るんだろ、それって詐欺じゃねぇ? 二人に一人がガンになるぅ? それってドコ調べなわけ? それとも脅迫?」
 うそぉ~!
 どう言えば分かってもらえるのぉぉ?
 なんだかしゃべればしゃべるほど、誤解を招いてしまっているような気がする。
 室内の暑さに、眩暈さえ覚え、あたしはジャケットを脱いだ。
 薄い黄色のブラウスは汗で身体に張り付いて気持ちが悪い。
「か、掛け捨てじゃないタイプの保険もちゃんとありますっ! それだと十年ごとに  」
「あぁ~、うるせぇ、うるせぇっ!」
 広げたパンフレットを足で踏みつけながら、年配の男があたしの目の前に立ちふさがった。
 その顔は赤らみ、目が据わっている。
「ねぇちゃんさぁ~、せっかく俺たちが酒飲んでるのに勝手に入ってきて、なんなんだよっ!」
 あたしは身の危険を感じて、息を飲んだ。
「あ、あの……す、すみません……でも、保険の契約が取れなくちゃ、あたし、会社をクビになっちゃうんです……」
 一件でもいい、契約が欲しいっ!
 これはあたしの切実な気持ち……。
「それが俺たちに、なんの関係があるって言うんだよっ!」
 男はあたしに顔を近付けて怒鳴った。
「うっ……」
 彼の吐く息は酒臭くって、思わず嘔吐(えず)いてしまった。
 そんなあたしの顎に手を掛けて、男はまじまじとあたしの顔を見た。
「あんたさぁ、よく見たら、可愛い顔してるじゃねぇか」
「え?」
「そうだなぁ、俺たちを気持ちよくしてくれたら、考えてやってもいいかなぁ~」
 男は意味ありげにニヤリと笑った。
 周囲を見渡すと、他の男たちも同じような顔でニヤニヤと笑いながらあたしを見ている。
 なんだか不穏な空気を感じたけど、ここで逃げ帰ってしまえば、あたしはクビ決定っ!
 病気の母と、受験生の弟、家族は路頭に迷ってしまう。
「ど、どうすれば……いいんですか?」
 気持ちよくって、なにをすればいいんだろう?
「じゃあ、とりあえずコレをしゃぶって貰おうかな……」
 ガチャガチャとベルトを緩めると、男はそれを取り出した。
「う、うそ……」
オリオンブックス
作家:みんと
契約してちょ~だい
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