卑弥呼の首輪

 恩師は間を置きながら、つばを飲み込み、話を続けた。今のところ県警も手がかりがつかめず足踏み状態で暗中模索に陥っている。どうも殺人事件とは関係ないと見たのか警察は単なる家出として捜索し始めているようだ。わしも、足を棒にして聞いて回ったんだよ。クラスメート、部員、近所の人たちにも話を聞いたがまったく気にかかるところがなかったそうだ。肝心の父親の頭がおかしくなってしまっているので、パソコン部で彼氏の直人君からもいろいろと話を聞いたのだが特に変わった様子はなかったそうだ。

 

 照子は社会の先生になりたいと言っていた。活発で明るく向学心もあり受験勉強にも力を入れていた。父親も教育大にやって先生にしてやりたいと三者面談のときに話していたそうだ。直人君は照子と古墳巡りをしては邪馬台国の謎について議論したそうだ。また、直人君が言うには小富士カントリークラブの黒猫は「卑弥呼」と言って照子が飼っていた猫で、照子が失踪してから13番ホールに現れるようになったそうだ。今のところ手がかりらしきものはなく、照子が生きて戻ってくるのを期待する以外ないと恩師は話を締めくくった。

 

 拓也たちは聞き終わるとお互いの顔を見合った。誰一人言葉が出なかった。拓也は「照子さんが元気に帰ってくるといいですね」と言って悲痛な顔をしている恩師をねぎらった。4人は雷山にある桂会長の別荘に到着すると、早速小富士カントリークラブの黒猫に会いに行くためゴルフ場の予約を取った。

幸運の黒猫

 

拓也たちは二日前恩師から聞いた黒猫に会いに小富士カントリークラブにやってきた。そして、13番ホールに到着すると運良く黒猫が現れた。さやか、アンナ、コロンダ君、拓也たちはうわさの黒猫をティーグランドからじっと見つめていた。昨年オープンしたばかりの志摩にある小富士カントリークラブは、一年も経たないうちに全国的に有名になった。と言うのも、13番の125ヤードショートホールは黒猫が現れるとホールインワンが出るのである。

 

 最初に打つアンナはオレンジのボールをティーアップすると軽い打ち下ろしをイメージして9番アイアンで軽くスイングした。「ナイスショット!」キャディーは歓声を上げた。バックスピンがかかったボールはピン左上2ヤード地点に落下した。理想的なポジションに落ちたオレンジのボールはゆっくりとピンに向かって転がりバーディーチャンスにつけた。

 

  アンナはバンザイして喜び、さやかと拓也は大きな拍手をした。だが、コロンダ君はうらやましそうな顔でグリーンを見下ろしていた。アンナと一打差のコロンダ君も青のボールをティーアップすると9番アイアンでゆっくりとスイングした。ボールはピン右上約3ヤードに落下した。寝そべっていた黒猫の顔の前に落下したのだが、まったく驚く様子もなく黒猫は転がる青いボールを見つめていた。

二人のシングルの後にへたれの拓也が震えながら黄色のボールを高くティーアップした。内股の拓也は7番アイアンでゆっくりとバックスイングをすると歯を食いしばって思いっきりフルスイングした。全員グリーンに目を向けたがボールはどこにも見当たらなかった。ティーから落ちたボールは拓也の前で笑っていた。「ティーアップが高すぎたのかな?」拓也はもう一度低くティーアップすると大きく深呼吸して軽くスイングした。トップ気味のボールはグリーン奥のバンカーに埋もれた。

 

 ミラクルショット連発のさやかは鼻歌を歌いながらピンクのボールをティーアップするとジュニア用の短い7番アイアンで盆踊りでも踊るかのようにスイングした。ピンクのボールは突然吹いた風に運ばれてピン右下約3ヤードに落ちた。黒猫はグリーンに落ちたピンクのボールをぼんやりと眺めていたがゆっくりと起き上がるとボールに向かって歩き出した。みんなは黒猫がボールをくわえていくのではないかと目を凝らして窺っていると、ボールの前に来た黒猫は左手でボールをちょいと転がした。ボールはまっすぐ転がると見事にカップインした。

 

 「キャ~!ホールインワンだ!」さやかはジャンプして歓声を上げた。そんな馬鹿な、拓也はキャディーの顔をうかがってみると「ホールインワンです、おめでとうございます」キャディーは考えられないことを叫んだ。この珍事はいつの間にか公認されるようになっていた。「幸運の黒猫」は小富士カントリークラブの女神になっていたのである。黒猫は3ヶ月前から突然現れ、なぜかこのようないたずらを始めたのである。

 

 4人が軽い下り坂をトボトボと歩きグリーンに到着するとキャディーは拓也にサンドウェッジを手渡した。しかめっ面の拓也はクラブを担いで地獄のバンカーに飛び込んだ。「どうか三回で脱出できますように、神様」と心の底でつぶやくと思いっきりサンドウェッジをボールめがけてぶち込んだ。砂は大きく舞い上がり、目を閉じた拓也は頭から砂をかぶり「ワ~」と悲鳴をあげた。

 

目を開けると砂をかぶったボールは目の前で沈黙していた。大きなため息をつくと目を吊り上げて、やけくそでもう一度クラブをぶち込んだ。奇跡的にバンカーから飛び出したボールはグリーンに落下すると、勢いよく転がりうつぶせに寝ていた黒猫のお腹に激突して止まった。黒猫は一瞬目を吊り上げて拓也を睨んだが立ち上がることもなく再び目を閉じた。

 

コロンダ君は黒猫の顔の前を転がしてツーパットでパーとした。拓也は黒猫の横にある黄色いボールをパットしたいのだが、黒猫がいたのではパターを振ることができない。他の3人も静かに黒猫を見ていた。意を決した拓也は黒猫にお願いした。「黒猫さん、少し前に行ってくれませんか、お願いです」拓也は両手を合わせて頭を下げた。だが、黒猫は動こうとはしなかった。

春日信彦
作家:春日信彦
卑弥呼の首輪
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