【GI連動短編小説】子どもの日
(デートの待ち合わせが霊園なんて人生で初だわ)
2本目の煙草を揉み消したところで、彼が境内に現れた。上着を脱いでワイシャツの腕をまくり、額に汗を浮かべている。
「すいません、待たせちゃって」
「いいわよ。休日出勤ご苦労さま。うまくいった?」
「まあ今日は顔合わせみたいなもんでしたから。楽勝ですよ」
彼ももう入社5年目になって、すっかりベテラン風の口をきくようになったなと思った。しかも、スポンサーから彼を指名しての案件だ。
「あっ、花ありがとうございます」
「いいのよ。お供えの花を持ってプレゼンできないでしょ」
青空が広がって絶好の行楽日和。こんな日に墓参りに来る人なんていないのではと思っていたが、意外にも墓参者は多い。
彼はまだ新しい墓石に水をかけ、私が買ってきた花を供えた。
「さつきさんも焼香してやってください」
お線香の香りを久しぶりに嗅いだ。
しまった。何も言葉を用意していなかったから、思わず彼のことは任せてくださいなんて心の中で唱えてしまった。
彼はずいぶんと長いこと墓前に向き合っていたから、その背中を見て泣いてるんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかった。
水道場に手桶とひしゃくを返し、丁寧に手を洗った後で、彼は鞄からリボンのついた箱をくれた。
「さつきさん、ハッピーバースデー」
「あら、忘れてるのかと思った」
「忘れるはずないじゃないですか。子どもの日なんて、忘れたふりしてサプライズ演出できないから困りますよ」
彼は屈託なく笑って言った。
「私、5月5日が誕生日って嫌」
「どうして?」
「前に話さなかった?私の誕生日なのに、他の子もみんな祝ってもらってて。他の子はちゃんと別の日に誕生日があって2回祝ってもらえるのに、私だけが1日だけのお祝い」
「他の子も、って5月5日は端午の節句だから男の子のお祝いですよ」
「でも女の子だって子どもの日は外食したり、ゴールデンウィークだから旅行に行ったりするでしょ?小さい頃、誕生日にレストランに連れて行ってもらうと、他にも子連れの家族がたくさんいたから、みんな今日が誕生日なんだって思ってたのよ私」
彼は声を出して笑っている。
「初めて聞きました。さつきさんのそんな話」
「第一、5月5日生まれって、それだけで女の子っぽくないじゃない」
「分かった!だからさつきさんは性格が男前なんですね」
「あなたそれ以上言ったら殺すわよ」
冗談ぽく言ったつもりが、場にふさわしくなかったと気付いてすぐ反省した。
「ごめんなさい今の発言は無し」
「いえいえ。大丈夫ですよ、さつきさんは他のどの女性より美人ですから」
そういうこと真顔で言われても困るんですけど。
「それに、何の因果かあなたのお母さんの命日にも重なるなんてね」
ちょっとだけ気まずい空気が流れたが、すぐに彼が口を開いた。
「僕は大好きですよ、5月5日」
「お母さんの命日でも?」
「僕にとって世界で一番大切なのは、死んだ母親じゃなくてさつきさんです。そのさつきさんが生まれた日ですよ。1年で1番ハッピーな日じゃないですか」
彼はまっすぐだ。出会った頃から変わらない。そこが好きな所だな、と思った。
「もうハッピーと言われるような年じゃないけどね」
照れ隠しにちょっと怒ったふりをしてみる。
「すいません。ついに三十路ですもんね」
そのくせ時々デリカシーの無い失言もする。進歩がないのか天然なのか。
「母親の命日とかはあんまり気にしてませんし」
それは嘘だ。
酔っ払う度に、「母ちゃんに何の親孝行もできなかった」って愚痴るのを見ているから、それが彼の本心ではないことは知っている。それが証拠に、今日急な仕事が入っても、終わり次第墓参りに行くから付き合って欲しいと約束させられてた。
「ねえさつきさん」
「何?」
「結婚しませんか?」
「えっ!?」
「僕と結婚してください!」
「もしかして、プロポーズ?」
「もしかしなくてもプロポーズです」
「いや、プロポーズって、ここお墓なんですけど」
「すいません。ディナーの時にって思ったんですけど待ちきれなくて。ずっと待ってたんですよ」
「何を?」
「母親の1周忌。まあ死んで1年は喪に服さなきゃなあって。さつきさんと結婚するってさっき母親に報告したら喜んでました」
「ちょっと勝手に決めないでよ」
「5月5日の誕生日が嫌いだって言いましたよね?じゃあ結婚記念日にしちゃいましょうよ。大人の2人のお祝い」
「大人の2人ってあなた・・・」
「大人でしょ?僕たち。デメリットがあっても、それをしのぐインパクトで圧倒すればプレゼンはうまくいくって、さつきさん言ったじゃないですか」
「広告と結婚を一緒にしないでよ」
「僕じゃ不満ですか?ご存知の通り、僕は父親いないし、母親も亡くなった。舅も姑もいなくて誰にも気を使わない掘り出し物の案件だと思いますけど」
不満は無かった。彼と付き合って約5年。始めは学生でちょっと頼りなかったけど、見込んだ通りすっかり成長して今ではバリバリ仕事をこなしている。それでいながら性根は優しくて、趣味も合う。まあ、じゃなかったら5年も続かないけど。
不満は無い。でも不安があった。
「私はあなたより年上よ。つまりあなたは若い。これから私よりもっといい娘が現れるかもしれないわよ」
「現れませんよ。僕のタイプはズバリさつきさんなんです。だからさつきさん以上の人は現れるはずが無い。第一、年が上って、たったの3つじゃないですか!」
驚いた。どうやらこれは計画的犯行みたいだ。
「聞いてもいい?これでもし私が断ったら、あなたどうするつもり?」
「日を改めてプロポーズしますよ。OKもらえるまで、何度でも」
思いがけない意志の強いことを言われて、正直嬉しかった。
ここまで言われて、もう断る理由は無かった。
でも、ちょっとだけ意地悪を言ってみる。
「難攻不落かもよ」
「さつきさんのことは誰よりもリサーチしてます。強力な競合もいない。僕のアプローチでいけると思うんですけど、どうですかね?」
本当に彼は成長した。「いつもさつきさんの背中を見ているからですよ」なんて可愛いことを言われたこともある。でも、それを生かせるのは彼の元々のスペックの高さと柔軟な適応力だ。彼とならこれからもうまくやっていけるってことは、とっくに分かっていた。
「さっき渡したプレゼント、今開けてもらってもいいですか」
私は、ゴールドとシルバーがクロスされたリボンをほどく。
「ハンバーガーだったら怒るわよ」
ちょうどダブルサイズのハンバーガーが入る位の箱だった。
でも、意外にも中身はワンコインなんかじゃ買えないものだった。
「MAXのサプライズです。もうそれ受け取ってくれたんですからね。返品不可ですよ」
純白のジュエリーケースを開けると、ダイヤモンドリングが初夏の日差しを受けて眩しくきらめいた。
やられた・・・
彼はニコニコと笑っている。
「さつきさんの可憐なウェデシングドレス姿、早く見たいなあ」
「可憐ってあなたそれ嫌味?」
「本気ですよ。本気で楽しみにしてますって」
「それにしても霊園でプロポーズだなんて、今まで聞いたことも無いわ」
「いいじゃないですか。結婚は人生の墓場だって言うし」
「えーっ、あなた私との結婚は墓場だって言うの?」
「ブラックジョークですよね。もちろん僕は思ってませんよ。二人で同じお墓に入るまで、一緒に幸せになりましょう!」
「笑えないんですけど」
「腹減ってるからじゃないですか?さつきさん昼飯食べました?」
「いいえ」
「俺も昼抜きです。ペコペコ。だいぶ早いけどディナーに行きますか?」
断る理由は無かった。早めのディナーも、結婚も。
「そうだ、さつきさん」
「結婚するにあたって、1つだけお願いがあります」
「何?」
「絶対浮気しないでくださいね」
「それ女のセリフでしょ」
「だってさつきさんモテるんですもん」
ちょっと憎たらしいと思った。だって、そう言いながら彼が自信たっぷりの顔だったから。俺にホレてるから浮気なんかしないよなって。
「ディナーで乾杯したら、区役所行きましょうね」
「えっ?」
「5月5日、今日中に入籍届出しましょう。なんか、盛りだくさんの記念日になっちゃいますね」
彼があんまり嬉しそうに笑うから、なんだか私も楽しくなってきた。
「ありがとうダーリン!」
境内で不謹慎だとは思ったけど、私は彼に抱きついた。そして彼も強く抱きしめてくれた。
通りすがりの墓参者は、私たちを抱き合って悲しみに暮れる夫婦とでも思っただろうか?
まさかプロポーズ直後のカップルだとは誰も思わないだろう。可笑しい。
青空を見上げると、鯉のぼりが初夏の風にやさしくたなびいていた。
(つづく)
あとがき
NHKマイルカップ、青空の下、スピード決戦になりそうですね。
説明するなんて野暮ですが、キーワードは、「可憐」、「ブラックジョーク」、「昼飯」です(笑)