義足のゴール

 

 これは頭痛の理子の頭をハンマーで殴るようなものだった。あまりのショックにスタバを飛び出してしまった。家に戻るとベッドに飛び込みじっと目を閉じた。しばらくすると涙が流れてきた。馬鹿でわがままな自分が情けなくて死にたくなった。両親にいまさら学校を辞めたいとは言えるはずもなく、かといって元気よく学校に行く気持ちにもなれなかった。多額の寄付金を支払ってくれた両親にサッカー部のことをどのように話せばいいのか考えると、家出したくなってしまった。

 涙は止まらなかった。たんかをきって入った高校であったが一ヶ月もしないうちに挫折してしまった。今すぐにでも電車に飛び込みたい衝動に駆られたが、健太に今から死にますとメールした。机の上に“ごめんなさい”と書いたメモを置くとサッカーボールをはさみで突き刺し駅に向かった。猪突猛進で短気な理子は小学生のころからよく家出をした。そのたびに兄の誠人と健太が探して連れ戻した。涙しながら歩いている理子の携帯から“会いたかった”の着メロがなった。

 着信音には気づいていたが足を止めなかった。赤坂駅のホームで最初の電車を見たとき腰を抜かしベンチに腰を落とした。自分の愚かさに改めて気づくと、もはや立つ気力も失ってしまった。ただぼんやりと人の流れが目に入り電車の音が静かに耳に入ってきた。今すぐ心臓が止まれ、と神様にお願いした。ゆっくりと目を閉じて両手を合わせた。

 

 突然、頭に雷が落ちた。「キャ~」悲鳴を上げると往来していた周りの人たちが振り向いた。上を向くと頭の上には拳を握った健太がいた。一瞬笑顔を見せると左手に持っていたソフトクリームを理子の口に当てた。健太に手をひかれ家路に向かう理子は涙しながら直子の提案を話した。健太はしばらく黙って頷いていた。直子の提案に感心したからだ。理子は直子と違った打開策を期待していたが、健太は直子の提案に賛成した。

 翌日、同好会のポスターを掲示板に貼ると、放課後理子と直子はサッカーグランドに立っていた。サッカーの遊びにやってくるお嬢さんたちを相手するためだ。理子はゴールキーパー、直子はゴール前にボールをセットする。直子が手持ち無沙汰にしていると、第一号が現れた。帰宅部のお嬢三人が冷やかしにやってきた。直子がセットしたボールをジーパンの学生がケラケラ笑いながら転がすように蹴った。理子が拾うようにしてボールをキャッチすると直子にボールを転がして返した。

 三人は二人を交互に見ては笑い立ち去っていった。理子も立ち去りたかったがきっとうまく行くと健太に励まされたことを思い出し、もうしばらく我慢することにした。やけくそになった理子がしこを踏んでいると、少し太り気味の筋肉もりもりの学生がやってきた。直子がボールをセットすると「いくで~」と大きな声を張り上げて助走をつけて思いっきり蹴った。ボールはゴールを外したがライナーのボールはバックのフェンスに突き刺さった。

 

 

 

 「ワオ~」理子もこのボールには目をむいた。巨漢の彼女は砲丸投げの選手だった。直子はすぐに駆け寄り明日も遊びに来てくれるように頼んだ。巨漢はニコッと笑うと「ええで」と言って仲間のところに戻った。理子はうれしくなってジャンプした。巨漢がたとえ同好会に入ってくれなくても自分よりパワフルなシュートをした彼女に会えたことを喜んだ。きっと、健太はこのことを言っていたに違いないと確信した。いつか仲間ができる、そんな気持ちが次第にわいてきた。

 二人はとにかくサッカー遊びを続けることにした。一日に数人のときもあったがまったく誰一人現れないときもあった。しょげる理子を見ると直子はきっと仲間ができるよと励ました。両親にはサッカー部創設はうまく言っていると嘘を突き通した。6月にはいると二人は行き詰まりを感じ始めた。そんな時、九州スポーツ振興協会主催の海外研修旅行無料招待の応募が掲示板に貼られていた。協賛に中洲女学院高等学校が参入していた。招待人員男女各4名。場所はカンボジアのシェムリアップで、日程は8月5日から18日までの2週間。内、3日間はホームステイとあった。締め切りは6月10日と迫っていた。早速、理子は応募した。

 

カンボジア研修

 6月20日に招待通知が来たが、これは両親に内緒にしていた。理子ははしゃいで喜んだが両親は反対した。研修先がカンボジアだからであった。韓国のカンボジアへのレジャー産業投資は盛んで世界的に注目を浴びてはいるが、かつては戦場であり多くの地雷と不発弾が埋没しており、いまだその処理は遅々と進んでいないことを知っていた両親は断固として反対した。理子もそのことは社会の授業で学んでいた。

しかし、研修はハングル語、クメール語、クメール文化、カンボジアの政治経済学、スポーツ科学及びスポーツビジネス学と研修内容に明記してあったこと。さらに、研修施設は韓国のソンヤムが経営するスポーツジムであることなど決して危険な研修ではないことを両親に訴えた。両親が協会に問い合わせてみると研修センタージムは危険な地区から離れた場所にあることを知らされた。再三の理子の説得に両親も根負けして研修旅行を承諾した。

後日届いた研修内容の資料を見ると研修メンバーに釜本健太の名前があった。偶然とはいえ理子はうれしくて涙がこぼれた。すぐに、メールすると健太からも驚きのメールが返ってきた。さらに、この研修でしっかりスポーツ科学とスポーツビジネス学を勉強し、これに関する卒論を書きたいこと、将来ドイツのプロリーグでサッカーをやりたいことなどいくつかのプランを打ち明けた。メールを読んだ理子は、健太は大人であることに改めて感心した。

サーファーヒカル
作家:春日信彦
義足のゴール
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