梨太郎

濡島警察の穂瀬刑事( 1 / 1 )

「梨太郎がどうしたんだ!」

  松平の事でまだ動揺していた助六がよそよそしく尋ねた。山根は何も言わず皆が見下ろしている切り立った斜面のほうを指差した。山の頂上付近にあるこの休憩所はその高度もさることながら特有の粘土質の地層がむき出しになっていることで有名だった。特に雨上がりの休憩所はかなり滑りやすく、何度もそこに来ている人ですら滑らないように注意して休憩するほどだった。 パニックに陥ったりすすり泣いたりしている愛好会のメンバーをかき分けながら助六とすずえも自分たちの足元に広がる風景に目をやった。確かに人のような形をしたものがかすかに確認できた。

「一体何があったんですか?あれは本当に梨太郎さんなんですか?」

すずえがうつむく山根に尋ねた。しかし山根は何も言おうとはしなかった。その様子をみた別のメンバーが口を開いた。

「梨太、梨太郎さんはそこの木になっていた梨を珍しがって採ろうとしたの。そしたら。」

話すのがやっとという状態だった。話し終えるとわっと泣き出した。要するに梨太郎はここでは別に珍しくも何ともない梨に興奮してしまい、危険をかえりみず採取しようとした結果足を滑らし崖から転落した。ということだ。

 それから間もなくして警察が到着し現場はものものしい雰囲気に包まれた。現場検証も行われ転落の様子を見ていたメンバーの話と現場に足を滑らした跡や梨太郎の手に梨が握られてたことなどが一致し普通の転落死と断定された。メンバーは梨太郎の68歳という早すぎる死を悼んだ。

 しかし助六とすずえにとっては好都合もいいとこだった。梨太郎の死によって松平がいなくなっていることに誰も気づかなかったのだから。事件発覚が遅れることは多分いいことなんだと助六とすずえは思っていた。しらを切り続けていればきっと逃げ切れる。二人は時効と寿命どちらが先にくるかなどというのんきな話題で一瞬盛り上がったが、その話題が尽きるとやはりブルーな雰囲気に包まれていた。

 松平の事件から一週間経った日のこと。二人がテレビをみていると松平が遺体で見つかったというニュースを目にした。松平の帰りが遅いと感じた母が捜索願を出したらしい。一体母はいくつなのだろう。そんな余計なことを考えている間に電話が鳴った。

「はいもしもし。」

すずえが恐る恐る電話に出た。

「あっこちら濡島警察の者ですが登山愛好会に入ってらっしゃる助六様と奥様のすずえ様のお宅で間違いないでしょうか?」

「はい、そうでございますが、何か?」

「先日の松平さんが何者かに殺された件で皆様にお話をお伺いしたいと思います。ですので捜査に協力いただきたく思い連絡を差し上げた次第でございます。」

「殺されたんですか!?本当ですか!?」

 すずえはわざとびっくりしてみせた。

「いや、現段階ではまだなんとも言えませんが恐らくそうではないかと。協力願えますか?」

「わかりました。」

「では明日の午後2時に現場検証も兼ねましてお話を伺いたいと思いますので、濡ヶ岳もふもとにお越しください。それでは失礼します。」

  すずえは心臓が飛び出そうだった。ついにこの日が来てしまったのだ。もう時間の問題か。取りあえずすずえは警察から電話がかかってきた旨を助六に伝えた。それを聞いた助六は明らかにテンションだだ下がりだった。しかしもうこうなってしまった以上仕方がない。というのが二人の意見だった。

  そして翌日。また電車に揺られ濡ヶ岳のふもとに向かった。あの時の登山メンバーが既に揃っていた。しかしあの時と決定的に違うのはこの重すぎる空気。まさかこの濡ヶ岳で二人も同じ日に死ぬなんて誰が想像するだろうか。そうこうしているうちに一人の刑事が頭をさげ礼儀正しくあいさつしてきた。

 「この度今回の事件の担当をいたします穂瀬です。色々お伺いいたしますので気分を害されるとこもあると思いますが、そこは一つよろしくお願いいたします。」

穂瀬は手短にあいさつを済ませた。聞くところによると穂瀬は最近日本に帰化した敏腕刑事として有名らしい。なんたる災難だ。助六とすずえは思った。もう終わりだ。助六とすずえの今後を左右する取調べが幕を開けた。

取り調べ( 1 / 1 )

 ついに穂瀬による取調べが始まった。一人ずつ順に呼び出される形で事情聴取が行われた。他のメンバーが取り調べを受けている間も助六とすずえは気が気ではなかった。一応口裏を合わせてはいるものの相手は敏腕。動揺が伝わってしまえばそれは逮捕を意味していた。

「わかってるな?すずえ。俺たちは何も知らないんだ。知らないことにすればいいんだ。目撃者は誰もいないし、あの時メンバーは梨太郎が転落したことでパニックになっていたんだ。誰も松平が俺たちと行動していたなんて覚えてはいないさ!きっとな!もし一緒に行動していたことを覚えていたやつがいたとしてもこう言うんだ。“ちょっと梨の楽園を見てくる”と言って松平はどこかへ行ったと。その間に俺たちは上の騒ぎを聞きつけて駆けつけた。これで完璧だ!完璧だ!」

「はい。わかりました。けどほんとに大丈夫かしら。もしそれ以外のことを聞かれたら自信がないわ。わたしあまりアドリブとかきかないし。そこでボロがでそうで心配なの。」

「だから普段から口をすっぱくして言ってきたんだよ!アドリブですぐ対応できる話術を磨いておけよって。何回言った!?こういうことがあるからなんだよ。しかしこの際そんなことを言ってても仕方がない。運にかけるしかない。さぁ祈ろう。」

二人は短めに祈りを捧げた。敏腕の質問に耐えるには神様の力も必要だと思ったらしい。他のメンバーが取調べを受けている間もひたすら祈った。

 すずえの取調べが終わった。彼女にも厳しい追及がされたようだった。松平との関係や今回の登山に参加すろことになったいきさつ等だ。しかし穂瀬は一見怪しいすずえをそこまで疑わなかった。敏腕の感が働いたのであろう。そしていよいよ助六の番になった。助六は意を決した表情ですずえにウインクをしてみせた。しかしすずえの胸には何一つ響かなかった。

 「あなたも当日はこの濡ヶ岳に登ってらっしゃったんですよね?間違いないですか?」

「はい、確かにこのメンバーと登ってました。それは確かです。」

「あなたは当日松平さんの姿を見ましたか?」

「はい、集合した時に確認しました。」

「そうですか~。その日松平さんに何か変わった様子はありましたか?何かお話はされましたか?」

穂瀬の怒涛に質問に助六も答えるのに必死だった。

 「そうですね、松平さんはいつも通りだったと思います。当日は挨拶を交わす程度で特に何も話してないような気がします。少し前なので記憶があやふやですが。」

「いつもと同じ様子だった訳ですね?助六さんは今回が初めての愛好会として参加された登山だそうですね?松平さんとは日ごろからお知り合いなんですか?」

助六はしまったと思った。しかしそれは嘘ではないし、大丈夫だ。助六は続けた。

「いやぁ、お恥ずかしい話、わたしと松平さんは無類の梨好きでした。それでよく家で梨トークで盛り上がったりしてたんです。だから登山の場でお会いするのは初めてでしたけど、以前から面識はあったんです。」

「なるほど、そうでしたか。助六さんも松平さんも梨がお好きだという話は皆さんからお伺いしてたんですよ。何せ松平さんは梨が自生している山に登る時しか来ないらしいですから。で、それより興味深い話を聞きましてね。」

意味ありげな笑みを浮かべながら穂瀬が助六の瞳の奥を見つめてきた。

 「興味深い話とはどんな話でしょうか?」

「いやね、メンバー全員が助六さんと松平さんは犬猿の仲だと口を揃えて証言してるんですよ。これは見逃せませんね。」

助六は意表をつかれた。そのことはあの現場にいたすずえと松平と自分しか知りえないことだった。もちろん他言していなければの話だが皆が口を揃えて言うほど明るみに出ているとは思ってもいなかった。

「はぁ、確かに仲がいいってわけでもありませんでした。梨のことで口論になって彼とは気まずい感じでしたから。でも刑事さん。それだけでわたしが犯人扱いされるのは納得いかないなぁ~。」

助六はちょっと反論しただけで勝ったと勘違いしそうになった。つかさず穂瀬が言った。

 「もちろんそれだけでは犯人扱いなんてできませんよ。もう一つ、助六さん、こんな話もメンバーの方から聞いているんですよ。」

今度は何だ!一体何なんだ!神様!助六はちょっと祈った。

「はい、何でしょうか?」

「実は松平さんとすずえさんが不倫関係にあったそうですね。その事はご存知で?」

「・・い、いや、そんなことは知りませんでした。そ、そうだったんですか?」

明らかにボロを出してしまった。そこまで刑事がついてくるとは思いもしなかったし、メンバーが知ってるなんてありえなかったからだ。実際助六もその登山の時にすずえにカミングアウトされたのだから。誰かにはめられている。そんな気さえした。

「だから松平さんを殺す動機はあると言うことになるんですよ、助六さん。つまりこういうことです。あなたは普段から仲の悪かった松平さんに対しいい印象は持っていなかった。梨について口論したとなれば怒りもかなりのはずです。さらに自分の妻との浮気が発覚しました。あなたは今日という機会を待って犯行に及んだ。違いますか?」

詳細やいきさつは少し違えど穂瀬の推理は大体正しいものだった。しかし今の状況ではどんな反論も言い訳としてとられてしまう。実際殺してしまったのは自分だし、妻のせいにもできない。助六は窮地に追い込まれた。 「署まで同行願います。」  署で本当のことを話そう。そうしたらわかってもらえる。助六は静かに車に乗り込んだ。すずえは何ともいえない表情で走り行く車を見つめ続けた。

穂瀬刑事の名推理( 1 / 1 )

 助六を乗せた車は濡島警察へ向かっていた。助六は自分の犯行であることは変わりないし、仕方ないのかもと思う半面で納得のいかない気持ちで穂瀬の横顔を見ていた。どこからどう見ても穂瀬は外国人だった。その割りには日本語が日本人以上に上手いのではないか。助六は感心していた。穂瀬は移動中ずっと窓の外の移り行く風景を眺めていた。何を考えているのだろう。やっぱりホームシックなんだ。助六は穂瀬の胸中を察して悲しい気持ちになった。

 濡島警察に着くと穂瀬は一目散に重要参考人である助六を取り調べ室に連れて行った。テレビでよく見る部屋だ。と助六は思った。

「腹は減ってないですか?」

穂瀬が丁寧な口調で聞いてきた。本当にこんなことを聞いてくるもんなのかと助六は思った。何かテレビに出ているような感覚に陥った。しかしそんな気持ちとは裏腹に腹は全くといっていいほど減ってはいなかった。

「大丈夫です。」

そう答えると穂瀬は出前のメニューを引き出しの中にしまい、机の上に置かれたライトをつけ助六の方に向けてきた。

 「助六さん、あなたがやったんでしょ?松平さんをやっちゃったんでしょ?」

言い方は優しいもののテレビでみる取調べと一緒だった。しかし助六も自分の置かれている状況を考えるとテレビで見たとか言ってられなかった。それはわかっていた。

「違うんです刑事さん。聞いてもらえますか?」

「ええ、聞きましょう。あなたの犯行の手口をね。」

「だから違うって言ってるでしょうが!まず聞いてください。わたしにも真実を語る権利はあるはずです。」

穂瀬はぐっとこらえ助六の話に耳を傾けた。

 「実はあの山登りの当日、わたしは妻のすずえと松平さんと一緒に行動していたんです。妻がふくらはぎかどこかに違和感を覚えたと言って他のメンバーのペースに付いていくことができなかったんです。それでわたしは夫ですし、そばにいるのは当然です。すずえに気を配りながら登ってました。松平さんもすずえの足の違和感に気づいていたわっている様子でした。それははっきり覚えています。」

「なるほど、松平さんとすずえさんは不倫関係にあったのですから当然といえば当然だ。しかし松平さんも大胆だ。ご主人であるあなたの目の前でねぇ~。さぞお怒りだんたんでしょ?」

自分の描いたシナリオに狂いがないことを敏腕刑事穂瀬は確信してやまない様子だった。

「確かにいい気分ではありませんでした。しかしそれは松平さんが妻と不倫をしているというのが原因ではありません。だってわたしはその時知らなかったんですから。二人ができちゃってることを。」

穂瀬の表情が変わった。

 「何だって!?あなたは知っていたのじゃないんですか?知っていたからこそ怒り憎しみ、今回の殺人を・・・違うのですか?」

「前から関係は少し怪しいとは思ってました。しかし仲がいいだけだろう。その程度にしか思っていませんでした。あの登山の日、わたしたち3人は列の最後尾で登山を続けていました。そしたらすずえがこう言ったんです。“こっちに行けば梨がたくさんあるぞ”と。そして我々はそちらに行ったんです。そこは確かにたくさん梨が実っていて楽園でした。そう、まさに楽園でした!!」

助六は梨の楽園を思い出し、思い出し興奮をしてしまった。我に返った助六は恥ずかしそうに再びしゃべり始めた。

「そしてわたしと松平さんはお互い干渉せずに梨を見ていました。楽しんでいました。そしたらすずえが我々を呼んだのです。わたしたち2人を。梨を楽しんでいたのに。何かと思っていってみると急にわたしは松平さんとできている、できちゃっているとカミングアウトしてきたのです。」

穂瀬はその話に興味津々だった。何せ自分も予想していない展開だったのだから。

「で!?で!?」

穂瀬が急かすので助六は続けた。

 「わたしはそれを聞いてさすがにカッとなりました。なぜすずえがカミングアウトしたのかはわかりませんが、カッとしたんです。そして松平さんともみ合いになりました。わたしは学生時代柔道をしようと思ったことがありましたから喧嘩には自信がありました。そして松平さんを負かしてもうすずえには近づくなと言おうと思ってました。しかし少し力が入りすぎたのです。松平さんが少し足をぐらつかせた時に今だと思って突き飛ばしてしまった。そしたら松平さんは思った以上に吹っ飛んでしまって落ちていた梨に頭をぶつけたのです。まさかと思って近づいてみると完全に死んでしまっていた。わたしは気が動転していて取りあえず埋めよ!と思いました。わたしも年です。必死に穴を掘って埋めようと思いましたが穴が浅すぎて松平さんの足とか手とかが出まくっていました。けどなぜか満足感に包まれてその場を後にしました。殺してしまったことは事実ですがわたしに殺意はなかったんです。」

助六は当日のことを一通り話した。包み隠さず真実のみを。穂瀬は話を聞いて腕組みをした。そして幾度も首をかしげた。

 「う~ん。何かしっくりこない。あなたが嘘をおっしゃってるとも思いません。目を見ればわかりますから。すずえさんにも話を聞くべきなのでしょうがわたしは聞かなくてもわかります。助六さん、あなたはすずえさんの乙女心とか考えたことがありますか?あの時、あの場所でカミングアウトしたのは彼女の乙女心です。おそらくすずえさんは松平さんが他の女性と楽しそうにしている現場を見てしまったのでしょう。遊ばれていた、そう思ったのです。夫は相手にしてくれない。乙女心は傷ついた。」

こいつ恋愛経験豊富だと助六は思った。そして敏腕といわれるだけのことはあると思った。事件を論理的に見る一方で感情論も織り交ぜる。こいつはすごいと穂瀬の推理に舌を巻いた。

「そんなこと考えもしませんでした。確かにそうだったかもしれません。わたしはすっかりペアリングをしているだけでラブラブだと思い込んでしまっていました。」

助六は素直に認めた。すずえも妻である前に一人の女性なのだ。

「ご理解いただけて幸いです。しかし事件は解決していない。松平さんを殺したのは確かに助六さんあなたです。普通の刑事ならすぐ逮捕するでしょう。しかしわたしは敏腕です。この事件には何か裏がある気がして仕方ないんです。」

穂瀬がそう言い放った時、部下が部屋に入ってきた。

 「穂瀬刑事、とんでもないものが見つかりました!」

真相( 1 / 1 )

「一体何が見つかったんだ!?」

穂瀬は必要以上に流暢な日本語で部下に訊ねた。部下も相当興奮しておりかなり息を荒げていたが、そっと穂瀬に告げた。

「実は先日転落死した梨太郎の遺留品からとんでもない物が見つかったんです。」

「だから何が見つかったんだ!?もったいぶるのはよしなさい。」

「はい、実は松平殺害に関する計画書が見つかったんです。」

「何だって!?」

穂瀬は当然のことながら、盗み聞きしていた助六も驚きを隠せなかった。梨太郎が松平殺害を企てていた。そんな馬鹿な!殺したのは助六であることは揺るぎのない事実。そして梨に頭をぶつけて死んだのも明らかに偶然だ。一体どうやって。

 「おい、部下!その計画書にはどんな事が書いてあったんだ?」

穂瀬が聞いた。

 「はい。その計画書には松平殺害に関する詳しい犯行の手順等が事細かに書かれていました。かなり綿密に計画を練っていたようですね。一部そのコピーをお持ちしました。これです。」

部下は穂瀬に計画書のコピーを手渡した。穂瀬は一通りそれに目を通した。

「そういう事だったのか。やっと謎が解けた。」

自分の中で解決した穂瀬は助六が座る机の対面に腰掛け話し始めた。

「助六さん。今回の事件はかなり複雑で手の込んだものだったようです。全てをお話しましょう。思い出してください。助六さんあなたは最初、すずえさんにそそのかされる形で登山愛好会に参加しました。そして登山の途中、すずえさんに松平さんとの関係を明かされました。それでカッとなったあなたは勢いあまって殺意はないにしろ松平さんを殺した。そうでしたね?」

「はい。間違い無いです。」

「わたしもそこに嘘はないと思いましたし、実際嘘はありませんでした。登山愛好会に入るようにすすめたり、松平さんとの関係をカミングアウトしたのはすずえさんの傷ついた乙女心ゆえのいたずらだったのです。ですが・・・」

穂瀬はまだ今回の事件を信じられないといった様子だった。

 「ですが、助六さん。これらは全て梨太郎の計画の内だったのです。」

「な、なんですって?そんなことがありえるんですか!?」

「そうなんです。それが実際にありえてしまった。梨太郎は今回の殺人計画をかなり前から企てていたようです。それを裏付けるように莫大な量のデータも見つかっています。驚きました。助六さんと松平さんが無類の梨好きであることは当然のことながら、助六さんとすずえさんの結婚記念日やペアリングのメーカーと値段。さらに岸辺四郎主演のドラマを見ていたことや朝ご飯は白飯に梅干を二つのせること。そしてすずえさんが寝起きに熱い日本茶を飲むことまでも。」

「ありえない。そんな馬鹿な!」

「そして登山愛好会に参加しないかという話を山根さんから持ちかけられた事も知っていたみたいです。助六さんとすずえさんがお二人で登山に行かれた日のこともメモとして残っていました。」

穂瀬は次々と驚きの事実を助六に伝えた。さすがの助六もこれには開いた口がふさがらない様子だった。 「なんで我家のことばかり。」

「そこなんです。梨太郎は助六さんとすずえさんについての情報を異常に集めたようです。どうやら今回の殺人の犯人を助六さんに仕立てるつもりだったようです。」

「しかしなぜ松平を?」

「そこなんです。なぜ梨太郎は松平を狙ったのか。わたしは考えました。助六さんとすずえさんと松平さんと梨太郎を結びつけるもの。それは」

穂瀬の推理も架橋に差し掛かっていた。事件の全貌が徐々に明らかになっていく。

 「それはすずえさん本人です。助六さんはすずえさんのご主人、そして松平さんは不倫相手でした。おそらく梨太郎はすずえさんに密かに想いを寄せていたんでしょう。梨太郎としては二人に消えてもらいたかった。しかし自分が手を下すにはリスクが高すぎる。そう考えた彼は取りあえず情報を集めたのです。すると助六さんと松平さんの仲が悪い事やすずえさんが松平さんに遊ばれていたことなど次々に梨太郎にとって有利な情報が舞いこんできたのです。それは人から聞いたものもあれば、実際にその目で確かめたものもあったようです。」

「そうだったんですか。まさに目からうろこ、寝耳に水です。」

「そして梨太郎は松平さんがある病気にかかっていることを知ります。そう、松平さんは骨粗しょう症だったのです。さぞかししめたと思ったでしょうな。骨がもろく、少しの喧嘩でもすぐに大怪我をすると思ったのです。で、それを知り今回の計画を思いついた。まさか死ぬとまでは考えていなかったのかもしれませんがね。さらに梨太郎はかなり乙女心を理解しているといえます。でないとすずえさんの行動をここまで読むことは不可能です。しかしさすがに読みだけで犯行は行えません。なので彼は助六さんと松平さんが不仲であることやすずえさんと松平さんが不倫関係にあることをメンバーに摺りこんだのです。周りを固める賢さも兼ね備えていた。なんたる知能犯なんでしょう。」

助六にもようやく今回の事件の真相がつかめた。要は自分は利用されたのだと。利用というよりか、犯人に仕立て上げられたのだと。

「しかし梨太郎にもひとつだけ誤算があった。それは、自ら足を滑らして転落死してしまったことでしょうな~。」

そう言い終わると穂瀬は立ちあがり悲しそうに窓の外を眺めた。やっぱりホームシックなんだと助六は思った。

 今回の事件。それは梨太郎の異常な愛が巻き起こした悲劇だった。すずえのことを一番愛した人間の哀しい末路。本当の幸せ、本当の愛とは何なのだろうか。東京と千葉の県境の割と発展したところには、冬の訪れを感じさせる冷たい風が静かに吹きぬけた。

 

西尾麦茶
作家:西尾麦茶
梨太郎
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