信ずるものは、救われぬ

第1章 教会と牧師( 6 / 7 )

 ペンテコステ派にはアッセンブリー系とチャーチ・オブ・ゴッド系二つの流れがある。

 アッセンブリー系は悔い改めによって魂の救済のための清めは完成しており、聖霊の満たしによって異言が起こると主張する。
 チャーチ・オブ・ゴッド系は、異言を「聖霊のバプテスマ」(バプテスマとは洗礼のこと)だと捉え、それを経ないと清めは完成しないと考える。

 JPCは前者の系統だった。

 英語が話せることも大きかったのだろう。ブルームに見込まれた吉川は、あっという間に長老(幹部)に任じられた。そして、吉川によれば、生徒や保護者に惜し まれながら、彼は繁盛していた英語塾の経営にあっさりとピリオドを打ち、紀泉聖書学院にしばらく通った後、三〇歳頃に牧師になった。

 吉川は、社会経験がないまま牧師になったに等しかった。

 大学を中退した後、英語塾の先生として、最初から「先生」と呼ばれた。そして今度は、「牧師先生」と呼ばれることになった。また、塾を経営していたということは、最初から経営最高責任者であり、教会でもそうだった。二重の意味で、吉川は上から人を見ることに慣れていた。

 ところで私は、長年、教師として学校という職場にいる。

 日本とアメリカで、小学校から大学まで、そして塾や予備校でも教えた経験がある。十を超える大小さまざまな学校現場を経験しているが、校種に関わらず、職員 室には、社会常識の乏しい先生が結構多くいた。新聞をにぎわすセクハラ教師や、授業やクラス管理ができない問題教師(そういう輩を実際に私は知っている) は論外だが、私が言いたいのは、社会人としての基礎ができていない先生が多いということだ。
 先生という仕事は、一年目でも二〇年目でも、生徒や保護者から見れば先生には変わりはない。これは先生と呼ばれる全ての仕事に当てはまることだ。教師、弁護士、医師。みんな最初からプロであることが求められており、最初から一人前だとみなされる。
 教師は、教室では独裁権を振るうことが可能な権威がある(最近では、「モンスター・ペアレンツ」の存在や学級崩壊などで、必ずしもそうでもないようだが)。だからそういう環境に錯覚する人もいるのだ。
 私自身は教師になる前の数年間、サラリーマンの一兵卒として、ヒエラルキーの一番下で仕事をした経験がある。上司にしかられ、顧客に文句を言われ、気の合わ ない先輩・同僚ともうまくやっていく。そんな中で人間と人間のコミュニケーションの技術を実践的に学んだ。わずか数年間だったので、もとより十分にではな かったのだが、社会人としての、最低限の訓練を受けて、特殊な世界に生きる教師という職に就けたのは幸運だったと思っている。

 それでもまだ私は、時々、自分自身が社会の「普通の人」からは、ちょっとずれているよう気がする。

 吉川はそういった社会経験が皆無だった。最初から彼は「大将」で、塾ではどうだったかは知らないが、残念ながら、教会ではそのように振舞った。
 もともとプロテスタントはひとつの宗派ではないので、カトリックのような統一組織を持たない。だから、決まった牧師養成過程は存在せず、教団ごとに牧師になる条件は違うし、懲戒や解職なども、教団という密室の中で行われることになる。
 極端な話、私が今日からひとりで教団を作れば、私はいつでも牧師を名乗ることができる。信者が来るかどうかは別にして、明日から教会や教団を主宰することは可能なのだ。

 「劇団ひとり」ならぬ、「教団ひとり」だ。

 牧師になるということは、医師や弁護士や教師など、国家資格や養成課程が厳格に決まっている職業とは違って、実は信教の自由、職業選択の自由、集会結社の自由といった、基本的人権の範疇で収まる話なのだ。これはある意味で恐ろしいことである。

 牧師の養成課程は、日本のカイロプラクターのそれとよく似ている。

 日本ではカイロプラクターは業界資格のみで、特定の学位を必要としないらしい。人の身体を扱うプロフェッショナルとして、アメリカでは博士号が要求されているのとは大違いだ。
 私が知っているあるカイロプラクターは大言壮語癖のある胡散臭い男だ。だが、健康関係の著書もあり、かつてはテレビにもよく出ていたらしい。ネットで名前を入れればヒットするような人物なのだが、カイロプラクターがドクターであるアメリカとのビジネスをするため、複数のディプロマ・ミル(学位製造工場の意味。法 的に認められていない「学位」を斡旋する業者・機関)に金を払って、医学博士の学位を買った。アメリカの会社との取引でその「学位」を騙った挙句、詐欺行為で訴えられた。裁判でそれが露見して敗訴すると、今度は、別の偽学位斡旋機関を通じて、フィリピンの大学に金を払って名誉博士号を買い、またもや名刺に堂々 と「医学博士」と刷り込んで配っているらしい。
 もちろん、だからといって、カイロプラクター全てが、こんな馬鹿ばかりだとは私は思わない。本当に腕のいい先生がいることを私は知っている。現に私の長年の腰痛を治してくれたのは、友人に紹介されて行った、日本のカイロプラクターだった。
 牧師はある意味で、人の心を扱うプロフェッショナル、のはずだ。しかし牧師は、カイロプラクターと同じく、「業界内の資格」だけで開業できてしまうのだ。

第1章 教会と牧師( 7 / 7 )

 アメリカの牧師養成も事情は同じである。ここではカイロプラクターになるのは難しいが、牧師になるのは自分の勝手だ。あるいは教団内の事情だけだ。だから当然、アメリカにも怪しい牧師はいるし、時々事件も起こる。

 宗教の危険さは、こういうところに潜んでいる。

 もともと宗教団体には、教祖なり指導者なりが、自らを神の代理人に祭り上げ、実際には神となって信者を縛りつけるような問題が発生しやすい土壌にある。

 冒頭に挙げた事件のような、淫宗邪教、異端、即ちカルトの類がそれだ。

 教団という上部統一組織が貧困な教会、組織組織の総帥が問題を持っている場合、或いは、上部組織を持たない単立のプロテスタント教会はその典型である。
 泉南キリスト教会は、一応JPB教団に属してはいたが、吉川は誰の指導監督も受けておらず、ほどんど単立教会のようだった。
 確かに、プロテスタントの中でも、保守的な教団の中には、大学で神学の学位を修めていることを牧師任命の条件にしているところもあるらしい。また、カトリッ クの司祭養成はかなり長い期間の修練過程を要し、妻帯は今も禁じられている。その弊害か、近年、司祭のセクハラや男色が問題になってはいるが、少なくとも それを監督責任がある司教や大司教、宗派の長であるローマ法王が放置しているわけではない。
 しかしこのブルームが作ったJPC教団では、個別の教会の牧師の裁量で、新たな牧師が任命されていた。
 それに倣い、吉川の弟子にあたる牧師の中には、彼が教会内に作った、言わば牧師養成の聖書学校である「ロゴス・アカデミー」を卒業したに過ぎない人もいる。彼らは、言わばディプロマ・ミルを卒業したことで、牧師となっているのだ。
 誤解しないでいただきたいが、牧師は大学の神学部を卒業していなければならないというような、偏狭な考えを私は持たない。日本にも腕のいいカイロプラクター が存在するのと同じだ。またディプロマ・ミルでも立派な教育をしているところはあろう。しかし、「人を牧する師」と称するからには、せめてその職務に見合 う知性と最低限の知識を持ち合わせていることくらいは期待したいとは思っている。

 知性とは深い教養に基づくものだ。

 知性とは人格を構成する要素である。そして知識とは、聖書のどこに何が書いてあるとかいう断片的な知識や、或いは原典を読めもしないのに、日本語の解説書で つまみ食いして、ヘブライ語やギリシア語を振りかざすような、薄っぺらな神学もどきの知識のことではない。その知識とは、偏りのない一般教養や日本人とし ての常識のことだ。

 日本でキリスト教が低迷する理由の一端は、聖職者の知的レベルが低いというところにもあるようだ。

 もちろん、すべての聖職者がそうだとは言わない。しかし、高学歴社会となり、多くの人が自分の専門分野や社会事象に一家言を持つこの時代に、牧師が少々の学問をしたところで、人々を説得し、人生を解くのは難しいだろう。

 だからこそ余計に、知識だけではなく知性が必要なのだ。

 牧師たちに言わせれば、神からの教え、そして聖霊に導かれた賜物が重要なのだということになろうが、それに気づかせるためには、世の知恵も必要だし、人格からにじみ出る知性が求められるのだ。
 明治時代、文明開化と共に、キリスト教も解禁になって、知識人の間にキリスト教ブームがあった。それが長続きしなかったのは、実は、日本人牧師の知性の低さ だったという説さえあるのだ。信者になった知識人よりも、それを教え諭すべき牧師の知的レベルのほうが低かったわけだ。それでは長続きすまい。
 近年でも日本のキリスト教人口は、宣教師、神父、牧師や伝道師、そして信者たちの熱心な伝道にも関わらず、一向に増えてはいない。カトリック教会、正教会、プロテスタント諸派を併せて百万人程度。つまり、人口の一パーセントよりも少ない。
 あの創価学会が単独で、公称百万人を誇るのと大違いだ。もちろん、数が多ければよいと言うわけではないが、その歴史と教会数の割には、お粗末ではないか。

第2章 独裁と洗脳( 1 / 7 )

 「彼らは心をひとつにしている。
 そして、自分たちの力と権威とを
 獣に与える」。
 『ヨハネの黙示録』第一七章一三節。


 泉南キリスト福音教会、関西ペンテコステ福音教会の牧師・吉川清は、端的に言えば、恐怖で信者をコントロールする、たちの悪い小国の独裁者のような存在だった。
 ヨシフ・スターリンや毛沢東のような巨悪ではない。エンベル・ホッジャやポル・ポト、いや、それでもまだ大きいかも知れない。現に、吉川の名前は、逮捕され たり告発されたりした他の悪徳牧師、不良牧師ほどには知られてはいない。大阪のプロテスタントの世界だけで、その悪名が響き渡っているだけだ。
 吉川はナチスや北朝鮮の強制収容所長のような独裁者だ。本当は名もない彼らに権威などない。しかし、総統や偉大な将軍様の権威を盾に、全く無力な収容者を支配する。その類の最も醜悪な独裁者だ。
 すべての宗教は、ある種のマインド・コントロールを含むものだが、吉川のそれは、自分を神の代理人の地位に置き、逆らえば「地獄へ落ちる」という恐怖心を巧みに操るものだった。プロローグに紹介した、韓国から来た背徳牧師の「欺瞞的説法」もそれと同じだろう。

 実際、幼い私が最初に吉川から受けた印象は、「恐そうなおっちゃん」だった。

 ある日、日曜学校と礼拝の間にある例の集会の最中、どういう経緯かは覚えていないのだが、その時間帯にはあまり発言しない、というか、顔も出さなかった吉川が会堂内にいて、私たち子供もいる前でこう言った。

 「特訓生・伝道師は、私に絶対服従です。何を言っても私に従わなければなりません。例えばですね…。はいっ、特訓生、伝道師は全員『ひょっとこ』の顔をしなさい」

 当時牧師は吉川だけだった。伝道師とは、牧師に次ぐ専従の者で、時々説教もした。特訓生とは、吉川が名づけた制度で、牧師になるための訓練を受けている住み込みの信者のことだった。
 私は周囲を見渡した。私の先生である福井も、若山も、恥ずかしそうに口を尖らせている。大人も子供もみな、大声で笑った。

 そして吉川は満足げに、「こういうことです」と信者に向かって言った。

 たぶん、伝道師か特訓生の誰かが、吉川に口答えでもしたのだろう。それで、示しをつけるために、子供も含めた全信者の前でそんな馬鹿なことをさせたのだ。
 幼い私は、「牧師先生は一番偉いんや」と、素直にそう思っただけだったが、今から考えれば、そんなコケオドシは、本当は私たち子供にしか通じていなかったは ずだ。冷静な大人なら馬鹿にしたことだろう。そして、教育的観点から言えば、少なくとも生徒である子供の前で、日曜学校だとはいえ、先生の権威を貶めるよ うなことはしてはならないはずだ。

 にもかかわらず、信者は吉川を妄信していた。吉川の言うことはすべて正しかった。

第2章 独裁と洗脳( 2 / 7 )

 伝道師や特訓生など専従の職員(まとめて「献身者」と呼んだ)のみならず、信者は、尊敬を超えて、明らかに吉川を恐れていた。

 怯えていた、と言っても過言ではない。

 吉川は常々、「教会には民主主義はありません。神権主義なのです」と公言していた。

 「神権」とは、吉川によれば、神の権威のことであった。そして吉川はそれを、牧師である自分が独占しているということを暗示した。言い換えれば、神の代理人としての吉川が絶対者だということだった。

 結局それは、吉川自身が神だということに他ならなかった。

 そんな吉川は信者に、「従順であること」を強要した。それは神への従順ではなく、明らかに自分への従順だった。

 根拠は、『ピリピ人への手紙』第二章一二節。

 「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい」、という言葉だった。

 何があっても牧師とその背後にある神の権威に逆らってはならない。

 イエスの救いである「愛」そのものよりも、この従順というコンセプトが、教会を支配していた。

 吉川は、「牧師命令」という言葉が好きだった。

 関西ペンテコステ福音教会の会堂は、最初に書いたように急な坂にあった。ある日吉川は、「自転車に乗ったまま坂を下ってはいけません。これは『牧師命令』です」と宣言した。牧師の命令は神の命令と同じで、誰も抗うことを許さないという意味だった。もちろんその日から、みんな自転車を押して坂を下った。これは 安全のためには悪くない命令だったが、いずれにしても「牧師命令」には「問答無用」の効果があった。

 吉川の切り札は、「除名」をちらつかせることだった。

 吉川は、古代・中世のローマ・カトリック教会が異端者を破門したことに倣っていたのだろうか。しかし、かの時代には、ヨーロッパ世界にはカトリック以外に宗 教は存在しなかった。というよりも、してはいけなかった。そして、ローマ・カトリックは国際政治と渾然一体となっていた。だからこそ破門宣告には効果があ り、「カノッサの屈辱」のような出来事が起こった訳だ。

 しかし現代社会においては、仮に教会に破門されても、教団が除名しても、他の教団の教会に行けばよいだけだ。

 いや、そもそも「信ずる者は救われる」、ではないか。

 だから、今から考えれば、牧師の除名宣告など、何の効力もなかったのだ。神はそんなものを認めはしないだろう。なのに、吉川はそれが恰も、死刑宣告と同じであるかのような、荘厳な言葉に見せかけていた。

 吉川は名前こそ出さなかったが、「私は過去にひとりだけ除名にしたことがあります」と口にしていた。

 それが誰だったのか。なぜそうしなければならなかったのか。吉川がそれを明かすことはなかった。「何らかの理由で除名された人がいる」。それだけで十分、地獄を恐れる信者に対する脅しになった。

 いずれにしても、吉川の叱責は神の叱責だった。

 吉川の前では、特に古参の信者は緊張していた。年配の人ほどそうだった。そういった余りにも緊張した関係はまずいと思ったのか、吉川は、意識的に自分を親しみやすく見せようとすることもあった。怒っていないときは笑顔を絶やさず、信者にも気さくに話しかけてはいた。

 「私 は牧師ですが、私にもへりくだりが必要です。私がもしも、教会にやって来た人に、スリッパを並べて出してあげられないようなら、私はもう終わりです」と、 吉川は口にした。だが、少なくとも私は、一度でも彼が会堂の入り口で、スリッパを人に並べるところなど見たことはなかった。逆に、誰かが必ず、吉川にス リッパを揃えて出していた。吉川は黙って履いた。それを当然のように思っていた。

 もちろん、吉川に何か注意することなど、誰にもできなかった。吉川はすべて正しいのだから。

 吉川はひところ、口臭がひどかった。歯を磨いていなかったらしい。何の理由かは忘れたが、歯科医にでも言われたのだろう。ある日から歯を磨くことにしたようだった。礼拝の説教の中で吉川はおどけながらその話をして、「皆さん、『吉川先生は口が臭いと思っていたでしょう』」と言い、会衆の笑いを誘った。
 これなどその典型的な事例だ。吉川自身が認めるまで、吉川のネガティヴな面は、誰にも注意できないし、諌められない。独裁者が自分の奇妙な服装や、支配する国家のこっけいさ加減に気づかない構造と全く同じだ。

 裸の王様。その一言に尽きる。
青木大蔵
信ずるものは、救われぬ
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