信ずるものは、救われぬ

第1章 教会と牧師( 5 / 7 )

 教会に通い始めたというのに、私はまだ、牧師には会っていなかった。

 日曜学校は、言うならば聖書の勉強会なので、大人のクラスもあったが、教えるのは牧師ではなかった。牧師はその時間帯、後で行われる日曜礼拝の準備をしているということだった。そして、中学生以上しか礼拝には出席しなかったので、私は牧師に会うチャンスを逃していたのだ。
 日曜学校と礼拝の間に、大人も子供も、出席者全員が会堂に集まる。そこで前週と比較した出席者や献金額の増減の発表などがあり、行事の案内や注意事項などさ まざまなアナウンスメントがあった。子供には関係のない内容がほとんどだったが、私たちは、献金額の発表が楽しみだった。
 黒塗りの手作り のボードに、数字のカードが貼られていて、増えたときは青、減ったときは赤で表されていた。同額のときは黒だったが、そういう偶然は余りなかった。私は母 から献金用にとして、毎週十円もらっていた。それは正直に献金したものの、自分の小遣いから、追加で献金する気もなかったくせに、私も毎回、他の子供たち と同じように、青字になることを期待していた。
 その時にもしかしたら、牧師は教会堂の片隅にいたのかもしれないが、私は全く覚えていない。暫く牧師を知らないまま、私は教会に通っていた。
 数ヶ月後のことだったと思うが、私は、大野に教えてもらって、小柄な脂ぎった顔の、ちょっと髪の毛が後退した中年男が、吉川清という名の牧師だと知った。

 吉川は確か、昭和六年か七年の生まれだった。

 だから当時は三〇代後半で、私の母と同年輩だった。徳島県出身で、自分を自嘲気味に「阿波の山猿」と呼んだ。
 吉川は田舎の高校から、大阪外国語大学(現、大阪大学外国語学部)英語科に現役入学するという優秀な若者だった。
 吉川によれば、卒業後は一流商社に入って海外勤務をし、「自分よりちょっとだけ背が低い、青い目の奥さんをもらうこと」が夢だった。
 
 しかし吉川は、在学中に結核に冒されてしまう。

 留年を繰り返し、結局大学を卒業することすらできなかった。自暴自棄になって、夢を自ら断った吉川は、酒とパチンコと喧嘩に明け暮れ、本人によれば、八回も自殺を試みたという。
 だが、その後間もなく、吉川は、スマートボール場の店員だったという年上の女性・民子と出会って結婚した。自活のために始めていた英語塾も軌道に乗った。

 吉川は暗闇から抜け出した。

 シャイで、生徒の親との応対などは大の苦手で、そういうことは何でも妻にさせていた。結核の既往歴があるのに、「光」(タバコの銘柄)を止められなかったなど と、吉川は、入信以前の、気も心も弱かった自分をよく振り返った。それは、活力があり、目立ちたがりで、何事にも積極的ででしゃばりな、牧師・吉川とは余 りにも対照的な像だった。
 
 そのように自分を変えられたのが、信仰のチカラなのだというのが、その自慢話のオチだった。

そ の弱気だった男が、なぜか、パチンコ屋で玉が出ないと台を叩き、裏から現れた用心棒のヤクザと喧嘩をしたというような武勇伝を持っているという。実のとこ ろ、消極的な吉川は、本当は実像ではないのではないか。私はこの話を聞くたびに、いつもその矛盾点に疑問を抱いていた。いったい、どちらが本当の吉川だっ たのだろうかと。

 さて、昭和三十年代の半ばのある日のこと、吉川は、無料で英語を学べるという、少なくとも汽車の写真なんかよりは、よっ ぽど人をひきつける餌に釣られ、ジェイソン・M・ブルームというアメリカ人宣教師がいる教会に足を運んだ。そして、プロテスタントの中でも非常に特異な祈 祷と礼拝で知られる、ペンテコステ派の教団、ジャパン・ペンテコステ・クルセーダーズ(JPC)の教会に入信したのだった。

 ペンテコステとは、五〇日祭とも呼ばれる、キリスト教の伝統的な祭日のひとつである。

 『使徒行伝』第二章によれば、イエスがイースターの日に復活した後、四〇日間信者たちの目の前に現れ、その実在を自ら証明して、昇天した。その一〇日後、即 ち、イエスの復活から五〇日目に、信者たちが集まって祈っているところに、「聖霊」(精霊ではない)が「舌」の形の炎のようになって信者たちに下り、彼ら が「異言」(ギリシア語の原典では、舌と同義の言葉が使われているらしい)で祈りを始めた。そしてそれが原動力となり、初代教会はパレスティナからローマ 帝国全土に広がっていったのだった。

 聖霊降臨は、イエスによって約束されていたものだった。それはこの物語の直前の、『使徒行伝』第一章八節にあり、その箇所を、ほとんどそのまま歌詞にした賛美歌を私たちはよく歌った。

 「ただ聖霊が
 あなたがたに下られるとき
 あながたは、力を受けて
 エルサレムとユダヤと
 サマリアの全土まで
 さらに地の果てまで
 わが証人となる」

 ペンテコステ派はその聖霊降臨が今日でも信者に起こると信じている。

 実際に聖霊が下ったと称する人は、祈祷の途中、意味不明の祈りの言葉を語りだす。テレビ番組などで時折紹介されることがあるので、見たことがある人もいるだろう。

 精神障害のひとつに「自動書記」という症状がある。

 手が勝手に動き出して文字を書くというものだが、それに似ている。集中した祈りにより、信者がトランス状態に陥り、「自動書記」同様に、「異言」を語ってしまうのではなかろうか。

第1章 教会と牧師( 6 / 7 )

 ペンテコステ派にはアッセンブリー系とチャーチ・オブ・ゴッド系二つの流れがある。

 アッセンブリー系は悔い改めによって魂の救済のための清めは完成しており、聖霊の満たしによって異言が起こると主張する。
 チャーチ・オブ・ゴッド系は、異言を「聖霊のバプテスマ」(バプテスマとは洗礼のこと)だと捉え、それを経ないと清めは完成しないと考える。

 JPCは前者の系統だった。

 英語が話せることも大きかったのだろう。ブルームに見込まれた吉川は、あっという間に長老(幹部)に任じられた。そして、吉川によれば、生徒や保護者に惜し まれながら、彼は繁盛していた英語塾の経営にあっさりとピリオドを打ち、紀泉聖書学院にしばらく通った後、三〇歳頃に牧師になった。

 吉川は、社会経験がないまま牧師になったに等しかった。

 大学を中退した後、英語塾の先生として、最初から「先生」と呼ばれた。そして今度は、「牧師先生」と呼ばれることになった。また、塾を経営していたということは、最初から経営最高責任者であり、教会でもそうだった。二重の意味で、吉川は上から人を見ることに慣れていた。

 ところで私は、長年、教師として学校という職場にいる。

 日本とアメリカで、小学校から大学まで、そして塾や予備校でも教えた経験がある。十を超える大小さまざまな学校現場を経験しているが、校種に関わらず、職員 室には、社会常識の乏しい先生が結構多くいた。新聞をにぎわすセクハラ教師や、授業やクラス管理ができない問題教師(そういう輩を実際に私は知っている) は論外だが、私が言いたいのは、社会人としての基礎ができていない先生が多いということだ。
 先生という仕事は、一年目でも二〇年目でも、生徒や保護者から見れば先生には変わりはない。これは先生と呼ばれる全ての仕事に当てはまることだ。教師、弁護士、医師。みんな最初からプロであることが求められており、最初から一人前だとみなされる。
 教師は、教室では独裁権を振るうことが可能な権威がある(最近では、「モンスター・ペアレンツ」の存在や学級崩壊などで、必ずしもそうでもないようだが)。だからそういう環境に錯覚する人もいるのだ。
 私自身は教師になる前の数年間、サラリーマンの一兵卒として、ヒエラルキーの一番下で仕事をした経験がある。上司にしかられ、顧客に文句を言われ、気の合わ ない先輩・同僚ともうまくやっていく。そんな中で人間と人間のコミュニケーションの技術を実践的に学んだ。わずか数年間だったので、もとより十分にではな かったのだが、社会人としての、最低限の訓練を受けて、特殊な世界に生きる教師という職に就けたのは幸運だったと思っている。

 それでもまだ私は、時々、自分自身が社会の「普通の人」からは、ちょっとずれているよう気がする。

 吉川はそういった社会経験が皆無だった。最初から彼は「大将」で、塾ではどうだったかは知らないが、残念ながら、教会ではそのように振舞った。
 もともとプロテスタントはひとつの宗派ではないので、カトリックのような統一組織を持たない。だから、決まった牧師養成過程は存在せず、教団ごとに牧師になる条件は違うし、懲戒や解職なども、教団という密室の中で行われることになる。
 極端な話、私が今日からひとりで教団を作れば、私はいつでも牧師を名乗ることができる。信者が来るかどうかは別にして、明日から教会や教団を主宰することは可能なのだ。

 「劇団ひとり」ならぬ、「教団ひとり」だ。

 牧師になるということは、医師や弁護士や教師など、国家資格や養成課程が厳格に決まっている職業とは違って、実は信教の自由、職業選択の自由、集会結社の自由といった、基本的人権の範疇で収まる話なのだ。これはある意味で恐ろしいことである。

 牧師の養成課程は、日本のカイロプラクターのそれとよく似ている。

 日本ではカイロプラクターは業界資格のみで、特定の学位を必要としないらしい。人の身体を扱うプロフェッショナルとして、アメリカでは博士号が要求されているのとは大違いだ。
 私が知っているあるカイロプラクターは大言壮語癖のある胡散臭い男だ。だが、健康関係の著書もあり、かつてはテレビにもよく出ていたらしい。ネットで名前を入れればヒットするような人物なのだが、カイロプラクターがドクターであるアメリカとのビジネスをするため、複数のディプロマ・ミル(学位製造工場の意味。法 的に認められていない「学位」を斡旋する業者・機関)に金を払って、医学博士の学位を買った。アメリカの会社との取引でその「学位」を騙った挙句、詐欺行為で訴えられた。裁判でそれが露見して敗訴すると、今度は、別の偽学位斡旋機関を通じて、フィリピンの大学に金を払って名誉博士号を買い、またもや名刺に堂々 と「医学博士」と刷り込んで配っているらしい。
 もちろん、だからといって、カイロプラクター全てが、こんな馬鹿ばかりだとは私は思わない。本当に腕のいい先生がいることを私は知っている。現に私の長年の腰痛を治してくれたのは、友人に紹介されて行った、日本のカイロプラクターだった。
 牧師はある意味で、人の心を扱うプロフェッショナル、のはずだ。しかし牧師は、カイロプラクターと同じく、「業界内の資格」だけで開業できてしまうのだ。

第1章 教会と牧師( 7 / 7 )

 アメリカの牧師養成も事情は同じである。ここではカイロプラクターになるのは難しいが、牧師になるのは自分の勝手だ。あるいは教団内の事情だけだ。だから当然、アメリカにも怪しい牧師はいるし、時々事件も起こる。

 宗教の危険さは、こういうところに潜んでいる。

 もともと宗教団体には、教祖なり指導者なりが、自らを神の代理人に祭り上げ、実際には神となって信者を縛りつけるような問題が発生しやすい土壌にある。

 冒頭に挙げた事件のような、淫宗邪教、異端、即ちカルトの類がそれだ。

 教団という上部統一組織が貧困な教会、組織組織の総帥が問題を持っている場合、或いは、上部組織を持たない単立のプロテスタント教会はその典型である。
 泉南キリスト教会は、一応JPB教団に属してはいたが、吉川は誰の指導監督も受けておらず、ほどんど単立教会のようだった。
 確かに、プロテスタントの中でも、保守的な教団の中には、大学で神学の学位を修めていることを牧師任命の条件にしているところもあるらしい。また、カトリッ クの司祭養成はかなり長い期間の修練過程を要し、妻帯は今も禁じられている。その弊害か、近年、司祭のセクハラや男色が問題になってはいるが、少なくとも それを監督責任がある司教や大司教、宗派の長であるローマ法王が放置しているわけではない。
 しかしこのブルームが作ったJPC教団では、個別の教会の牧師の裁量で、新たな牧師が任命されていた。
 それに倣い、吉川の弟子にあたる牧師の中には、彼が教会内に作った、言わば牧師養成の聖書学校である「ロゴス・アカデミー」を卒業したに過ぎない人もいる。彼らは、言わばディプロマ・ミルを卒業したことで、牧師となっているのだ。
 誤解しないでいただきたいが、牧師は大学の神学部を卒業していなければならないというような、偏狭な考えを私は持たない。日本にも腕のいいカイロプラクター が存在するのと同じだ。またディプロマ・ミルでも立派な教育をしているところはあろう。しかし、「人を牧する師」と称するからには、せめてその職務に見合 う知性と最低限の知識を持ち合わせていることくらいは期待したいとは思っている。

 知性とは深い教養に基づくものだ。

 知性とは人格を構成する要素である。そして知識とは、聖書のどこに何が書いてあるとかいう断片的な知識や、或いは原典を読めもしないのに、日本語の解説書で つまみ食いして、ヘブライ語やギリシア語を振りかざすような、薄っぺらな神学もどきの知識のことではない。その知識とは、偏りのない一般教養や日本人とし ての常識のことだ。

 日本でキリスト教が低迷する理由の一端は、聖職者の知的レベルが低いというところにもあるようだ。

 もちろん、すべての聖職者がそうだとは言わない。しかし、高学歴社会となり、多くの人が自分の専門分野や社会事象に一家言を持つこの時代に、牧師が少々の学問をしたところで、人々を説得し、人生を解くのは難しいだろう。

 だからこそ余計に、知識だけではなく知性が必要なのだ。

 牧師たちに言わせれば、神からの教え、そして聖霊に導かれた賜物が重要なのだということになろうが、それに気づかせるためには、世の知恵も必要だし、人格からにじみ出る知性が求められるのだ。
 明治時代、文明開化と共に、キリスト教も解禁になって、知識人の間にキリスト教ブームがあった。それが長続きしなかったのは、実は、日本人牧師の知性の低さ だったという説さえあるのだ。信者になった知識人よりも、それを教え諭すべき牧師の知的レベルのほうが低かったわけだ。それでは長続きすまい。
 近年でも日本のキリスト教人口は、宣教師、神父、牧師や伝道師、そして信者たちの熱心な伝道にも関わらず、一向に増えてはいない。カトリック教会、正教会、プロテスタント諸派を併せて百万人程度。つまり、人口の一パーセントよりも少ない。
 あの創価学会が単独で、公称百万人を誇るのと大違いだ。もちろん、数が多ければよいと言うわけではないが、その歴史と教会数の割には、お粗末ではないか。

第2章 独裁と洗脳( 1 / 7 )

 「彼らは心をひとつにしている。
 そして、自分たちの力と権威とを
 獣に与える」。
 『ヨハネの黙示録』第一七章一三節。


 泉南キリスト福音教会、関西ペンテコステ福音教会の牧師・吉川清は、端的に言えば、恐怖で信者をコントロールする、たちの悪い小国の独裁者のような存在だった。
 ヨシフ・スターリンや毛沢東のような巨悪ではない。エンベル・ホッジャやポル・ポト、いや、それでもまだ大きいかも知れない。現に、吉川の名前は、逮捕され たり告発されたりした他の悪徳牧師、不良牧師ほどには知られてはいない。大阪のプロテスタントの世界だけで、その悪名が響き渡っているだけだ。
 吉川はナチスや北朝鮮の強制収容所長のような独裁者だ。本当は名もない彼らに権威などない。しかし、総統や偉大な将軍様の権威を盾に、全く無力な収容者を支配する。その類の最も醜悪な独裁者だ。
 すべての宗教は、ある種のマインド・コントロールを含むものだが、吉川のそれは、自分を神の代理人の地位に置き、逆らえば「地獄へ落ちる」という恐怖心を巧みに操るものだった。プロローグに紹介した、韓国から来た背徳牧師の「欺瞞的説法」もそれと同じだろう。

 実際、幼い私が最初に吉川から受けた印象は、「恐そうなおっちゃん」だった。

 ある日、日曜学校と礼拝の間にある例の集会の最中、どういう経緯かは覚えていないのだが、その時間帯にはあまり発言しない、というか、顔も出さなかった吉川が会堂内にいて、私たち子供もいる前でこう言った。

 「特訓生・伝道師は、私に絶対服従です。何を言っても私に従わなければなりません。例えばですね…。はいっ、特訓生、伝道師は全員『ひょっとこ』の顔をしなさい」

 当時牧師は吉川だけだった。伝道師とは、牧師に次ぐ専従の者で、時々説教もした。特訓生とは、吉川が名づけた制度で、牧師になるための訓練を受けている住み込みの信者のことだった。
 私は周囲を見渡した。私の先生である福井も、若山も、恥ずかしそうに口を尖らせている。大人も子供もみな、大声で笑った。

 そして吉川は満足げに、「こういうことです」と信者に向かって言った。

 たぶん、伝道師か特訓生の誰かが、吉川に口答えでもしたのだろう。それで、示しをつけるために、子供も含めた全信者の前でそんな馬鹿なことをさせたのだ。
 幼い私は、「牧師先生は一番偉いんや」と、素直にそう思っただけだったが、今から考えれば、そんなコケオドシは、本当は私たち子供にしか通じていなかったは ずだ。冷静な大人なら馬鹿にしたことだろう。そして、教育的観点から言えば、少なくとも生徒である子供の前で、日曜学校だとはいえ、先生の権威を貶めるよ うなことはしてはならないはずだ。

 にもかかわらず、信者は吉川を妄信していた。吉川の言うことはすべて正しかった。
青木大蔵
信ずるものは、救われぬ
0
  • 0円
  • ダウンロード