信ずるものは、救われぬ

第4章 教義と解釈( 3 / 7 )

 吉川の科学否定の際たるものが、進化論の否定だ。

 吉川によれば、ダーウィンの進化論は「種は進化する」という仮説に過ぎない。だからすべての種を、神が創造したことも否定できないのだそうだ。
 しかし、単純な話だが、化石や地層を見れば、進化の痕跡は様々なところに見受けられる。
 炭素年代測定法の知識は、今や小学生でも持っている。確かに、進化の枝をたどっていくと、動物と人間の間には断絶がある。サルと人間の間にある深い谷間は、昔に比べればずいぶん埋まったが、まだ今のところ、明確な中間種は見つかっていないのではなかろうか。
 ただ、少なくとも生命の誕生から、最も進化した動物である類人猿までの連綿とした進化を、私を含む常識人は否定しないし、アウストラロピテクス群からホモ・サピエンスへの段階的な進化を否定しない。
 問題は、類人猿からヒトへの進化の間にある謎だけなのだ。どうして言葉が生まれたのか、どうして文明が発生したのか。そこが謎になっているだけで、ボノボや母系ミトコンドリアDNAの研究などを見れば、私たちも、進化の枝の延長線上にあると考えるのが自然だ。だから進化そのものは謎でも何でもないし、それを何の根拠もなく否定するのは、狂信者だと言えよう。
 アメリカのプロテスタント教会の保守派にも、進化論を否定する人はたくさんいるし、学校でそのように教えるように要求しているグループさえある。だから、進化論否定に代表される科学否定は、吉川とJPC教団だけの問題ではない。
 私は疑問に思うのだが、そもそも、多くのキリスト教信者が、進化論を否定することは、神を否定することだと、なぜ考えてしまうのだろう。

 神はそんなに無力なのだろうか。

 私は、信者であったころから、神が進化をコントロールしたと思って、それを合理化していた。神だから生命を進化させられたのだと信じていた。
 確かに、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」と、『創世記』第二章七節にあり、それをかたくなに信じれば、少なくとも人間に進化の枝が伸びているとは思ってはいけないのだろう。

 しかし聖書の言葉は、明らかに何かの象徴なのだ。記紀が語る、国産み神話と本質的には変わらない。

 吉川やその弟子たちは、聖書は象徴的に物事を語っていると、都合の良いところでは自分勝手に合理化していたが、この箇所ではかたくなになっていた。
 長らくカトリックは、地球が丸いこと、地動説を公式に否定していたが、地球が丸くても、地球が動いていても、神の権威には何の影響もなかったはずだ。かえって、宇宙空間に巨大な球体である地球を自転させ、正確に公転させている神の方が偉大ではないか。それと同じように、神が進化をコントロールしたことを信じることで、さらに神の権威は増すのではないか。私が牧師ならば、自然界は神の偉大さを象徴する完璧なシステムだと教えるだろう。
 私の高校時代の化学の先生は、修士号を持っている優秀な人であった。生意気な高校生を相手に、いろいろな常識を教えてくれた人だった。この先生が、私が熱心なクリスチャンだということを知って、ある日こう話してくれた。
 「科学的に考えれば、神なんていないと言うことは簡単なんだけど、私が自分の専門分野である化学を追及していくと、どうしても、『なぜこんなに調和しているんだ』と思う場面に出くわすんだよ。例えば、周期律表が、規則正しくちゃんと並んでいることや、原子の周りを電子がちゃんと回っているのも、素朴に考えたら、うまくいきすぎているんだ。だからそういうのを見ていると、神はいるのかなと、考えることもあるんだよね。」
 科学と神を一致させるという「クリスチャン・サイエンス」は、日本では異端とされているが、別に彼らのように科学的にこじつける必要はない。科学の目を通じて、神の偉大さを考えればよいのだ。

 それにしても吉川の進化論否定は穴だらけだった。

 吉川はすべての人類が、アダムから始まったと主張したが、その根拠とする『創世記』にある人類の起源の件を読んでいると、アダムの子孫だけで地上に人類が増えたとは思えない記述が見られる。
 『創世記』第四章一七節によると、アダムの長男カインは、嫉妬心から弟アベルを殺して、エデンの東、ノドという場所に追放された。そこでカインは結婚し、エノクをもうけたが、カインの妻の名は記されていない。
 アダムとエヴァにはひとりだけ娘がいたが、彼女が生まれたのは、カイン追放の後のことであって、カインの妻がその妹でないことは、明らかだ。
 そうすると、登場人物だけを見れば、残りの可能性は、カインとエヴァの母子相姦だけだ。
 しかし、それが行われていたとすれば、ロトが自分の娘と交わった時(『創世記』第一九章三〇~三八節)と同じように、何らかの記載があるはずではないか。聖書は近親相姦をタブーとして教えているのだから。
 そして、もしも『創世記』の作者が、アダムがすべての人類の祖だと確実に教えたいのなら、無理にでもカインの近親相姦を書かねばならなかったはずだ。

 しかしどこをどう読んでも、カインの妻は、アダムの他の子孫や母・エヴァではないとしか読めない。

 一方、『創世記』第六章一~五節にこのような記述がある。「神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。(中略)そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々で あった」。
 この後、地上に悪がはびこったため、神はノアとその家族を「方舟」で救う。
 さて、ここで始めて登場する、「ネピリム」(または「ネフィリム」)の父である「神の子」は、いつ創造されたのか。何者なのか。天使なのか。聖書にはその記述はない。
 ネピリムはこの箇所以外にも登場し、読者を知的な迷宮に誘う。
 『民数記』第一三章三二~三三節には、「わたしたちが行き巡って探った地(筆者注、カナン)は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」とある。
 さらに、その影響を受けたと思われる旧約外典の『ヨベル書』や、エチオピア正教では旧約の正典とされる『第一エノク書』にも、「ネフィリム」、「巨人」という表現がある。
 聖書をすべて一言一句信じるなら、「ネピリム」や「巨人」の存在も信じねばなるまい。しかし、私はこれらの人々について、吉川やその弟子たちから、聖書の解釈を聞いたことはなかった。読み飛ばすか、無視するかしていた。もちろん、私が覚えていないだけだと批判されるかもしれないが、それは私の記憶に残らない 程度の、ちんけな解釈しかしなかったということだ。

 このように聖書にだって吉川が小ばかにした日本神話とほとんど変わらない、現代人からすれば荒唐無稽なストーリーが展開されている。
 これらの表現が意味するのは、素直に読めば、神の創造の系譜とは別の人類が地上にいたということだ。アダムが唯一の人類共通の先祖であるとはどこにも書かれてはいない。それは、土台無理なこじつけなのだ。
 私は、他の常識的な人と同じように、この記述には、古代オリエント人に語り継がれた素朴だか貴重な史実が、そのまま反映されているのだと思う。
 アダムはひとつの人類グループの祖であり、彼の子孫がメソポタミアに広がった。その間、「ネピリム」、或いは「巨人」と、アダムの子孫が名づけた異邦人や、他のグループとの接触もあった。素直にそう考えればよいのではなかろうか。

 『創世記』第六~九章にある「ノアの洪水」が、本当にメソポタミアであったらしきことは、『ギルガメシュ叙事詩』に、同様の洪水の記述が存在すること、また、地質学の研究などからほぼ明らかなようだ。アダムといい、巨人といい、洪水といい、語り伝えられた史実のパッチワークが、旧約聖書の神話だ。
 それはまさしく、記紀と同じ構成ではないか。
 例えば、神武天皇による東征の記述は、弥生文化の勢力が、縄文文化の勢力を西方から東北へ追いやる過程を、皇室を中心とした物語として編み上げたものであって、事実を反映してはいるが事実そのものではない。
 そして、仁徳天皇の好色や、武烈天皇の残忍、皇位簒奪をにおわせる神功皇后と応仁天皇、不可解な皇位継承の継体天皇など、記す必要がない、皇室にとって「不利な」物語も記紀には散見される。特に『日本書紀』などは、皇室中心ではありながら、「一書によると」という表現で、他の伝承にも多数言及している。
 これらは、正直に、「ネピリム」や「巨人」について言及している、『創世記』の作者の「良心」に通じるところがある。
 ところが吉川やその弟子の説教は、聖書だけでは説明がつかない部分に(聖書以外の、歴史や考古学などの書物を読まない、彼らの勉強不足もあるのだろうが)都合よく蓋をして、つじつまの合う部分だけを結びつけた内容だった。
 こういった『創世記』の謎解きの、本当は知的興奮を覚える面白い部分を、吉川もその手下も、完全に無視していた。
 それはちょうど、皇国史観による国史のようなものだった。
 『三国志』の著者が「卑弥呼」と表記した三世紀の「倭国」の女王が、記紀では誰にあたるのかを、記紀の記述だけを頼りに、無理やりに神功皇后だと決め付けるかのような解釈を、吉川たちは平然と行っていた。無知な、いや、自らが愚民政策で無知にした、聖書解釈を許されていない信者を煙にまこうとしていたのだ。

第4章 教義と解釈( 4 / 7 )

 このようにプロテスタントは、聖書至上主義だというが、その一方で、都合の悪いところは聖書を適当に解釈し、お茶を濁すのだ。知的には興ざめである。少なくとも、吉川や浮田はそうだった。

 彼らが最も説明困難だったのが、イエスをユダヤ人に売ったイスカリオテのユダの最期だ。
 これは福音書と『使徒行伝』で記述が大きく違っている。
 『マタイによる福音書』第二七章一~八節にはこうある。
 「夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。その時、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、『わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、 罪を犯しました』。しかし彼らは言った、『それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい』。そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、『これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない』。そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている」。

 ところが、『使徒行伝』第一章一六~一九節には、ペテロの言葉として、このように記されている。
 「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。彼はわたしたちの仲間に加えられ、この務を授かっていた者であった。彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。『血の地所』との意である」。

 たぶん、成立年代に顕著な違いがあれば、古いほうが事実を反映しているものと予想されるが、両書の成立は紀元八〇年前後で、大きな差はないようだ。しかし、片方は自殺、片方は事故死という正反対のストーリーは、たぶんどちらかが、事実をわざと反映させなかったはずだ。

 有体に言えば、マタイかルカか、どちらかが嘘を書いたのだ。しかし、私はそれを批判しているのではない。

 私害いたいことは、聖書にも間違いはあるし、初代教会の使徒たちが、迫害の中で頑張っている信者を力づけるために、誇張したところもある。そういう当たり前のことを認めればよいのだ。
 私は、信者であった当時、こういった矛盾に対して、「聖書には事実が書かれていないかもしれないが、それは神の許容される範囲での誤りであって、それよりも何よりも、学ぶべき真理がそこにある」という言葉で、自分で聖書の内容を合理化していた。
 だから、ユダが首をくくったか、転落死したかは、イエスを信じる上で大きな問題ではなく、彼がイエスを裏切ったこと、そのために地獄に行ったことだけが本当は問題なのだ。わからなければ、正直にそう言えばよいのだ。「わかりません」と。
 ところが浮田はある時、このユダの死についての矛盾を誰かに突っ込まれたと見えて、説教中に鼻息を荒くして、「聖書に書いてあるから、どちらも起こったのです。首をつって、死体が落ちて、はらわたが流れ出たのです」と、興奮気味にまくし立て、幼稚で乱暴に解釈を信者に押し付け、同意を求めた。
 「アーメンですか」と。
 土地は誰が買ったのか、土地が買われたのはユダの生前なのか死後なのか。後者だとすれば、ユダはイエスのように蘇ったとでも言うのか。同時に起こったというだけで、論理矛盾は一切解消させていない。これは解釈ですらない、ヤケクソである。聖書に書いてあることはすべて事実だから、これでいいのだ。「神には何でもできる。反論無用」という訳だ。
 私は他の信者と同じように、強制されて「アーメン」と唱えながら、この無知性、無教養な牧師に辟易としていた。

第4章 教義と解釈( 5 / 7 )

 浮田の出鱈目さは、聖書解釈だけではなかった。

 私は大学で語学専攻だったので、四年間、専攻語学の中国語の授業は、同じクラスの仲間と過ごした。残念なことにその間、私のクラスから二人の自殺者が出た。
 この話をした時浮田は、「あなたのクラスは呪われているから、皆を連れて来なさい」と真顔で言った。
 しかし、もしも本当にそう思っているのなら、自分からキャンパスに赴けば良い。そんな気など毛頭ない、つまり、真剣に心配などしていないのに、言うことだけは一人前だった。もちろん私は、そんな無責任な言動に付き合う気はさらさらなかった。

 私は高校時代の失敗に懲りていた。

 飲酒のタブーも、やはり吉川たちの勝手な解釈だった。
 牧師たちは、『エペソ人への手紙』第五章一八節に、「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである」とあるのを、今度は字面どおりにそれを読むことを拒否して、「酒を飲むな」と勝手に解釈し、信者に飲酒を禁じていた。
 しかし、聖書によれば、イエスが最初に行った奇跡は、ガリラヤのカナで、水をワインに変えたことではなかったのか(『ヨハネによる福音書』第二章)。ワインは婚礼に必要不可欠だったから、イエスは水をワインに変えて、婚礼の場で、知人の面目を保ったのだ。

 イエスもワインを飲んだことを、みんな忘れているのか。

 いわゆる最後の晩餐の席で、イエスはパンとワインの杯を弟子たちと共にした(『ルカによる福音書』第一二章一七~二〇節他)。それに従って、カトリックではミサ中の聖体拝領(イエスの血と肉を象徴するワインとイースト発酵させないパンである聖餅を神父から受け取る)の際に、実際にワインを使っている。
 しかし、関西ペンテコステ教会では、聖体拝領を模した「聖餐式」に「グレープジュース」を使っていた。しかも百パーセント果汁でないものを。英語では、百パーセントではないものを、ジュースと呼ばないことくらい、英語に堪能な吉川は知らなかったのだろうか。
 ワインは百パーセント、ブドウから作られる。イエスの血を象徴するのだから、水を混ぜて薄めたものでよいはずがない。ワインを使わないのなら、せめてそれくらいはこだわればよいものを、アルコールを抜けばそれでよいと乱暴に、浅墓に考えていたのだろう。
 もしも、ミサと同じように、イエスの最後の晩餐を、聖餐式で再現するのなら、ワインと同様、そこで供されるパンは、無発酵のパンでなければならない。なぜならそれは、『出エジプト記』第十二章に登場する、「過ぎ越しの祭」の伝統を踏襲しているからだ。
 神の導きによって、奴隷となっていたエジプトからユダヤ人が脱出する直前、頑ななファラオを懲らしめるために、神がモーセを通じて、様々な災厄をエジプトに齎した。これを「十戒」に倣って、「十災」と呼ぶ。映画『十戒』でも、ナイル川の血が水に変わったり、ファラオの子が死んだりしたシーンで表現されていることで、読者もご存知だろう。
 この、ファラオの子が死んだ時、ユダヤ人の家では、羊を屠り、その血を家の入口に塗ってしるしとしたた め、死の使いがその家を過ぎ越し、彼らは守られた。その際、家の中では、羊の肉と種入れぬパン、即ち無発酵のパンが供された。過ぎ越しの祭とは、それを記念するもので、「除酵祭」とも呼ばれる所以だ。

 しかし吉川は、そんなことはお構いなしだった。

 いんちきなジュースもそうだが、パンはただの食パンをサイコロ状に切ったものだった。
 関西ペンテコステ福音教会ができた直後の聖餐式で、吉川は今までとは違ったパフォーマンスを見せた。
 それまで、聖餐式のパンは、礼拝の前に、切りわけてステンレスのトレーに盛り付けられていたのだが、その日吉川は、聖餐式に必ず歌われる、聖歌五五〇番を信者が歌う中、白い手袋をして、大きな食パンをその場で切り分け始めた。

 「その血もてわが身を
あがないしイエスきみ
いかにしてわれ
御旨をなす民となりうるか
みもたまもわが主よ
とりたまえいまより
喜びの日も
憂いの夜も
わが主にしたがわん」

 パンは信者の一体を表すので、大きなパンでなければならない。小さなナイフで吉川がそれを切り、他の牧師や伝道師たちがそれを信者に配ったのだが、三百人の信者がいるのだ。切り分けるのに小一時間かかってしまった。私たちは何回同じところを歌ったかわからない。全員がパンと杯を受け取ったときには、吉川も信者も疲れ果てていた。
 このパフォーマンスは一回限りとなり、次の聖餐式は、元の形式に戻された。もちろん、誰もそれについてとやかく言うものはなかった。

 飲酒の話に戻ろう。
 パウロも、弟子のテモテに「水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい」(『テモテへの第一の 手紙』第五章二三節)と忠告している。それなのにどうしてプロテスタント教会では、飲酒する人間を罪人扱いにするのだろうか。
 一般的にカ ルトと認識されている、あのエホバの証人が、『レビ記』一七章一〇節にある戒律の中の「イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれで も、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう」という言葉を、「輸血をしてはいけな い」と拡大解釈しているのは有名な話だ。輸血拒否で死人さえ出ている。
 この「血を食うな」というユダヤの戒律は、寄生虫病を防ぐために豚肉を食うことを禁じた戒律と同じく、たぶん消化不良を防ぐための生活の知恵であり、また邪教の儀式を禁じるためのものだった。聖書のどこにも輸血という言葉は出てこない。輸血という概念がなかったのだから、神が輸血を禁じる訳がないのだ。
 マスコミを時折にぎわす、これもまたカルトとして有名な統一協会。その教祖である韓国人・文鮮明は、聖書にあるアジアという記述を、何の根拠もなく朝鮮半島だと解釈している。しかし聖書時代のアジアがトルコ以東、ましてや極東を指すことはあり得ない。
 ところが正統を以って自認しているプロテスタント諸派も、飲酒という点では、五十歩百歩だ。

 誰がエホバの証人や文鮮明を嗤えると言うのだ。

 それがプロテスタ ント流の解釈だからだと言えばそれまでだが、そんな矛盾のある解釈では、やはり知性のある人や、聖書学やオリエントの歴史を少しでも勉強した人を納得させることはできまい。

第4章 教義と解釈( 6 / 7 )

 聖書の教えとして、信者を精神的に縛る大きな要素となっていたのは、吉川のキリスト再臨論、つまり終末論だった。
 イエスの再臨について吉川はこう言って憚らなかった。
 「イエス様がお生まれになったのは、実際には紀元元年ではなく、その数年前だということがわかっています。ですから、紀元二〇〇〇年の数年前には、イエス様は来られます」。
 そうなのだ、驚くべきことに吉川は、イエスの生誕二〇〇〇年にあたる一九九〇年代の終わりに、イエスが再臨すると「予言」していた。私ははっきり覚えている。だからこそ私は、バスに乗り遅れないように、毎週教会に通っていたのだから。
 『マタイによる福音書』第二四章三六節には、「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」とイエスが弟子たちに述べたことを、吉川はどうして無視したのだろうか。
 
 昭和四〇年代後半に、『ノストラダムスの大予言』という本がベストセラーとなったのは、ご承知の通りだ。
 中学生だった私もこれを読んだが、「一九九九年七の月」に恐怖の大王が降りて来るというセンセーショナルな予言解釈は、地球が滅ぼされるというイメージ、そして吉川の言うイエス再臨の年の予言と微妙に重なり、私を不安に陥れた。
 二一世紀は来ないかも知れない。私は本当にそう思っていた。
 キリストは世の終わりに再臨する。その時信者は、天国に迎えられる。これはキリスト教信仰の中心的なテーマであるが、前述のゴンザレス神父は一九九〇年代末、いわゆる世紀末のころ、私に笑いながらこう言った。
 「私たちが生きている間には、イエス様の再臨はありませんよ」、「(神父である)私も直接天国には行けませんよ。みんな煉獄ですよ」と。
 聖職者であっても、信者であっても、それが「再臨」に対する常識的な反応だろう。その日にイエスが再臨するかどうかは別にして、地球が終わる日を、誰かが知っているはずなどない。
 エホバの証人は、一九七五年のハルマゲドンを予言し、それが外れたためにアメリカで信者が激減して、日本や台湾など、アジアでの布教に力を入れ始めたとい う。結局吉川は、統一協会、モルモン教と並んで、「三大異端」として嫌っていたエホバの証人と同じように、当てずっぽうに予言をしてそれをはずし、責任を取らなかったということだ。
 このイエス生誕後二千年目の再臨という根拠はこうである。
 『ペテロの第二の手紙』三章八節に ある「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」という言葉を、一日=千年と短絡し。そして、神が七日で万物を創造し終わったので(『創世記』第二章二節)、天地創造から六日間=六千年でイエスが再臨し、信者を天に引き上げる。そして 最後の千年、神は働かない。七日目は安息日だからだ。その間、大患難の時代がやってくる。ハルマゲドンがあり、最終的にイエスは再び地上にやってきて、悪魔を滅ぼす。
 天地創造から千年毎には節目の出来事があり、天地創造から四千年目がイエスの生誕、それが真の紀元元年。そしてその二千年後がイエスの再臨。
 二一世紀になった今、吉川がどんな言い訳をしているかは興味深いところだが、この単純な聖書の物語の継ぎはぎは、吉川一派のみならず、多くのプロテスタント教会が採用していた。
 しかし、その根拠は薄弱だ。
 聖書をそのまま信じるのならば、「一日は千年のようだ」とは書いてあっても、一日は千年だとは書いていないわけだし、人類の創造が、紀元前四千年だというの も、荒唐無稽な話だ。そのころエジプトには既にピラミッドがあった。恐竜の時代はどこへ行ったのだ。ナンセンスもいいところだ。

 この吉川の再臨論を信じて、マイホーム購入を断念した信者さえいた。
 バブル前の一九八〇年代の半ばごろの話だ。二〇〇〇年までにキリストの再臨があるのなら、家なんか買うのは無駄だということだった。今彼らがどんな思いでいるのか、考えただけでも気の毒である。
青木大蔵
信ずるものは、救われぬ
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