『大空を見てと彼女は言った』

【GI連動短編恋愛小説】大空を見てと彼女は言った

【GI連動短編恋愛小説】大空を見てと彼女は言った

「大沢君、シェイカー振るの様になってきたねえ」

マスターから言われて、ちょっと気恥ずかしかった。

このバーでバイトを初めて1ヶ月。

最初はホール係とカウンター周りの雑用をするだけだったが、今週から少しずつカクテルの作り方を教わっていた。まだお客さまに出せるレベルではないけれど。

そんな夜に彼女は現れた。

僕はショートカットの女の子には興味が無かったのだけれど、彼女を見て初めてときめいてしまった。

バーの薄明かりの下でも目立つ、化粧映えのする整った目鼻立ちは、いかにも「私デキル女です!」というオーラを発していて、僕のド真ん中ストライクの正統派美人だった。

「い、いらっしゃいませ」

カウンターをはさんで真向かいに座られて、思わずどもってしまった。

「こんばんは」

ヤバい。大きな瞳で返されて緊張する。長いまつ毛が色っぽいんですけど・・・

「こんばんは。何にいたしますか?」

代わりにマスターが応じていた。

彼女がメニューに目を落とした隙に、脚を蹴られた。ここはマスターに任せるしかない。

僕は灰皿を交換するためにテーブル席をまわった。

OLさん、24、5歳くらいだろうか。

カウンターに戻る時に後ろ姿を見たら、5cm位のヒールを履いた足首がキュッと締まっている。たまらない!

オーダーはジントニックだったみたいだ。マスターがボンベイサファイアのボトルを片づけている。

彼女はカウンターで本を開いていた。

待ち合わせかな?

どんな彼氏だろう?

こんな綺麗な女性と付き合えるなんて、なんて幸せ者なんだコノヤロー!

僕は顔も分からない男に嫉妬した。

「お代わりお作りいたしますか?」

マスターがそう声をかけるまで約30分、しかし誰も彼女の横には座らなかった。

彼女はまたジントニックを注文し、さらに10分以上経過した。

待ち合わせじゃないのだろうか?

週末以外はヒマな店だけど、それにしても平日の夜にカウンターで本を読むだけの女性客なんて珍しい。チャンスかも。

「何読んでるんですか?」

僕は意を決して声をかけた。

「哲学書」

返す言葉が無かった。沈黙が流れる。

マスターはテーブル席から入ったオーダーを作っていて助けてくれない。

「ねえ」

声をかけたことを後悔しかけたけど、今度は彼女の方から話しかけてきた。

「あなた最近本読んだ?」

「最近は読んでないですねえ」

「好きな作家は?」

「えーと、村上春樹です」

「うそ!?私も大好きなんだけど」

「すみません。今、心の中読みました」

きゃはははっ!と彼女が笑った。

良かった。ウケた。

本当は村上春樹なんか読んだことなくて、すぐに思いついた名前を言っただけだけど。

「ねえ、どの作品が一番好き?」

(げっ!やばい)

「すいません。本当は良く知らないんです」

僕は頭をかいた。

「謝らなくていいわ。悪意の無い嘘はいいのよ。嘘つかない人間なんていないんだから。
絶対嘘つかないなんて言う男は、いつかとんでもない大嘘つくし」

そう言って彼女は本をハンドバッグにしまうと立ち上がった。

「お帰りですか?」

うちはキャッシュオンデリバリーだから、レジ精算は無い。

「これ・・・」

僕は慌てて自分の電話番号を書いたコースターを渡そうとした。

「これ、僕の電話番号です。よかったら連絡ください」

「百万年早いわよ」

彼女はそう言って出口へ向かった。もちろんコースターなど受け取らず。

シビレた。

とりあえず受け取ってもらえても、電話がかかってくる確率は1割くらいかなあなんて思ってた僕の期待は木端微塵。

「お前勝負師だなあ」

そう言って横でゲラゲラ笑うマスターが救いだった。

「いやあ、でもマジで綺麗な人でしたねえ」

しばらくして、カウンターに彼女が戻ってきた。

化粧室に入って帰るのかと思っていたので、僕はまた慌てた。

「すいません。グラスかたずけちゃいました。てっきりお帰りだと思って」

マスターと2人で謝った。

「いいんです。ほとんど飲んでしまっていたし。今度はドライマティーニをください」

ハンドバッグからまた本を取り出すのかと思ったら、煙草だった。

「煙草きれてるの。コレ置いてるかしら?」

彼女はマルメンの箱をかざした。

「すいません。メンソールは置いてないんですよねえ」

「サービス悪いわね。自販機で買ってきてよ」

「えっ、僕が?」

「そう、あなたが」

横で僕たちのやりとりを聞いていたマスターが、笑いながら「いいよ」と言ってくれた。

僕は店を出て、外の自動販売機へパシリにされた。

「ありがとう」

5、6分後、マルメンを買って戻った僕に、彼女は笑顔を見せてくれた。

「どういたしまして」

2ブロック先まで走ってきたことが報われる笑顔だった。

「さっき私が煙草買って来てって頼んだ時どう思った?」

正直めんどくせーと思ったけど、言えるはずがない。

「黙ってるってことは悪い印象ね」

そう言って、彼女は前から持っていた方のマルメンBOXのフタを開けた。

空き箱かと思ったら、まだ5、6本残ってる。

「あなたに自販機に行ってもらってる間、マスターに色々聞いていたの。あなたのこと」

彼女はそう言って悪戯っぽく笑った。

「騙したんですか?」

「お返しよ」

「じゃ、俺休憩するから」

マスターはニヤニヤしながらそう言ってバックルームに消えた。

彼女はBOXから煙草を1本取り出すと、細長い銀色のライターで火を付けた。

百円ライターじゃないところが絵になってる。

紅い唇から、一直線に白く細い煙が吐き出された。

煙草を吸う女は嫌いだなんて言う奴は、一度彼女が吸う姿を見るといい。

まだ1か月とはいえ、店内でいろんな女性客が煙草を吸っているのを見たけれど、彼女のそれは映画の1シーンのように格好良かった。

「あの、失礼ですがお名前なんていうんですか?」

「本当失礼ね。相手に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが礼儀でしょ?ヒロキくん」

「なんで僕の名前を?」

「マスターに聞いたから。私は遠山さつき。ちゃんと名乗ってから聞いたわよ」

参ったな。完全に彼女のペースだ。マスターはどこまで俺のことを喋ったのだろう。

でも、心なしか彼女のガードが甘くなったような気がする。ジントニックとドライマティーニのせいだろうか。

「今日はお1人なんですか?」

「見ての通りよ」

「待ち合わせかと思ってました」

「誰と?」

「それはまあ彼氏とか」

「私に彼氏がいると思う?」

「そりゃそんなに綺麗なら」

「なのに電話番号なんか渡そうとしたわけ?」

たじたじだ。さつきさん、多分かなり頭がいい。

「すいません。一目ぼれです。仲良くなりたくて。せめてまたお店に来て欲しくて」

「ひとつ教えてあげる。女性に質問する時は、どんな答えが返ってくるかも考えてから質問しなさい」

「はい」

「もし私が彼氏と待ち合わせって答えたらどうするつもり?」

「あきらめます」

「はあ。浅はかね」

彼女はため息を吐いた。

「大丈夫。彼氏なんていないわよ」

さつきさんは笑って言ったけど、それが果たして本当なのか嘘なのか僕には皆目解らなかった。

「本当に哲学書読んでたんですか?」

「私は本当のことしか言わないわよ」

意味ありげに笑うから、その答えすら怪しい。何か哲学的な意味があったりして。

「あなた、女性とうまく付き合いたいなら、相手の言葉に込められた気持ちを理解しなきゃだめよ」

こんなに上から攻めてくる女性に出会ったのは始めてだ。

「じゃあそれ、さつきさんが教えてください」

思わず本心から言った。

「授業料高いわよ」

「お金取るんですか?」

「馬鹿ね。そうねえ、ディズニーランド行きたいな」

「ディズニーランド?」

「そう。行かない?私と一緒に」

本気だろうか?何かまた裏がありそうで返事をためらった。

「善は急げ。今度の日曜日行きましょうよ。日曜はお店休みでしょ?それとも彼女とデートの約束でもあるの?」

「いや、僕今彼女はいないですけど・・・」

「知ってる。マスターに聞いたから。じゃあ、駅前で11時に待ち合わせでどう?」

展開が早過ぎてついていけてない。

「約束ね。都合悪くなったら電話して。じゃあおやすみなさい」

彼女はそう言って、コースターを差し出し、今度は本当に帰って行った。

さつき 090- 携帯の電話番号が書いてあった。

「店でナンパしてんじゃねーよ」

休憩を終えたマスターに脇腹をどつかれた。

「すいません」

「えらいの釣り上げたな。知らねーぞ」

「頑張ります」

何を頑張ればいいのか分からないけど、とにかく興奮していた。

あんな美人のお姉さんとディズニーランドデートの約束をしてしまった。

もしかしたら騙されているかもという思いと、彼女が嘘をつくはずがないという思いとが交錯したまま日曜日を迎えた。

さつきさんは渋谷駅前に、11時きっかりに現れた。

「おはようヒロキくん」

こないだの夜はスーツ姿だったからよく分からなかったのだけれど、薄手のニットと細身のパンツルックは、彼女のスタイルの良さを強調していた。どうしてもふくよかな胸のふくらみに目がいってしまう。

「おはようございます。全然雰囲気違いますね」

メイクもナチュラルで可愛らしい。今日はピンクの口紅だ。

「変かしら?」

「とんでもない。素敵です」

「ありがとう。行きましょうか」

そう言ってさつきさんは改札とは反対方向に歩きだしたから驚いて言った。

「改札あっちですよ」

「そんなこと知ってるわよ。まあいいから。はい」

そう言って彼女は左手を差し出してきた。

「えっ?」

「これ、デートじゃないの?」

「あ、はい。デートですね」

「だったら手ぐらいつなぎましょうよ」

(やべえ。なんだこれ)

交差点を渡って道玄坂を登って行くから、昼間っからいきなりもしかして、と僕はドキドキしていた。すぐ先は円山町のホテル街だ。

「いったいどこまで歩くんですか?ディズニーランドに行くんじゃないんですか?」

「予定は変わることもあるものよ」

まあいい。予定は変わる。この言葉に込められた意味は何だろう?

考えても分からない。だったらさつきさんが教えてくれるまで待つしかない。

「最初は電話番号も受け取ってくれなかったのに、どうしてまたデートなんかしてくれる気になったんですか?」

「そうね。とりあえず、あなたを見かけで判断しちゃったお詫びかな」

「僕、謝られるようなことされてませんけど」

「百万年早いとか言っちゃったでしょ」

「ああ」

「最初はね、あなたチャラい奴だと思ったの。イケメンだし、あんなとこであんなバイトしてるし。それで軽く誘ってくるから」

「軽くじゃないですよ!」

僕は思わず言った。

「分かってる。マスターから聞いた。ヒロキくんがお客さんに電話番号渡したのなんか初めてでビックリしたって。それに、毎日朝まであんなバイトしてるって、よく考えたら彼女いないってことよね?いたとしてもお水系?でもあなたお水の女と付き合うようなタイプではなさそうだし。
私、人を外見で判断しないように気をつけてるんだけど、失敗したなあって」

そんな話をしているうちに、もしかしては無く、NHKまで登ってきた。

「お詫びだけですか?」

「ふふっ。私をドキッとさせたからよ。心を読みました、なんてあなた真顔で言うんだもの」

そう言ってさつきさんはつないでいる手にぎゅっと力を入れたから、僕もドキッとした。

「僕もビビりました。百万年早いとか。思ったんだけど、百万年後なんて僕生きてないし」

「あなたって頭堅いのね。輪廻転生。何度も生まれ変わったら、百万年後くらいにまた人間として出会えるかもわからないじゃない?」

目的地は代々木公園だった。

天気は快晴。青い空と緑の芝生が眩しい。

「すっごいいい天気。アトラクションの行列に並んで時間を無駄にするよりずっといいでしょ?」

さつきさんはショルダーバッグから取り出したレジャーシートを広げた。

「さあ、お昼にしましょ。どうせろくに朝ごはん食べてこなかったんでしょ?」

レジャーシートの上に、美味しそうなサンドウィッチとおかずが並べられた。

「さつきさんが作ってきてくれたんですか?」

「文句ある?」

「とんでもない。感激です」

サンドウィッチもから揚げもポテトサラダも卵焼きも全部美味しかった。

「あなたがさっき考えていたこと当ててみましょうか?」

「えっ?」

「道玄坂歩きながら、いやらしいこと考えていたでしょ?」

そう言って、さつきさんは笑った。

参った。彼女の方こそ僕の心を読んでいる。

「さつきさんって一体何者なんですか?」

「何者って、ただのOLよ」

そう言えば何歳かも知らない。聞きたいけど、女性に年齢を聞くなんて失礼だって怒られそうだ。僕も少しは学んだ。

「ヒロキくんは大学4年でしょ、就職どうするの?」

彼女の方はマスターから聞いて僕のこと色々知ってるからたちが悪い。圧倒的に会話の立場が弱い。

「厳しいですね。まだ決まってません」

「業界は?」

「一応マスコミなんですけど」

「一応って何?」

「いや、なかなか難しくて、他の業界も受けてるんで」

「仮にも自分が志望するものに、一応とかつけるべきじゃないわよ。あなたに必要なものは、まず自信ね」

「いや、そう言われても・・・」

ディズニーランドデートのはずが、公園で就職相談になるとは思わなかった。

「あなた私に電話番号渡そうとした時も、まったく自信無かったの?」

「自信なんてないですよ」

「本当に?イケメンだから少しぐらいあったんじゃない?」

「僕自分のことイケメンだなんて思ってませんから」

「じゃあ今日から自分はイケメンだって思いなさい。あなた十分カッコいいから。
私は自分で自分のこと綺麗だって思ってるわよ」

すごい自信だ。でも、彼女の場合それが嫌味に聞こえない。

「自信が全く無いのに私のこと誘おうとしたわけ?」

「いや、まあ、ダメ元で」

「それって失礼だと思わない?そんな態度だったから私ああ言ったのよ」

「はい」

「でも、自信は無くても誘った。どうして?」

「だから一目ぼれして、仲良くなりたくて」

「そうそれ。目標、目的があれば、自信が無くても人は行動できるものよ」

まあ確かに。

「そして行動に自信がともなった時、人は強くなるのよ。だから、就活も自信を持って」

「女と仕事は違いますよ」

「同じよ。
結局何事にも根拠がある自信なんてないのよ。もともとは、何も無いところから始まってる。最終的には、やるかやらないか、それだけ。そしてそれは自分で決めるもの。
親や先生に言われたからとか、世の中がこうだからだとか、流されて決めた判断は、後できっと後悔するわよ」

大人だなあと思った。友達でそんな話をする奴はいない。

「寝ましょう」

「えっ?」

「あっ、今またいやらしいこと考えたでしょ?」

さつきさんは小悪魔みたいに笑ってレジャーシートに寝転んだ。

「ほら、早く。こうして空を見て」

素直に従った方が良さそうだ。僕は並んで寝転んだ。

「夜のバイトが悪いなんてことは言わないけど、たまには昼間の空を見上げた方がいいわよ」

青い空に雲が漂っている。

「私、よくここに来るの。疲れてる時とか、会社で仕事がうまくいかない時とか」

「さつきさんでも仕事がうまくいかない時とかあるんですか?」

「当たり前じゃない。仕事なんかうまくいかない時の方が多いわよ」

そう言って、さつきさんは黙ってしまった。

僕は、次の言葉を探したけど見つからなくて、しばらく沈黙が流れた。

「ねえ、何か感じる?」

ようやくさつきさんが口を開いた。

「この空を見てどう思う?」

「気持ちいいですね」

「でしょ? 東京には空が無いなんて言った詩人がいるけど、ちゃんとこうして空はある。私はそう思う。世の中、自分が感じたことがすべてよ」

やっぱ大人だなあって思った。ますます魅力的だ、さつきさん。

「大空の向こうには何か感じる?」

「何をですか?」

「宇宙よ。宇宙に繋がってるの。宇宙の中にある地球を意識して、さらにそこにいる自分を意識したら、なんてちっぽけなんだって思うでしょ?
そんなちっぽけな自分が抱えてる悩みなんか、無に等しいと思えばいい。
ちっぽけだから小さなことしかできないって思うんじゃなく、大勢に影響が無いならなんでもやっちぇえって思えばいいのよ」

風が気持ちいい。土と草の匂いを嗅いだのなんて、いつ以来だろう。

僕は、さっきから言いたくて仕方なかった言葉を口にした。

「さつきさん、僕年下ですけど付き合ってもらえませんか?」

「その質問は愚問ね。この国に年下は恋をしちゃいけないって法律は無いわ」

「じゃあ・・・」

「あなた本当に女心分かって無いわね。私、その気も無い人とデートする女に見える?」

「OKってことですか?」

「しょうがなくよ。もっと色々教えてあげなくちゃいけないみたいだから」

ふいにさつきさんの顔が近づいてきて、左のほほにキスされた。

信じられない。夢のようだ。

「ただし卒業までにちゃんと就職してよ。私、プーの彼氏はいらないから」

「はい、頑張ります!」

果てしなく広がる青空に、「ありがとう!」って叫びたい気分だった。

(天皇賞へつづく)
北城 駿
作家:北城 駿
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