勧善懲悪

       八

 もう年も年だが、それにしても、以前に比べて随分顔色がわるかったじゃないか。たちのわるい咳もしていたじゃないか。いや、だからといって、肺をわるくしたのか、なんてそんな皮肉を言ってるのじゃない。それに、もうお前は肺病薬を売ってるわけじゃない。いまは、たった二円の金に困っているのだ。しかも、それを隠そうとはしない。情けない話だ。なぜ、川那子丹造らしく、二千円貸せと、大きく出ないのだ。
 しかし、よしんばお前に二千円貸せといわれても、二千円はおろか、二円の金もおれには無かった。恥かしいが、本当のことだ。御覧の通り、医者はおろか、薬を買う金もないのだ。安い薬草などをせんじてのんで、そのにおいで畳の色がかわっているくらい――もう、わずらってから、永いことになるんだ。
 結局お前は手ぶらですごすご帰って行った。呼びかえして、
「――あれはどうしてる?」
 と、お千鶴のことをきたかったが、どうせ苦労しているにちがいないと思うと、聴けばかえって辛くなるだろうと、よした。お千鶴ももう年だ。なんとなく、あの灸婆のことが想い出されたりして、想えばお千鶴も可哀想な女だと、いまはもう色気なぞ抜きにして、しんから同情される。
 しかし、お前も随分しょんぼりした後姿だったね。いかにも、寒そうな、その姿がいまおれの眼のうらに熱くちらついて、仕方がない。右肩下りは、昔からの癖だったね。――おれももう永くはあるまい。お前とどっちが早いか。
 想えば、お互いよからぬことをして来た報いが来たんだよ。今更手おくれだが、よからぬことは、するもんじゃない。おれも近頃めっきり気が弱くなった。お前のように……。
 実際、お前は気の弱い男だった。そんなに悪い男じゃない。「真相をあばく」に書いてあるような、しんからの悪辣あくらつな男ではない。おれが言うのだから、まちがいあるまい。何故なら、今だからこそ言ってやるが、あの「川那子丹造の真相をあばく」の筆者は、じつは此のおれだったのだ。だからこそ、あんなに詳しくあばくことも出来たのだ。文章も見てわかるだろう。
(昭和十七年九月号)

藍岩堂
作家:織田 作之助
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