武の歴史の誤りを糺す

2.刀の切先と鍔元

 

刀の切先は、日本刀の部位で最も大切なところである。

 

物打ちというは、通常横手筋から3、4寸ほど柄の方によった個所をいうが、この部位でもって敵を切るのがもっとも良いとされている最重要部位である。

そのため、この切先から物打にかけては、その鍛錬や焼き入れは細心の注意を払って行わなければならない。

 

また、その作りは、小鎬と三つ頭のあたりを特に厚く頑丈にし、棟のほうから見ると丁度小蛇の首のように見えるという。

それから、横手筋角、即ち刃の三つ角をかっきり鋭く尖り気味に研ぎ合わせる。

 

この上記二つの条件を満たした切っ先なら、折れもせず、また引き切りに敵を切ったとき、この三つ角の鋭い尖り角が作用して、一段と切れの冴を見せるのであると成瀬氏は言っている。

 

また、切っ先とは反対側、鍔元から3~4寸までは刃を引いておくということがある。

なぜならば、誤って自分自身が怪我をするのは、多くの場合この場所であるから。

 

また、よく誤解される言葉に、鍔元三寸で敵を切るようにせよというものがある。

この場合、この鍔元3~4寸に刃はついていなければ、この部分で敵を斬ることができないではないかという理屈になろう。

 

しかし、これは、実際に刀の鍔元で敵を斬るという意味ではない。

 

いざ、斬り合いとなり目前に敵の剣尖を突きつけられれば、恐怖のあまりその間合いを見誤り勝ちである。心理的に相手の姿が大きく見え、恐怖のあまり腕は縮こまり踏み込みも浅くなる。

その様な状態で切りおろしても、剣尖は敵に届きもしない。

そこで、云われていることは、敵の股ぐらに足をふみこみ、刀の鍔先三寸で敵を斬るぐらいの心持で懸らねば、敵に致命傷を与えることができないということなのである。

 

つまり、古来云われている刀の鍔で敵の頭を割るつもりで懸れとか、鍔元三寸で敵を切れということは、それくらい思い切って接近して切れという意味で、実際に鍔元三寸で敵を斬るということではない。つまり言葉のあやであり、心得なのである。

 

 

 

3.鍔の役割

 

鍔の役割も意外と知られていない。

最も知られているものに敵の刀の斬り込みを受けるというものがある。

この場合、直接鍔で受けるのではなく、鎬で斜に迎えの上を滑らせて鍔で受けることのほうが多い。

軍記物によく書かれている「鎬を削り、鍔を割る」といって、激しく斬り合うこと意味表現がこれであろう。

但し、剣術流派によってはこれをやらない流派もある。

 

もうひとつ。

これは意外と知られていないことであるが、敵を突く場合、手が滑って自分の刀の刃で手を斬る事が多い。

多くの刃物を使った通り魔事件で、鍔の無い刃物で人を刺した場合ほとんど例外なく自分の手を切っている。

有名な例では、世田谷一家殺人事件では、柳場包丁や文化包丁で一家を突き殺しているが、この犯人も手に怪我を負っている。

これは、何回も人を突き刺しているうちに血で手が滑ったか、あるいは手が疲れて握力が鈍り、突いた拍子に刃の部分で自分の手を切ったものであろう。

 

刀は突くこともあるし、敵の切込みを受けることもある。

そのとき、我が手を護り、また、刀の重量のバランスをとるために、鍔は必要なのである。

 

西洋の剣でこの鍔が棒状のものがかなりある。

一見、十字架を模したようにも思えるが、これは単なる宗教的意味だけではなく、敵の体を突き刺したとき、手が滑って自分の手を傷つけないためのものであろう。

 

 

 

 

4.頑丈さと切れ味

 

刀の頑丈さと切れ味、この二つは相反するものである。

材質と構造が同じであれば、頑丈に作るとなれば当然鎬を分厚くしなければならない、その結果、刃の角度は大きくなる。

反対に切れ味をよくしようと思えば刃の角度は小さく、刀身の厚みを薄くしなければならない。

 

例えて言えば出刃包丁と柳刃包丁を比べてみるとよい。

出刃包丁は、鯛などの硬い骨も断ち切ることができるし、少しぐらい手荒く扱っても刃こぼれすることはない。

しかし、柳刃包丁で鯛の頭を断ち割ればたちまち刃は欠け、なまくらな包丁だと折れたり曲がったりするかもしれない。

 

柳刃包丁で人を切ったり突き刺したりすれば、刃先は折れる。これは不謹慎を覚悟で例えてみれば、世田谷一家惨殺事件をみればよくわかる。

このとき、主人を刺したとき刃先が折れ、被害者宅の文化包丁で殺人を終えている。

この文化包丁も刃が曲がっていたという。

これは、柳刃包丁や文化包丁などの身の厚みの無い刃ものでは人を切ったり刺したりするには向いていないということであろう。

硬く焼きの入った柳刃包丁は刃先が折れ、なまくらな文化包丁は曲がってしまった。

 

この場合、被害が反撃してこなかっからいいようなものの、もし、相手が刃物を持って向かってきた場合、この手に傷を負い、先が折れたり曲がったりした包丁を持っていた犯人は果たして無事に逃げおおせたどうかわからない。

 

柳刃包丁は、本来、刺し身などを造る為の包丁である。柔らかい魚の身を組織を崩すことなく薄く削ぎ取るためにはできるだけ鋭利な刃でなければならない。

その為に極めて薄く作られている。硬い骨や獣肉を斬るものではないのでそこに頑丈さは全く必要ない。

この様な包丁で切り合ったらどうであろう。刃と刃を打ち合わせればたちまち刃はぼろぼろとなり、強く当たれば折れる。

また、人を突き刺して抉ればこれも折れたり曲がったり折れたりするであろう。

 

一方、出刃包丁は身は厚く極めて頑丈にできている。硬い骨や魚の頭を断ち割るためにある程度の重量がある。

これならば、人の一人や二人突き殺したり、斬り殺したりしてもなんでもあるまい。

 

いささか極端な例ではあるが、これらを戦国期の実用刀と幕末期の切れ味や美術的価値を重視した刀に例えてみれば理解しやすいと思う。

 

実際の戦場に於いて、カミソリのように良く切れるということはさほど重要ではない。

実は、人体ほどひ弱なものはないのである。首を落とすにも、腕を斬り落とすにもさほど鋭利な刃は必要ない。ろくな刃もついていない中国の青龍刀でさえいとも容易く人間の首ぐらいはおとすことができる。

 

良く切れるということは、単に大した力を入れずとも切れるというぐらいの意味でしかない。

実用刀としてそれより大切なことは、少しぐらい乱暴に扱っても折れず曲がらずということが必要不可欠なのである。

そうでなければ、多くの敵と渡り合い、いつ果てるともわからぬ戦闘の長丁場を耐え抜くことなどできはしない。

 

しかし、いくら頑丈に作られた実用刀といえ、現代の剣道のような使い方をしていたのでは刃こぼれや損傷はする。

このことは以前詳しく書いたとおり。

 

では、なぜ、現在ではその事が忘れられ、良く切れることばかり重要視されるようになったのか。

それは江戸時代の太平の世を経て、実際に刀をもって切り合うことがなくなり、刀の価値は丈夫さよりもその美術的価値や切れ味が重視されたためである。

 

戦争が無くなり、実際に刀で斬り合ってその頑丈さを試すことができなくなったので、自然、その評価は処刑された罪人の体を試し切りすることによって切れ味を試すしかなくなった。

つまり、罪人の体二つ胴、三つ胴も容易く切れる切れ味が要求されたのである。

 

その結果、シャープな切れ味に劣り、重い戦場実用刀は敬遠され、切れ味がよく軽いが頑丈さに劣る刀ばかりが珍重されるようになった。

そして、重く、頑丈な刀は薄く研ぎ減らされ、あるいは、短く切られて脇差に姿を変えたのであろう。

 

幕末動乱期に至り、刀による斬り合いが横行する。

その時に使われたのが上記のような頑丈さに欠ける刀である。

このような切れ味優先の軟弱ないわば柳場包丁のような刀の刃と刃を思い切り打ち合わせれば、たった一度の戦闘で刀として使いものにならなくなってしまうのはあたりまえのこと。

 

武器というものは、その構造が簡単であればある程、それを扱う人間の技量によって大きな差がでてくる。

特に日本刀のように片刃で反りがあり、かなり重量のある武器はその傾向が強い。

その技術を習得する為に多くの剣術流派が生まれた。

 

しかし、いまや、江戸以前にまで遡る実戦技を保存している流派は極めて少ない。

ほとんどの日本人はその様な流派がある事さえ知らない。その極めて古い剣術の技法を知らなければ、戦国期の斬り合いの実像など知るよしもなく、従ってどの様な刀が使われたかなど想像もできないだろう。

 

現在美術品として高い評価を受けている、姿かたちの美しい日本刀を見て、この軟弱な刀が実際に戦場で使われたと思い込んでいるかぎり、本物の実用刀はわからないし、戦国合戦の実像は見えて来ない。

 

 

 

5.刀の下げ緒について

 

最近、摸擬刀を購入したが下げ緒の寸法が七尺四寸もある。

 

なんだか長すぎて邪魔で仕方がない。

 

時代小説でよく見る表現に、刀の下げ緒を外して襷を掛けて決闘に臨むという記述がある。

居合の流派のなかにもこういった口伝のあるものがあるそうであるが、実際はどうであろう。

いやしくも命のやりとりをする場に、襷も用意せず、刀の下げ緒で間に合わせることなどあるであろうか。

 

襷にするには大体六尺六寸ほどあれば足りると思われるので七尺四寸もあれば十分である。

それ以前骨董屋で買った摸擬刀の下げ緒は五尺三寸である。

これでは襷には短い。

江戸期の下げ緒の長さは、栗形に通して二つにし、こじり下一握りというものであったらしい。

当時、公許された最も長い刀は刃渡り二尺八寸であるから、下げ緒の長さは五尺六寸である。

これでも十文字に襷掛けするには一尺足りない。

 

先に骨董屋で買った昔の摸擬等と最近買った居合刀。さて、襷には短い下げ緒と十分襷掛け可能な下げ緒のついた最近の居合刀、どちらが正しいのか。

 

これは使ってみればすぐわかる。

下げ緒が長いと邪魔になって仕方がない。特に、柄で相手の刀を受けたり、当身を入れたりする場合ははなはだ扱いづらいのである。

この場合は、短い下げ緒のほうがはるかに扱いやすい。

 

現代の居合道などのようにあまり柄を使う技法がなく、ただ、刀を抜き、収めるだけなら、少々下げ緒が長くてもあまり邪魔にならないであろう。

しかし、きわめて古い古流においては、柄を十分に活用する技法も含まれている。

これは主に柔を主体とする流派に多くみられるようだ。

 

私の昔習った流派にも居合が併伝されていた。

但し、私たちはそれを習っていない。

というのも、私たちの師匠は、「剣はいったん抜いてしまえば居合は必要ない」という考えであったので、ことさら居合抜刀の類には興味を持つことがなかったのである。

 

ところがある時、近くで稽古している居合の先生に実際に刀を持たせてもらったことがある。

 

私の若い頃、師匠はよく錆刀を持ち出して、その重さや振り具合などを実感させてくれていた。

そのころは特に感じるものはなかったのだがこのたびは大きな衝撃を受けた。

私たちの使う竹刀や木刀とはまるで違う。

重心が竹刀や木刀より遥かに先にあり、実際以上に重く感じる。

したがって小手先の技は通用しない。

十分腰を据えて刃筋に沿って切らなければならないし、竹刀や木刀のつもりで不用意に切り込めば、自分の下半身を傷つけることにもなりかねない。

このとき、はっきり悟ったのである。これはぜひとも刀の扱いを覚えなければならない。

 

剣術とは、本来、刀の使い方を稽古するもので、実際に刀が使えないからその代り木刀や竹刀を使うのである。

つまり、竹刀や木刀は単に刀の代用であり、いかにその代用品で稽古を積んでも、実際にその技法が真剣で使えなければ全く意味はない。

 

これは是非とも刀がいる。

そう思ったが、本物の刀なぞ年金暮らしの私には手が届く代物ではない。

 

思い悩んだ挙句、なじみの骨董屋で摸擬刀を手に入れた。

しかし、相当使い込んでいるらしく、柄の部分にわずかにガタがあるような気がする。

これでは危なくて安心して使えない。

 

そこで、ネットから新品の居合用摸擬刀を購入したのである。

 

こうして二振りの摸擬刀を手に入れたのであるが、冒頭にも言ったように下げ緒の長さが違う。

一体どちらが正しいのだろう。

そう思って、いろいろ調べてゆくうちに成瀬関次氏の「随筆 日本刀」という本に、上記ような記述があった。

つまり、江戸期の下げ緒は短く、これで襷を十文字に掛けることはできないということなのである。

 

私が昔習った流派には、本来、居合があったことは前述のとおり。

そして、幾度か、師匠が「我が流派の居合とはこうやるんだ」と言って見せてくれた覚えはある。

しかし、あれから四十年近く経過し、その記憶もはっきりしなくなってしまった。

そして、その師匠が亡くなって十数年が経つ。

 

なんとか当流に伝わる居合を知る手立てはないものだろうか。

そう考えて思いだしたのが、私たちの師匠の二代前の家元が書いた本である。

 

それに詳しくその技法が載っていた。

 

なるほど、師匠の言っていたとおり基本的な技が八本詳しく説明されている。

 

そのなかに、稽古前の礼のとき、正座した膝前に柄がしらを左側に一文字に刀を横たえ、

右掴み手は、そのまま下げ緒を鞘に添って撫で下ろし、その手を再び栗形の上において一礼をなすというものがあった。

この場合、この下げ緒が短いと全く違和感なくこの動作ができるのである。

 

このことは何を意味するのか。

それは、少なくとも明治末のころまでは刀の下げ緒は短く、これで十文字に襷を掛けることなどできなかったということなのである。

 

 

 

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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