武の歴史の誤りを糺す

和船のレース

和船の競漕について

 

近頃、和船のレースが各地で盛んに行われるようになってきた。

特に瀬戸内海の水軍祭りや、イベント等でよく行われているようだ。

しかし、どうも違和感がある。そう思ってよく見ると、なんと櫂で漕いでいるではないか。

これではまるで長崎のペーロンか、旧海軍のカッターレースだ。

どう考えてもこれはおかしい。

昔から、和船は櫓によって推進と舵の両方の役目を行っていた。

櫂で漕ぐものもあったが、盥船以外はまず見たことがない。

しかも、その使い方は、単にボートのように水を掻くだけではない。むしろ櫓に近い漕法なのである。

私の子供のころ、海沿いの集落の子供たちは、ほとんどといっていいほど達者に櫓を操ったものだった。

私の家は海とは縁がなかったので、その様なことはできなかったが、近所の子供たちが伝馬船を漕いでよく釣りに行っていた記憶がある。

この伝馬船は、艫に一丁の櫓があるだけ小さな船で、慣れさえすれば子供でも漕ぐことができた。

昔はそれほどありふれた船であった伝馬船が、今では全く見られなくなってしまったのは何故だろう。

一度、扱いを覚えてしまえばこれほど手軽に海で遊べる便利なものはないと思うのだが。

今現在は、昔ながらの伝馬船も姿を消し、櫓を自由に操れる人も少なくなった。

その為、町おこしでイベントや祭りをやるとき、より多くの人に参加してもらうためと、誰でもが少しの練習で漕ぐことができる櫂にしたのだろう。

しかし、これはどう考えても変だ。是非とも本来の櫓で漕ぐ和船競漕に変えてほしい。

確かに漕げる人数は少なくなる。おそらく同じ大きさの船なら半分以下だろう。

また、ちゃんとまともに櫓が扱えるようになるのは、ただの体力勝負だけの櫂よりはるかに時間と熟練を要する。

しかし、もしこれができれば、今までの安易な漕船レースよりはるかに格調高い和船競漕となり、この行事自体がより一層魅力あるものになると思うのだが。

日本刀について

日本刀の切れ味

 

日本刀は、過去、武士の魂と言われてきた。

先の戦争でも、数多くの日本刀が戦場に持ち出され、切り込みなどに使われてきた。

確かに、刀で切られる恐怖というものは、想像以上のものらしく、多くの米兵が日本兵の万歳突撃に恐れおののいたという。

しかし、実際の効果となると、心理的の恐怖感を与える以外はたいした成果は上がっていない。

自動小銃や最新の兵器を装備した米軍に、日本刀や銃剣などで肉弾突撃をかけることなど、誰が考えても、有効な戦果などあげられるはずもない。

事実、切り込みをかける状況とは、大砲や銃の弾を撃ち尽くし、やけくそで突撃をかけた例がほとんどであろう。

つまり、全ての抵抗手段を失ったあげくの特攻攻撃であったのだ。

これでは、戦況を挽回するなど到底無理な話である。

以上の話は、戦争末期の米軍相手の場合であるが、実は、日本刀による白兵戦は、太平洋戦争以前の中国戦線でも行われていたという。

遙か昔。私が中学生の頃、社会科の教師に、元騎兵隊の将校がいた。

でっぷりと太った貫禄のある人であったが、授業内容はわかりやすく優しい先生であった。

この先生が授業の合間に、よく戦争の話をしてくれた。

敗走する支那兵の首を馬上から切り飛ばすのだが、驚くほどよく切れたらしい。ジャッという音がして、まるでわら束でも切るように切れたらしい。

この優しい先生が人を切ったなど信じられなかったが、話には実際に体験しなければわからないような箇所があり、戦争の残酷さに聞き耳を立てながらおののいたものであった。

この話からわかることは、日本刀はとても良く切れる。そして、ちゃんと刃筋を立てて切れば、人を切るぐらい何でもなく、折れたり曲がったり、刃こぼれさえしない。

このことは、後、数十年経った後、実感することとなる。

東京勤務のとき、ある古い古武道の流派を習っていた。

毎年、年始めの稽古始めに、先生はろくに研いでもいないような錆刀を持ち出して木の枝を切らせた。
集まった弟子全員に切らせるのだが、これが良く切れる。古手の弟子なら直径4センチぐらいの若木ならわけもない。
さすがに女性や子供には無理があったが、少々粗い扱いをしたくらいでは、折れも、曲がりも刃こぼれ一つしない。

そのとき、中学時代の社会の先生の話を思い出して、あの話はやはり本当であったかと合点したものである。

日本刀についての俗説。 山本七平説

 

 

日本刀については、珍説、愚説の類が大真面目に信じられ、特にネットにおいてはその無責任な馬鹿げた説が大手を振って歩いている。

今まで私が説明したことで、ある程度は納得していただいたものと考えるが、これは私の少ない経験と、各種資料に基づいて考察したものであるが、何分にも真剣を以て切り合いなどやる機会の無い現代において、この程度が限界であろう。

 

最近、本箱を整理していたら40年以上前、古武道の師匠に言われて買った古書が出てきた。

本の題は「随筆 日本刀」筆者は成瀬関次である。

発行は昭和17年4月18日、大東亞戦争が勃発した4ケ月後にあたる。

 

著者は東京外国語学校卒業の後、教員、宮内庁付き記者、豊島区議会議員を経て、根岸流手裏剣術、桑名藩伝山本流居合術を習得。

昭和13年に9カ月にわたって北支、蒙彊戦線において刀工を率いて軍刀の修理をして廻った。

その時の詳細なデータを元に「戦ふ日本刀」「実戦刀譚」「随筆日本刀」などの著作がある。

 

欧米相手の大東亜戦争と異なり、支那兵相手の戦闘では、刀剣を振い、銃剣での肉弾突撃はかなりあったようで、その肉弾戦の聞き取り調査や、その結果の損傷した日本刀の状態や修理記録を見れば、俗説やいい加減な憶測などではなく、確かな日本刀の真実を知ることができると思う。

 

良く言われていることに、日本刀は三人切ればもうそれ以上は切れなくなるという説がある。

これなどいい加減な俗説の最たるもので、三人しか切れない刀が、その誕生以来千年近くも数々の合戦に使用され、夥しい数々の名刀が造られ、武士の魂として尊重された筈がないではないか。

この説の出どころは、山本七平氏の「私の中の日本軍」のようで、死体の腕と足を切った彼自身の体験から、腕は二太刀、足は一太刀でやっとのことで切り離すことができたと言っている。

そのとき、刀身を拭うと何やらべっとり着いてきた。鞘には収まったが、鍔や柄がガタガタする妙な感じがしたということである。

しかし、これは山本氏の腕が悪かったことと、粗製乱造の大量生産された軍刀で、ろくに手入れもされていない刀を使った為、この様な結果となったと考えてよい。

銃なら引き金を引けばどんな素人でも簡単に人を殺すことが出来る。

しかし、刀剣のように単純な武器ではそれを使う人間によって極端な差がでるのである。

山本氏は徴兵され、その後、幹部候補生となり予備士官学校卒業後、砲兵少尉としてルソン島に配属されている。

この死体を切ったという体験はその時のものであろう。

 

しかしながら、この体験は日本刀は三人しか切れないという説の根拠とはなりえない。

死体の手足をうまく切れなかったことと、日本刀は三人しか切れないという説とはどう結び付くのであろうか。

刀にはど素人の砲兵少尉が死体の腕を切りそこなったというだけの話である。

刀の切れ味の話とその使用限度は全く別の話であるし、三度腕や足を切っただけで鍔や柄にガタがきたのは、もともとその刀の手入れが悪く、目釘や柄の調整が悪かっただけのこと。

刀剣に知識があり、その扱いに慣れていればこの様なことは絶対に起こらない。

ど素人のあさはかさの故の勘違いということではなかろうか。

 

実際は刀はよく切れる。それは私が過去散々言ってきたことであるし、何人切れるかという事は、その刀とその人の技術で大きく違ってくるのは当然のことで、三人切ったらその刀は使いものにならなくなるというのはでたらめも甚だしいと言わざるをえない。

頭でっかちの文人のたわごとである。

 

刀の切れ味については、上記成瀬氏の著作「随筆日本刀」に下記の如く書かれている。

 

「素肌の人間を斬ること位たわいのないことはない。素つ首などは、一尺四五寸位の脇差を片手に持って、それで切れすぎるほどだ。戦場では、若い士官などが、大刀を大上段にふりかぶり、満身の力をこめて敵の首をねらひ斬りにし、勢い餘つて刀の切っ先何寸かを、土の中に切り込むのはまだよいとして、よく誤つて自分の左の脛などに大怪我をする。」

 

「骨を切るといふことも、思った程ではない。死後若干時間が経過すると、堅くなつてきりにくいが、生き身は今年竹の程度だと、誰しもいふ大體首は、中位の南瓜を横に切る程度、生き胴は南瓜に横に直径一寸二三分の青竹を一本貫いたものを切る程度と云ったら、略見當がつくであらう。斬り損ずる原因の一つは、誰しもあわてること、上気してしまふことだ。それによって見當を誤るのでよく肩骨に切り込んだり、奥歯に切りかけたりして失敗する。」

 

 

日本刀について(続)

日本刀の切れ味(続)

 

日本刀は確かによく切れる。

しかし、ここで考えなければならないことは、何を切るかということである。

素面素小手の生身の人間を切るのと、鎖の着込みを着た人間とでは違う。

又、戦場で鎧武者を相手に戦う場合には、切れ味よりも頑丈でなければならない。

さらに、切る人間の技量によっても大きな差がある。

いくら名刀といえど、ずぶの素人、特に女性が切る場合と、据もの切りの名人が切るのとではその切れ味に大きな差が出てくることは誰が考えてもわかることであろう。

この場合、多少のなまくら刀であっても、強力の男が力一杯切れば、人の首などわけなく切れるはずだ。
これは、ろくな刃も付いていない青竜刀のような鈍刀で、重みで人の首を切るのとおなじである。

前に書いた、日本刀で木の枝を試し切りにしたときも、先生の持ち出してきた刀はろくに研いでなくて、切れ味の点では落第であった。
それでも木の枝ぐらいたやすく切れたのである。

刀は、刀鍛冶による手作業で作られる。当然、その職人の技量の差によって、できあがりが大きく左右される。
頭蓋を割り、骨を断ちきっても、刃こぼれひとつしない刀があるかと思えば、折れ曲がり、刃はぼろぼろといったお粗末な刀もあっただろう。
また、例え名人と言えども、その打つ刀全てが名刀であるわけはない。当然駄作もある。
これが手作りの欠点でもある。
現代の工業製品なら全ての製品が均一であるが、手作業で作られる日本刀はそうではない。
これが日本刀の宿命であろう。

つまり、素肌の人間を斬り殺すにはそれほど鋭利な刃は必要ないのである。

それよりもそれを使う人間の技量のほうが大切だ。

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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