武の歴史の誤りを糺す

NHKスペシャル「発見!幻の巨大軍船」について。

 

少し前になるが、NHKスペシャル「発見!幻の巨大軍船」という番組が放映された。

司会は、キャスターの松平定知、ゲストはタレントの優木まおみ、作家の半藤一利である。

長崎県鷹島沖合に沈んでいる元の軍船を調べた結果を、様々な角度から説明している。

個々のテーマについては、それぞれの専門家が説明しているが、問題は司会者とゲストの問答である。
タレントの優木まおみはともかく、問題は、半藤一利と司会の松平のいい加減な言動である。
折角、個々のテーマについては専門家の正確な検証があるにも関わらず、それを総括する司会者とゲストの話でそれが台無しになってしまい、視聴者に大ウソの誤った知識を植えつけることとなってしまった。

個々の各専門家の説明は、多くの一般の視聴者にとって、あまり記憶に残らない。
一般視聴者にとっては、専門家の説明はわかりにくいものであるからだ。

むしろ、専門家の説明をわかりやすく説明するのが司会者やゲストの役割であり、視聴者は、この司会者やゲストの説明を強い印象をもって記憶している。

ところが、この司会者とゲストが間違ったことを言っていれば、折角の専門家の説明もあまり意味のないものとなってしまう。

この松平という司会者は、2000年から2009年のおよそ9年に渡って「その時、歴史が動いた」という歴史番組を担当していた。

そのせいか、歴史について変な自信をもっているようだ。
大体、この「その時、歴史が動いた」という番組自体、実にいい加減なもので、真実の歴史とは程遠く、お世辞にも公共放送であるNHKが莫大な予算を投じて作るに見合った価値のあるものとはいえない。
この点は、優れた歴番組を多く製作しているイギリスのBBC放送とはまるで逆である。

このようないい加減な歴史番組を担当してきた自信の故か、まるで歴史の専門家にでもなったような思いあがった言動が鼻についてならなかった。
しかも、その全てが単なるそのときの思いつきである。
一見して温厚そうな外見には似合わず、そうとう自我意識の強い人間であろう。

又、ゲストの選定にも問題がある。
半藤一利という小説家は、主に近現代史に題材をとった小説を書いている。

しかし、この元寇のような中世の知識や船に関する知識はほとんど持ち合わせていない。

元の軍船をテーマとしたこの度のスペシャル番組には、これほど不適切な人物はいないであろう。
船や十三世紀当時の歴史について全くの素人であることは、この番組を見ているうちにわかってきた。
ろくに知識も無いくせに、得々と何の裏付けもないいい加減な説をしゃべり散らす。

折角のスペシャル番組を高い製作費を費やして作りながら、この内容はなんであろう。
我々の視聴料の無駄遣いではないのか。
少なくとも、番組の内容はわかっているのだからちゃんと調べて十分に理解したうえでコメントするべきであろう。

まず、冒頭でこの沈没船のタイトルである「発見!幻の巨大軍船」という文字に引っかかった。

果たして、この船が巨大軍船であろうか。

推定全長27m、100人以上運ぶことができるという。

同時代の外洋交易船は、新安船は34m、泉州船は25m。これが普通であった。決して巨大とは呼べない。

現代の船で言えば100トン未満である。むしろ外洋を航行するには船として最低これくらいの大きさは必要であろう。
つまり、外洋を航海する船としては決して大きくはない。

それを、司会者、ゲスト、こぞって巨大だと言う。半藤氏など、「あんなにでかい船・・・」などと言っている。
この席には船に詳しい人物はいない。半藤などという、船にも日本の中世史にもど素人を、何故引っ張り出してきたのか。

この時代より500年近く前に遣唐使が乗った船でさえ長さ30m、幅7~9m、排水量約300トン、載貨重量150トンで、この元寇の船より大きいのである。

古代ギリシャの三段櫂船(トライレム)は長さが36m、幅6mあったという。

少し時代は下るが、15世紀の大航海時代のキャラック船は、全長30m~60m、排水量200トン~1500トンであった。
つまり外洋の荒波を押し渡るには最低30mの船長は必要であったということである。

その意味では、この沈没船が特別大きいということにはならず、到底巨大軍船とよべるものではない。

なお、後世、江戸時代の1000石積みの弁才船は、全長29m、幅7.5m、積載重量150トン。内航船でさえこの程度の大きさはあった。
つまり、船の知識が少しでもあれば、この程度の船を巨大軍船などと言うことはなかった筈である。

このように、ずぶの素人の半藤氏を引っ張り出すくらいなら、この番組に登場する神戸商船大学名誉教授の松木哲氏を呼んできたならば、まだまだ興味深い話が聞けたのではないかと思われる。

NHKが蒙古の軍船が小さいと思いこんでいた原因は、蒙古襲来絵詞という絵巻物に、彼らの軍船が小さく描かれていたということのようだ。

しかし、これは、NHKの番組制作者や司会者が、如何にこの方面の知識が欠けているかの何よりの証拠である。

この蒙古襲来絵詞という絵巻物は、肥後国の御家人、竹崎季長が自らの戦功を記録したものである。
したがって主人公である竹崎季長や関係人物を大きく描き、それ以外のものを小さく描く。
これは常識であろう。
こんな事さえ知らないのかと思うと、ただただ呆れるばかりである。

番組中に提示された混一彊理歴代国都之図についても同様である。
この図は、李氏朝鮮時代1402年に作られたもので、中国で作られた二種の図をもとに、これに朝鮮と日本を加えて作成された。

この図は竜谷大学所蔵の図と、近年発見された島原市の本光寺所蔵のものがある。
オリジナルは竜谷大学の図で、本光寺の図は江戸時代の日本で複写されたものといわれている。

この二つの図、日本の位置と大きさが大きく違う。

原図の竜谷大学所蔵図では、日本は90度回転して東西ではなく南北に伸びているし、その位置は今の台湾より東にあり、しかもずいぶんと小さい。
反対に、朝鮮半島が実際の数倍大きく描かれていることは、作成したのが李氏朝鮮の官吏達であることを考えれば納得がいく。

ところが、もうひとつの本光寺所蔵図では、日本は正しい位置に直され、大きさも大きくなっていて、不自然さは全くない。
これは江戸時代に図を複写する際に、正しい位置と大きさに修正したと思われる。

このスペシャル番組で使用したのは、日本の位置と大きさが正しく記載されていることから本光寺所蔵のものであろう。
しかし、モンゴルをテーマにするなら、江戸時代に修正された本光寺の図を使うのは間違いではないか。当然ここは元の図である竜谷大学所蔵の図を使うべきである。

もし、竜谷大学所蔵の図を使ったならば、多くの視聴者は、日本の位置と大きさが違っていることに気が付くはずだ。
当然、司会者とゲストの間でこの間違いは指摘されるであろうし、この地図が正確だなどという訳はない。
そこで、日本の位置と大きさが正しく修正されている本光寺の図を引っ張り出してきたというわけであろう。
多くの視聴者は、日本の位置と大きささえ違っていなければ、他の国のことなどどう描かれていようがあまり注意を払わない。

ほとんどの視聴者は、現代の中国や朝鮮半島の地理さえ正確には知らない。ましてや700年も前の地図を見せられて、理解出来るわけがない。

この図を見て半藤氏は、「正確ですね。よくこの時代にこんなものが描けたものだ」と誉めそやしている。
それはそうであろう。我々のよく知っている日本の大きさや形は、江戸時代に直されているのだから。
それに、中国からの2枚の地図を基に、李氏朝鮮時代に自国の地図を描き加えているので朝鮮や中国が詳しいのは当り前である。

しかし、この図の何所を見て正確などという言葉が出てくるのだろうか。
資料のあった中国朝鮮を除くと、他は殆どでたらめであり、また、余りにも朝鮮半島が大きすぎる。
大体、何故、唐突にこの地図が出てきたのか訳がわからない。
確かに元の時代の事が描かれている地図としては貴重ではあろう。
しかし、作られたのは15世紀の初頭、朝鮮で作られたものだ。しかも、余分なものが描き加えられている。
おまけに江戸時代の日本で大きく修正が加えられている。
そんなものを視聴者に見せて何を期待したのだろう。

ゲストに「正確だ、よくこんなものがこの当時描けたものだ」と言わせて何の意味がある。
確かに元朝当時の中国の様子や朝鮮の地理を研究する資料としては貴重なものであろう。それは否定しない。しかし、その他の点については実にいい加減なものである。

この図のどこが正確なのか。感嘆するようなものではあるまい。
本気で半藤氏がそう思ったのならよほど観察力の欠如した常識のない人物といわねばならない。

最後にもう一つ。

司会者が、この海底に沈んだ沈没船に積まれていた磚というレンガ状のものや石臼は、何の為に積んでいるのかとゲストの女性に聞く場面があった。
この女性が家を建てるためと答えると、その通りです。日本を占領したら家を建てる為ですと自信たっぷりに笑みを浮かべて言ったのである。

このあまりの無知で愚かな言葉にしばし呆然とした。
そんなことがあるものか。14万人の軍勢が家を建てるには、100トン足らずの船の底に少し積んできたぐらいで足るわけがなかろう。
これは素人が考えてもわかることだ。この松平という男、どんな裏付けがあってこんなでたらめをいうのか。

おそらく、磚や石臼の映像を見て、その時思いついたことを言ったのだろう。
なんという思い上がった言動であろうか。自分が思いついたことは全て正しいとでも思っているのだろうか。

じつは、この磚や石臼はバラストの為に積んでいるのである。このことは少し船に詳しい人間ならば誰しも気が付くことである。

この船のいい加減なCG画像を見ると、船底はV字型をしている。

これを海に浮かべればたちまち横転してしまう。これを海中に真っすぐに浮かべる為に船底に重りをのせる。これをバラストという。

ましてや、当時の船は帆船である。高い帆柱に大きな帆を張ると、相当重心が低くなければひっくり返ってしまう。
そのためにバラストとして、重量のある磚や石臼を船底に積んでいたのである。

さらに、東シナ海の外洋を高い波や強風のなかはるばる遠征するのであることを考えれば十二分にバラストを積んで来ることは当然であろう。

現在の船でも船底にバラストタンクがあり、そこに海水や清水を満たすことにより船の安定性を保っている。
これは船乗りや船舶関係者なら常識であり、この番組のゲストとして船に詳しい人物が誰ひとり居なかったことが、この様なまちがった説を司会者やゲストにしゃべらせることとなったのである。

私が前に言ったように、神戸商船大学の松木哲名誉教授がこの場に呼ばれていれば、けっしてこの様な無責任でいいかげんな言動を司会者や無知な小説家に言わせることはなかったはずである。

なぜ、このような間違った事ばかり司会者やゲストに言わせるのだろう。

この答えは「NHKだから」という以外に回答はない。

 

 

韓流歴史ドラマ

韓流歴史ドラマについて

 

NHKの大河ドラマについて、如何にでたらめな作り方をしているか、また、その底にあるものは、相も変わらぬ階級闘争史観と自虐反日史観であるということは今まで私が主張してきたとおりである。。
「平清盛」は、見るたびにその稚拙な作りと有り得ぬストーリー展開に嫌悪感を抑えきれず第三作は途中で見るのを止めてしまった。

なぜこのように、ことさら汚らしい画面作りなのか。何故、我が国の平安時代をやたら醜く描くのか。皇室のことを俳優に「王家」と呼ばせるのはどうしてなのか。白河法皇を始め法皇、天皇をことさら貶めて描くのはどういう理由があるのか。

これは、韓流時代劇が、やたらと絢爛豪華なことと無関係ではあるまい。
韓流時代劇(敢えて歴史ドラマとは言わない。何ら歴史的事実を踏まえていない、大ウソ、大虚構のドラマであるからだ。)

最初に韓国時代劇を見た印象は、「何だこれは、日本の江戸時代の大奥物や平安王朝物のパクリではないか。」そう思った。

日本の絢爛豪華な王朝物や大奥もののまねをした。
やたらと原色や金銀の派手な豪華な装束に、国を挙げて作ったセットで、無知もうまいな韓国女性の虚栄心と愛国心を煽った。
「我が韓国も、この様な絢爛豪華な王朝文化が存在したのだ。どうだ、日本よりすごいだろう。」この様な得意げな声がこえてきそうだ。
しかし、現実はそうではない。

朝鮮半島は、常に中国王朝の影響下にあり、百済、高句麗、新羅以前は国と呼べるものは存在しなかった。
その後、新羅が半島を統一したが、これは、単独にやったのではない。唐の力を借りた。
以後、新羅は歴代中華王朝の冊封体制かにおかれ、李氏朝鮮に至るまで、中国の属国的地位に甘んじていなければならなかったのである。

元来、朝鮮半島は、寒冷で、農作物はあまり豊かではない。
それは、現北朝鮮の状況をみればわかる。一部の特権階級を除いて、庶民は悲惨なほど貧しい。
これが、高句麗、新羅、百済から統一新羅、高麗、李氏朝鮮に至る一貫した実情であった。
所詮、中華帝国の一地方政権にすぎぬ、国とも呼べぬしろものであった。

この様な国とも呼べぬものに、あのような絢爛豪華な王朝文化が存在するはずはない。
確かに、国の制度や、服装、儀礼は中国風であったろう。それは当り前のことだ。中国の属国だったのだから。
中国風の衣装を着、中国風の生活をしていたからといって、彼らの文化程度が高かったことにはならない。
これらは、すべて、中国文化そのものに多少朝鮮の事情に合わせて修正を加えただけのものである。
いわば、中国亜流文化とでもいうべきもので、単なる模倣でしかない。

これは、如何に、彼らが否定しても、覆い隠せぬ事実である。

このように、事実とは大いに違う韓流時代劇。

大がかりなセットを使い、きらびやかな衣装で飾り立てたところで、大ボラであることに違いはない。

このことは、かれら自身もうすうすは気が付いているのではないか。
実は自分達の国の歴代王朝は悲しいほど非力で貧しく惨めであった。常に隣の中華帝国のご機嫌を伺い、機嫌をとらなければ国の存続もままならなかった。
絢爛たる豪華な高い文化など独自のものはほとんどなく、これぞわが文化と言えるものは貧相な土着の文化でしかない。
彼ら自身が、そのことを一番強く感じていたのではないか。

韓国人の国民性としては異常なほど虚栄心が強い。人に負けることや下手に立つことを極端に嫌う。
他国人が豊かな生活やレベルの高い文化をもっていることに我慢できない。

その、嫉妬ややっかみが昂じて、ついに日本の固有の文化である、剣道や柔道、侍まで韓国起源だといい出す始末だ。
その様な屈折した劣等感により、あのような大ウソの韓流時代劇をねつ造し、日本の愚かなマスコミに売りつけたのである。
「おれ達の国はこんなに素晴らしい文化と歴史をもっていたのだぞ。」そう日本人に信じさせようとした。
それを、自分の国の歴史もろくに知らないあんぽんたんの日本のおばはん達が頭から信じ込み、彼らの術中にはまって、現在の韓流ブームが起きたのである。
そこで、NHKである。こいつらが何をしたか。

まず、韓流ブームの口火、「冬のソナタ」を放映した。これが火付け役となり韓流ブームが日本中を席巻したのである。

これは、有る意図をもって行われた。それは、日本国民の洗脳であろう。
大ウソ、ぱくりとねつ造だらけの韓流時代劇をNHKで放映すれば一体どういうことになるか。
多くの日本人、特に中高年の女性達は、公共放送であるNHKに対して絶対的な信頼をよせている。
NHKが放映していることだから間違いない。そう信じて疑わない。
とくに、この年代の人達に共通していることは、日本の正しい歴史も文化も知らない。
そして、日教組の左翼偏向教育を受け、脳を占めているの自国に対する偏見であり、自虐史観である。

このような人達に、NHKが韓流史劇を見せるとどういうことになるか。
結果は明白である。たちまち大ウソの煌びやかな韓流時代劇に幻惑され、魅了されて韓流どころか韓国フアンとなってしまう。
まさにこれがNHK,およびその背後に蠢動している韓国人勢力の目的としてところなのである。
そこで、この度の「平清盛」。
このドラマが、絢爛豪華な王朝文化を正確に描写しては困るのである。
せっかく取りこんだ韓流フアンが、「なんだ、日本にもこんな素晴らしい王朝文化があったのか。韓流よりこちらの方がいいや。」そう思って韓流離れを起こしてもらっては今までの苦労が水の泡だ。
そこで、ことさら、天皇家を貶め、華やかな軍事貴族の源氏や平氏を乞喰並みの汚い格好をさせる。事実とは異なるおお嘘のドラマをねつ造し、殊更我が国の中世史を、如何につまらないものかを強調しているのだ。

こうして、我が国の平安後期の歴史を汚すことにより、韓国の歴史的優位性を印象付けようとする魂胆がはっきりと読み取れるのである。

和船のレース

和船の競漕について

 

近頃、和船のレースが各地で盛んに行われるようになってきた。

特に瀬戸内海の水軍祭りや、イベント等でよく行われているようだ。

しかし、どうも違和感がある。そう思ってよく見ると、なんと櫂で漕いでいるではないか。

これではまるで長崎のペーロンか、旧海軍のカッターレースだ。

どう考えてもこれはおかしい。

昔から、和船は櫓によって推進と舵の両方の役目を行っていた。

櫂で漕ぐものもあったが、盥船以外はまず見たことがない。

しかも、その使い方は、単にボートのように水を掻くだけではない。むしろ櫓に近い漕法なのである。

私の子供のころ、海沿いの集落の子供たちは、ほとんどといっていいほど達者に櫓を操ったものだった。

私の家は海とは縁がなかったので、その様なことはできなかったが、近所の子供たちが伝馬船を漕いでよく釣りに行っていた記憶がある。

この伝馬船は、艫に一丁の櫓があるだけ小さな船で、慣れさえすれば子供でも漕ぐことができた。

昔はそれほどありふれた船であった伝馬船が、今では全く見られなくなってしまったのは何故だろう。

一度、扱いを覚えてしまえばこれほど手軽に海で遊べる便利なものはないと思うのだが。

今現在は、昔ながらの伝馬船も姿を消し、櫓を自由に操れる人も少なくなった。

その為、町おこしでイベントや祭りをやるとき、より多くの人に参加してもらうためと、誰でもが少しの練習で漕ぐことができる櫂にしたのだろう。

しかし、これはどう考えても変だ。是非とも本来の櫓で漕ぐ和船競漕に変えてほしい。

確かに漕げる人数は少なくなる。おそらく同じ大きさの船なら半分以下だろう。

また、ちゃんとまともに櫓が扱えるようになるのは、ただの体力勝負だけの櫂よりはるかに時間と熟練を要する。

しかし、もしこれができれば、今までの安易な漕船レースよりはるかに格調高い和船競漕となり、この行事自体がより一層魅力あるものになると思うのだが。

日本刀について

日本刀の切れ味

 

日本刀は、過去、武士の魂と言われてきた。

先の戦争でも、数多くの日本刀が戦場に持ち出され、切り込みなどに使われてきた。

確かに、刀で切られる恐怖というものは、想像以上のものらしく、多くの米兵が日本兵の万歳突撃に恐れおののいたという。

しかし、実際の効果となると、心理的の恐怖感を与える以外はたいした成果は上がっていない。

自動小銃や最新の兵器を装備した米軍に、日本刀や銃剣などで肉弾突撃をかけることなど、誰が考えても、有効な戦果などあげられるはずもない。

事実、切り込みをかける状況とは、大砲や銃の弾を撃ち尽くし、やけくそで突撃をかけた例がほとんどであろう。

つまり、全ての抵抗手段を失ったあげくの特攻攻撃であったのだ。

これでは、戦況を挽回するなど到底無理な話である。

以上の話は、戦争末期の米軍相手の場合であるが、実は、日本刀による白兵戦は、太平洋戦争以前の中国戦線でも行われていたという。

遙か昔。私が中学生の頃、社会科の教師に、元騎兵隊の将校がいた。

でっぷりと太った貫禄のある人であったが、授業内容はわかりやすく優しい先生であった。

この先生が授業の合間に、よく戦争の話をしてくれた。

敗走する支那兵の首を馬上から切り飛ばすのだが、驚くほどよく切れたらしい。ジャッという音がして、まるでわら束でも切るように切れたらしい。

この優しい先生が人を切ったなど信じられなかったが、話には実際に体験しなければわからないような箇所があり、戦争の残酷さに聞き耳を立てながらおののいたものであった。

この話からわかることは、日本刀はとても良く切れる。そして、ちゃんと刃筋を立てて切れば、人を切るぐらい何でもなく、折れたり曲がったり、刃こぼれさえしない。

このことは、後、数十年経った後、実感することとなる。

東京勤務のとき、ある古い古武道の流派を習っていた。

毎年、年始めの稽古始めに、先生はろくに研いでもいないような錆刀を持ち出して木の枝を切らせた。
集まった弟子全員に切らせるのだが、これが良く切れる。古手の弟子なら直径4センチぐらいの若木ならわけもない。
さすがに女性や子供には無理があったが、少々粗い扱いをしたくらいでは、折れも、曲がりも刃こぼれ一つしない。

そのとき、中学時代の社会の先生の話を思い出して、あの話はやはり本当であったかと合点したものである。

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
武の歴史の誤りを糺す
8
  • 0円
  • ダウンロード

13 / 78