幻の恋

 

 「先生はどんなレールを走ってきたの?」佳織はハイトーンの声でたずねた。「え!僕にはレールなんて無かったよ。夢はあったけど、宇宙の謎を解く夢!」拓也は自分の青春時代を思い出していた。「夢か!佳織には何にも無いな」佳織は黙り込んでしまった。拓也はまたしても怒らせたのではないかと気が気ではなかった。

 


 「先生、実を言うと佳織、うそをついていたの。流産の話、うそなの。死にたくても死ねないから、ママを苦しめたくて言ったの。家出したのも、信者になったのも、母から逃げ出したかったからなの」このことはドクターにも話していなかった。佳織は拓也の優しさを感じ取っていた。佳織の始めての告白であった。佳織は自分をわかってくれる人に巡り会ったように思えて拓也の顔をじっと見つめた。

 


 拓也は笑顔を作ると「そうだったのか、本当に、神の子を流産したと思っていたよ」拓也はうそと聞いて内心ほっとしていた。「先生、実際にいるのよ。教祖の妻は!20人以上いるはずよ。だけど、佳織はなれなかった。教祖は人間なのよ。神じゃないわ。それに・・・」佳織は自分の気持ちを伝えたい衝動にかられていた。拓也は佳織の途切れた言葉が気になったが、話を続けてくれたことに感謝した。

 

 

 「人間は不完全でいいんだよ、できそこないでいいんだよ。悩んで、苦しんで、泣いて、笑って、恥かいて、それでいいんだよ」拓也はもっと会話が続くことを願った。「ママってね、他人に自慢できる、エリート人間になれって言うの。成績は一番、品行方正、常に模範生。そんな人間になんてなれっこないのに。もっとムカつくのは男の子からメールが来ると目を吊り上げたりするの。いつも監視されてるの。佳織はママのロボットじゃないわ」佳織の声は悲しげであった。

 


 佳織の心の傷がとても深いことに気づいた。拓也は女性の心理は苦手であったが自分の気持ちを素直に話すことにした。「先生も逃げ出したくなるときが何度もあったな。スポーツ音痴だから運動会は死ぬほどいやだった。水泳もだ。まったく泳げなかったから、水泳の時間は仮病を使ってたな。それに、口下手だから女の子と話せなくて、話しかけられると逃げてたっけ。高校の合格発表の日も怖くて見にいけなかったな」拓也は学生のころを思い出しぼそぼそと話した。佳織は子供のような瞳で流れる景色をじっと見つめていた。

 


 佳織は静かに小さな声で話し始めた。「確かに逃げているの。自分を救ってくれる夢の中に。だけど、いつまで、逃げればいいのかしら」佳織は本当の悩みを見つけようとしていた。「そうだなー、おかしなもので、とことん逃げてもメビウスの輪みたいに、いつの間にか元のところに戻ってくるんだな。ほら、楽しい夢を見ていて終わらないで、このまま夢が続いてって、思ったことがあるだろ。だけど、目が覚めたとき、やはり、夢の中の自分はうその自分であることに気づくんだな。夢は夢でいいじゃないか。

 

 

 

 誰でも、夢に生きることは普通なんだ。夢があるから生きていけるのかもしれない。子供のころ、猫が苦手でね、夢で猫に追いかけられたんだ。ひたすら逃げても追いかけてくるんだ。ますます後ろを見るのが怖くなってひたすら走るんだ。だけど、いくら走っても早く走れない。疲れてくるし、怖くなるし、もうだめだと思ったとき、エイ!って思い切って振り向いたんだ。すると、猫が消えていたんだ。面白いだろー」

 


 子供が昼寝をして、夢で笑っているかのような佳織の笑顔に、拓也はしばらく見入っていた。浜松駅の文字が目に入ったとき、甘い香りが鼻を包んだ。15歳ぐらいの少女が長い脚をこの世のすべての女性に対し自慢するかのように、大またで拓也の横を通り過ぎた。彼女は通路を挟んだ斜め前の通路側の席にポンと腰掛けた。窓際には彼女の友達と思われる髪をブロンドに染めたほぼ同じ年の少女が座っていた。

 


 脚の長い彼女の前にはそ知らぬ顔をしたコロンダ君が眉間にしわを寄せ目をつぶって静かに座っていた。ドクターに頼まれて二人を尾行している。ドクターの友達の弟で25歳のキャリアである。この若さで警察署長の役職についている。これは経歴のためではあるが異例の出世であろう。だが、キャリアに似合わずとても優しい性格をしている。典型的な草食系で見た目はひょろっとしていて、風が吹けば飛んでいきそうなほどひ弱な体格をしている。コロンダは時々躓く彼を見てドクターがつけたあだ名である。

 

 

 

 拓也は”美のいたずら”について思う。彼はいたって品行方正だ。両手を腿の上に置き黙って座っている。偶然にも、美少女が下着が見えんばかりのレザーの超ミニスカートで男の好奇心を刺激しながら、美しい足を眼前にプレゼントしている。彼女は好意を持って「美」をプレゼントしているが彼にとってはありがた迷惑に違いない。男であれば痛いほどわかる。

 


 少女が自分の美しいものを他人に見せたい、と思う気持ちはわかるような気もする。確かに、美しい脚は周りの人の心を清める。このように、長く、美しい脚は希少価値があり、特に男に対し多大の貢献をしている。だが、若い精力旺盛な青年にとってどれほど酷か。心臓が痛むほどだ。この手の拷問に耐えるには全理性を総動員しなければならない。

 


 拓也はコロンダ君の役目を考えると気の毒になってきた。この旅行が終わったら食事にでも誘ってねぎらうことにした。今回の役目は単なる尾行であろうが、彼が引き受けたのにはもっと他の意図があったのかもしれない。K教団と国際的人身売買地下組織BSHのと関係についてドクターから先日話を聞いていた。佳織が予想以上に危険な状況にあるとすれば、拓也はとても重要なボディガードということになる。

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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