私はコースターが垂直落下、即ち、ロウの状態の時に何度も死のうと思った。今でこそ、希死念慮は少なくなったものの、何時でも逝けるようにレボトミン25mgと、1錠飲むと半日は眠ってしまうロゼレムを溜め込んでいる。レボトミンは500錠を超えた。いつでも逝ける準備をしていないと不安になる。自分には明るい未来など無いと思っているからだ。医師からは、寛解状態になる事は無いと宣言されているし、仕事にも就けない。障害年金はおりなかった。発病時(16歳)の時の診断名(重度うつ)と今の診断名が違うというのが理由で、本当にあっけなく、申請は却下された。私に残されたものは、数少ない友人と、起動に5分以上かかるオンボロのパソコン、ほぼ役に立たない障害者手帳。そんなものだ。
私の手の中は空っぽに近い。友人は皆、遠方に住んでいるし、N市と同じくらい嫌っている地元には友人は居ない。この田舎町には、良い思い出など1つも無く、有るのは暗い過去だけだ。
重度のうつを発病した16歳。私はこの町のはずれにある、県内で一番レベルの低い高校に通っていた。友達は居なかった。寧ろ、いじめに遭っていた。影口を叩かれ、仲間はずれにされ、16歳の私はもう、生きる事に絶望していたし、いじめに遭っている事を親にも言えず、どこにも居場所が無かった。
ある日、校医の問診を受けた時に、「死にたくなる事がある」という項目があり、私は迷わずそれに丸をつけた。すぐに保険医に呼び出され、市の精神保健センターに行くように言われた。言われるまま行ったセンターで精神科医とおぼしき人と会い、問診を受け、下された病名は重度うつ、だった。学校はそのまま休学した。(後に復学し、奇跡的に卒業する事が出来たが、本当に奇跡としか言い様が無い)
私は小学校も中学校もろくに通っていない。精神病の基礎は、もう幼い頃に出来上がっていたのだと思う。小学生の時は過敏性腸炎で、集団登校の迎えが来る度にトイレに駆け込んだ。小学校は2回転校した。その度にいじめに遭った。無能で非力な私にはいじめに勝つ自信もなく、この頃からきっと私の手の中には何も無かったのだと思う。
何時だって、手の中は空っぽだった。