親密度の僕のスケールで計って浮かび上がってきた女友達は、僕の場合、そんなに多くはなかった。13名。
会って話しただけで、手も握り合ったこともない人から、キスまでの人や、セックスしたくても意志と離れて体が拒否した人や、セックスまでいった人などがいる。この中には、僕の一生に大きな影響を与えた人までいろいろだ。
こうして、このBookにまとめてみると、ある特性が見えてくる。それはとりもなおさず、僕の女性に対する価値観のようなものが透けて見える。
強くひかれた人には、どう見ても普通ではない、何かに特別な才能や、資質を持っている人が多いようだ。でも、こうした女性は僕の「親父から僕へ、そして君たちへ」で書いてきたように、僕の希望する温かな日常的な家庭の母、妻の候補とは僕には映らなかったようだ。
一方、一般的に言われている、いわゆる普通な人には失敗しているという傾向だ。必要条件を強く見過ぎて、愛の本質をないがしろにした恣意的な選択の結果だったのかもしれない。恣意的に選んだ人にはことごとく失敗している。最初に僕が要求する必要条件で選んだ人たちだ。
特別な才能を持った人たち、例えば、
・洋画家
・ピアニスト
・グラフィック・デザイナー
・トリオでドラムをたたいている女性
・車のレーサーを夢見る人
・フランス語を含めて三か国語が話せる人
・心理カウンセラー
・絵画のキューレーター(学芸員)
など。
一方、カミさんには、家庭の主婦、サラリーマンの奥さん、地域社会のメンバーなどのできる資質を持った人を選んでいる。つまり、僕の考える必要条件を備えた人だ。
二極化(?)した女性たちは、特別な才能を持っているけれど主婦としてはどうなのかなぁと考えた人たちと、恣意的に妻に選んだ人たちにわかれる。
特別な才能を持っていて、僕が、僕の妻としてはどうかなぁと思った人たちもその後を見ていると、結婚し、子供を作り、主婦をこなし、しかも、失うことなく自分の世界も持っているようだ。
結果として、全ての女性は、結婚、妻、母、独立した女性としての、必要十分条件を満たしているという結論になる。
これは僕に対する皮肉でしかない。しかも、もう取り返せないのだ。
著者プロフィール
徳山てつんど(德山徹人)
1942年1月1日 東京、谷中生まれ
1961年 大阪市立大学中退
1966年 法政大学卒業
1966年 日本IBM入社
システム・アナリスト、ソフト開発担当、コンサルタントとして働く
この間、ミラノ駐在員、アメリカとの共同プロジェクト参画を経験
海外でのマネジメント研修、コンサルタント研修を受ける
1996年 日本IBM退社
1997年 パーソナリティ・カウンセリングおよびコンサルティングの
ペルコム・スタディオ(Per/Com Studio)開設
E-Mail:tetsundojp@yahoo.co.jp
HP: http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo#
著書
Book1:「父さんは、足の短いミラネーゼ」 http://forkn.jp/book/1912/
Book2:「大学時代を思ってみれば…」 http://forkn.jp/book/1983/
Book3:「親父から僕へ、そして君たちへ」 http://forkn.jp/book/2064/
Book4:「女性たちの足跡」 http://forkn.jp/book/2586/
Book5:「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1」
Book6:「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2」