今僕の腕の中では大切な人が眠っている。
あの時とは違う大切な人。
あれから時間が経って僕は拳を握る事を覚えた。
それを振りかざす事を覚えた。
でも常識なんて言う厄介なものも知ってしまった。
彼女はここにいない。
頭の中で誰かが呟く。
わかっている。もう一人の自分だ。
あの時軽蔑した者が僕の中にもいる。
でも僕の体は彼女を抱いていた。
遠くの空からサイレンの音が聞こえる。
「ほら来たよ。君を殺しに。」
口が呟く。
しかしもう一人の自分が告げる。
その中に彼女が大好きだったお母さんやお父さんもいる。
僕は亡くしてしまったが彼女の元気なおばあちゃんもいる。
きっと必死に探している事だろう。
みんな彼女の事を思ってここに集まってくる。
彼らは決して敵ではない。
みんな彼女を愛しているのだ。
そんな事は知っていた。あの時だってきっとわかっていたんだ。
敵でもいないと君を守る事ができないよ。
僕はいつの間にか泣いていた。
「ありがとう。」
どこからか声が聞こえてきた。
それは僕の見下ろす大切な人の口からではない。
どこか遠くの空から。
彼女の言葉だろうか?それとももう一人の僕だろうか。
わからない。
でも確かに声を聞いた気がした。
何が正しいのかなんて僕にはわからない。
僕には目の前で眠る大切な人を抱きしめる事しかできなかった。
このままずっとここにいよう。
僕は微かなぬくもりを感じながら彼女に抱かれていた。