大好きな人。僕のとても大切で大好きな人。
真っ白になった髪に皺くちゃの顔で僕に微笑みかけてくれる。
「僕はね、お母さんよりもお父さんよりもおばあちゃんが大好き。」
そう言うと笑って頭を撫でてくれた。
腰を大きく曲げたまま僕の手を引きよく公園に連れて行ってくれた。
公園で遊んだ後はいつも近所の駄菓子屋に寄った。
小さな籠に欲しい物全部詰め込んでおばあちゃんに渡すと、小さな袋に入って僕の手に戻ってくる。
わがままはなんでも聞いてくれたおばあちゃん。
でも鉄砲の玩具だけは買ってくれなかった事をよく覚えている。
ある朝、両親に起こされおばあちゃんが倒れたと知らされた。
すぐに病院に駆けつけ手術室に入る両親。
僕は部屋の前で帰りを待った。
とても長い時間だった。
僕は絵本を読んだり絵を書いて過ごした。
日が傾きかけた頃手術室から両親だけが出てきた。
おばあちゃんは帰ってこなかった。
「おばあちゃんは死んじゃったの。」
そう告げられた。
悲しくなかった。僕は泣かなかった。
「おばあちゃんに会いに行こうね。」
言われるままに着いていく。
静かな病院でも多少の喧噪はある。
それすらない静かでどこか薄暗く、ひんやりとした空気に包まれる部屋。
そこにおばあちゃんは眠っていた。
姿を目にした瞬間、僕は大きな声をあげて泣いていた。
目にして初めて大切な人の死を理解した。
それから僕はずっとおばあちゃんの横にいた。
おばあちゃんの体を掴み僕は泣き続けた。
お通夜の間もお葬式の間も。
棺の横でおばあちゃんの好きだったオルゴールのネジを回し続けた。
葬儀も終わり火葬場に行くと言われた。
おばあちゃんを骨にするそうだ。
僕は言われるままに手を引かれた。
火葬場は独特の匂いがして、同じような黒い服を着た人がたくさんいた。
言われたままに進んでいくと窯から出てきた白い残骸が目入る。
まさかと思い僕は母の手を引いた。
「おばあちゃんあんな風になってしまうの?」
母は黙って頷いた。
骨にするとは聞いていた。
でも僕の想像していた物は骸骨とかもっと人間らしい物で。
自分の目で見て初めて理解した。
これから行われようとしている事の恐ろしさを。
「ダメ。おばあちゃんをこのまま連れて帰る。」
そう言って僕は暴れた。
「わがままいわないの。」
僕を止める両親。
でも僕は黙ってなんていられなかった。
なにがわがままなんだ。
おばあちゃんをあんなにするのか?
なんでお前達はそんな事を認めるんだ。
僕は泣きながら思いつくままに体を振りまわした。手が触れる物は全て掴んだ。
沢山の手が僕を押さえつけた。
もがいて、もがいても振り解く事はできない。
ただ泣くばかりだった。
「最後におばあちゃんの顔を見てあげなさい。」
両親に抱えられたまま箱の中を覗き込む。
そこにはいつも僕に笑いかけてくれたおばあちゃんの顔があった。
何も変わらない。
おばあちゃんは今ここにいるじゃないか。
それをお前達は殺すんだ。
僕は泣いて訴えた。
でも誰一人僕に賛同する物はいない。
全員が恐ろしい儀式の進行に同意していた。
僕は最後まで抵抗した。
それでも助け出す事は出来なかった。
次に見たおばあちゃんは真っ白な残骸だった。
あの時すべてが敵だった。
僕は敗北した。
大好きな人を守る事が出来なかった。
今僕の腕の中では大切な人が眠っている。
あの時とは違う大切な人。
あれから時間が経って僕は拳を握る事を覚えた。
それを振りかざす事を覚えた。
でも常識なんて言う厄介なものも知ってしまった。
彼女はここにいない。
頭の中で誰かが呟く。
わかっている。もう一人の自分だ。
あの時軽蔑した者が僕の中にもいる。
でも僕の体は彼女を抱いていた。
遠くの空からサイレンの音が聞こえる。
「ほら来たよ。君を殺しに。」
口が呟く。
しかしもう一人の自分が告げる。
その中に彼女が大好きだったお母さんやお父さんもいる。
僕は亡くしてしまったが彼女の元気なおばあちゃんもいる。
きっと必死に探している事だろう。
みんな彼女の事を思ってここに集まってくる。
彼らは決して敵ではない。
みんな彼女を愛しているのだ。
そんな事は知っていた。あの時だってきっとわかっていたんだ。
敵でもいないと君を守る事ができないよ。
僕はいつの間にか泣いていた。
「ありがとう。」
どこからか声が聞こえてきた。
それは僕の見下ろす大切な人の口からではない。
どこか遠くの空から。
彼女の言葉だろうか?それとももう一人の僕だろうか。
わからない。
でも確かに声を聞いた気がした。
何が正しいのかなんて僕にはわからない。
僕には目の前で眠る大切な人を抱きしめる事しかできなかった。
このままずっとここにいよう。
僕は微かなぬくもりを感じながら彼女に抱かれていた。