うだるような夏の日は、悪い夢のようだ。
思い出したくもない記憶も
幻のような出来事も
すべて夏の日のかげろうのようで
「どんな相手でも会わせてくれるんだって」
「えー?」
毎週、だいたいこの時間に、学食で時間を潰してる3人。
授業の空き時間に、お菓子をつまみながら、
いつものように喋っていたら、歩が突然思い出したように言った。
「探偵か何か?」
「違うよ!「どんな」相手でも会わせてくれるんだってば」
歩は「どんな」に力をいれて言った。
すでに沙希は興味をなくしたらしく、
「ふーん」と曖昧に呟いて、お菓子を食べている。
それを見咎めて、歩は少し頬を膨らませると、
沙希のことは放っておいて、私の方に身を乗り出した。
「すっごい真剣に、会いたいって相手なら、
ほんと、どんな人でも会えるんだって!
綾子は会いたい人っている?」
「急に言われても…すっごい真剣に、かぁ」
結局、その日、その話はそれきりで。
授業終了のチャイムに急かされるように、
私たちは別々の授業に向かった。
急に言われても、思いつかないとは言ったものの、
本当は会いたい人があった。
だけど、その人はもう絶対に絶対に会えない人だったから…
私は、少しだけ、その相手を思い出して
授業が終わる頃には、そんな話のことも忘れていた。
次に歩に会ったのは、翌週の同じ授業の合間の時間だった。
いつものように、沙希とお菓子をつまんでいるところへ、歩が通りかかった。
「綾子、沙希、こん」
「あれ?歩ちょっと痩せた?」
明るい笑顔で歩が片手を挙げたが、その頬が若干こけているようにも見えた。
「ほんと。ちょっと痩せたっぽいよ」
「そんなこともないんだけどなぁ」
歩は頬を撫ぜながら、首を傾げた。
彼女は鞄を置いて、沙希の隣に座ると、お菓子に手を伸ばした。
そして、いつものように他愛もない雑談で時間を潰す。
休んでいた歩を心配する沙希を彼女は軽く笑ってはぐらかしていた。
何も変わらない。
本当にいつもどおりの一日。
変化のない、穏やかな日々。
それが崩れるなんて、想像もしていなかった。
チャイムの音に、それぞれ荷物をまとめて立ち上がる。
「綾子。これ、あげる」
歩に渡されたのは、ひとつの小さな種だった。
「なに?これ」
「私にはもう必要ないから」
にっこりと笑うと、ひらひらと手を振って、歩は鞄を持った。
そして、「今日は帰る」と言い残して、去っていった。
それが、私が歩と会った最後だった。
数日後、彼女は失踪した。
噂では、家には荷物も置いたまま、
携帯やバッグすら、すべて家に置いたまま消えたらしい。
忽然と、彼女だけが消えた。
警察が調べているらしく、失踪届も出されたらしい。
けれど、私の元に残されたのは、小さな枯れた種だけだった。
毎日、忙しく過ぎる日々の中で、
やがて、歩のことを思い出すことも少なくなっていった。
そして、就職も決まり、卒業を控え、
久しぶりに学校に顔を出した私は、いつかのように学食で暇を潰していた。
実家に一時戻っていた沙希も、久しぶりに学校に来ていて、
なんとなく、歩のことを思い出していた。
「そういえば、歩のことなんだけどね」
「うん?」
ぽつりと沙希が言った。
「なんか、いなくなる前に、いろんな人に変なこと言ってたみたい」
沙希の聞いた話によると、
私たちも聞いた「どんな人にでも会える」という噂を、
歩はいろいろな人に言っていたそうだ。
そして、その噂が本当だったとも言っていたらしい。
警察はその相手というのを探していたらしいが、
痕跡のひとつもなく、本当に、忽然と姿を消したのだそうだ。
また、そのために必要な何かがあると言う。
噂ばかりが広まっていて、テレビのゴシップかのようで、気分が悪くなる。
「綾子は、消えないよね?」
沙希は心配そうな顔で私の顔を覗き込んだ。
「当たり前じゃない!消える…理由なんてないもの」
「だよね……」
沙希は、沈んだ表情で一瞬俯くと、それを振り切るように首を振って顔をあげた。
「変なこと聞いてごめん。私この後用事あるから、もう行くね」
「うん、じゃまたね」
鞄を持って立ち去る沙希を見送って、私も家に帰ることにした。
家に帰ると、机の上で一輪の花が咲いていた。
しまい込んでいた、歩から貰ったあの種が、青い花の根にからみついていた。
土も水もついている気配もなく、ただぽつんと花があった。
私は、手を伸ばすと、そっと花に触れてみた。
確かに花の柔らかい触感があった。
「あやちゃん」
背後から、声変わり前の子供の声がした。
振り向くと、幼い少年が見上げていた。
「あやちゃん、むかえにきたよ」
少年は笑顔で手を伸ばした。
「そうやって、歩も連れて行ったの?」
「ぼくのこと、わすれちゃった?あやちゃん」
私はぎゅっと目を閉じて、耳をふさいだ。
服の裾を引く感触がする。
「呼ばないで」
「いっしょにいこう。あやちゃん」
「呼ばないで!!」
目を開けて叫ぶ。
少年は聞こえていないかのように、
笑顔のまま、手を伸ばしたまま、何度も名前を呼んだ。
私は返事も、触れられることも、
硬く拒否して、じっと少年を睨み付けた。
少年はしばらく黙って、私を見つめると
軽く肩をすくめて、伸ばした手を下ろした。
「なんで?彼女は喜んでくれたよ」
「そうやって、歩も連れ去ったのね」
少年は静かに頷いた。
「歩を返して」
言うと、少年は悲しそうに俯いた。
「出来ないよ。彼女は、もう帰れない。鍵がないから」
彼は深い深いため息をつくと、私の横をすり抜けて、机から花をとった。
花は彼の手の中でゆっくりと枯れ、
また小さな種だけが彼の手に残った。
少年は振り向くと、私の顔を見上げた。
「花は会いたいと強く願わないと咲かない。
あやちゃん、ぼくに会いたくなかった?」
私はひとつ息をついた。
「ううん。会いたかったよ。カズ君と同じ年の私だったら」
「そっか…」
フラッシュバックのように思い出す、夏の日。
麦わらの帽子を手に走る少年、追いかける幼い私。
目の前で宙に舞い、跳ね飛ばされ転がる幼馴染の少年。
赤い赤いたくさんの血…
「じゃあ、さよなら」
少年はそう言うと、すぅっと空気に溶けて消えた。
私は少しだけ泣いた。
ハッと目を覚ますと、私は自分の部屋にいた。
机の上に、もちろん花はなく、
慌てて引出しをひっくり返したが、あの種もなくなっていた。
「夢……じゃなかった?」
顔に手が触れると、自分の頬が濡れていた。
私は、少年が立っていたところへ座り込んだ。
けれど、そこには彼が立っていた気配すら残ってはいなかった。
それが本当にあったことだったのか、
今でもわからない。
ただの夢だったのかもしれない。
それからしばらくして、私は大学を卒業し、
実家の近くで就職した。
やがて学生時代の友人とも疎遠になっていった。
沙希とは、たまに会うこともあったが、
歩はやはり行方不明のままだと、噂で聞いた。
あの花も、種も、それから見かけることもなく、
彼女を惑わしたであろう噂も聞くことはなかった。
そして、私は平穏な日々を送っている。