算命学余話 #G105

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算命学余話 #G105 (page 1)

 夭折の画家、中園孔二の伝記『穏やかなゴースト』の中に、印象的な記述がありました。それは、彼の元恋人だった女性の思い出で、彼と会うたび彼の方から「君はこれが好きでしょ」と音楽その他を提示され、それが自分の好みにドンピシャだったというくだりです。特にこちらの好みを細かく伝えていたわけでもないのに、彼は超人的感性で相手の好みを察知し、それを何でもないことのようにさらりとやってのけた。恋人の方はそうやって毎回好みのメニューでもてなされるため、彼と一緒にいるのが嬉しくなる。でも彼に一方的にもてなされて過ごすあまり、彼自身が一体何を好みとしていたかは知らずじまいだったというのです。この印象はこの元恋人一人に限ったことではなく、生前の中園氏と親しかった人間からも似たり寄ったりの思い出が語られます。この話を読んだ時、私は献身の星である車騎星か牽牛星が強く輝くのを感じました。

 献身にもいろいろありますが、一般的に想像されるような「身を挺して」誰かを守ったり戦ったり尽くしたり、といった自己犠牲的行為は、勿論官星つまり車騎星・牽牛星の典型的な発現です。尤も、官星のない人であってもこうした行為はごく普通に見られます。それは自分にとって特別に大切な人に対してです。家族であったり、恋人であったり、その人にとってかけがえのない相手であれば、官星によらずとも人は献身的になれるものです。
 しかしながら、上述の中園氏の献身(献身ですとも)は尋常ではありません。献身の量ではなくて、質が驚きなのです。何ですか、彼は読心術でも持って生まれたエスパーの類だったのでしょうか。人の好みがドンピシャで判るというのは、ほぼ相手の心が読めるというのに等しい。それも、長年連れ添った夫婦や、片時も目を離さず育て続けた我が子に対する母親とかだったら、相手の好みも苦手も経験から把握できるでしょうが、25歳で事故死した青年にはそんな経験を積み上げるヒマはありませんでした。カノジョとの付合いも四六時中ベッタリというものではなかった。だから時間や経験の積み重ねはここでは関係ありません。あるのは彼自身の異様に鋭い感性と、相手をもてなしたいという奉仕欲です。

 私はこういう種類の人間とまだ会ったことも聞いたこともなかったので、俄然宿命を見たくなりました。こうした能力の要因は宿命に現れるものなのか。そして十中八九、官星はある、との推測は果たして当たっているのか。もし当たっていなければ、この献身や奉仕はどこから生まれたものなのか。
 というわけで、今回は中園孔二氏の宿命を例題に挙げて、彼の驚くべき献身意欲又は能力を探ってみます。なお『穏やかなゴースト』の中でも言及され、私自身も思い至ったように、中園氏の人となりから思い浮かべる風景は、宮沢賢治のそれと非常に重なります。そこで宮沢賢治の宿命を算出してみたところ、興味深い共通点が見つかりましたので、その点にも触れてみます。
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