親父から僕へ、そして君たちへ

オンちゃんへの手紙( 1 / 1 )

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ことしのセンター試験は雪が舞った。ふとあの日を思い出してしまう。

 あれはもう20年近く前の111日、おやじの葬儀の日。

 東京にその冬初めての雪が降った。文京区、白山の寺は真っ白な初雪に覆われて、通夜も、その葬儀の日も、とても寒い日だった。

 おやじを好きだった孫にあたるオンちゃん(長男。お兄ちゃんと下のチビがそう呼んでいた)は、葬儀の日が共通一次の試験の日と重なった。彼はちょっと通夜に顔を見せただけで、葬儀には出席出来なかった。残念だったに違いない。

 僕は、オンちゃんとは、かなり厳しい約束をしていた。

 それは、中学生の頃から、高校も大学も自分のうちから通える国公立でやっていくこと。高校3年間と、予備(浪人?)の2年、そして大学の4年間は僕がちゃんと面倒を見ること。まあ合計10年間を意識して、勉強や、計画を立てることと約束していた。いわばモラトリアムの期間を合意していたわけだ。

 オンちゃんは、がんばってバンカラな気風の残る横浜の希望ヶ丘という楽しい公立高校に入った。そこで彼は高校生らしい生活を本当に楽しんだ。ちょっと心配だったのは、その学校の現役での大学合格率は、平均5割だってことだった。半分は浪人があたりまえって感じだった。

 学園祭にも3回ほど行ってみたが、僕の大学時代と同じような立て看板の林立する、明るい雰囲気だった。愉しそうだった。クラブ活動も活発に3年までやってて、一寸仕切るのが好きなような性格がもうその頃から見えていた。

 うれしいことに、学部は高校の頃から、彼は機械工学をやりたいと決めていた。予定どおり()に、その年は受験に失敗。一期、ニ期の受験可能な国公立の全て受けて、すべて駄目だった。国公立って決めていたが、腕試しに受けていたある私立には合格していたのだが…。

 浪人生活が始まった。気持ちは、まだバンカラから抜け出せないで、一年間を予備校で過ごした。翌年、再度挑戦して、またまた国公立に失敗。一時は、防衛大学校なんかも候補に入れてはいたようだが、入ってくれなくて本当はよかった。

 二年目の浪人生活。オンちゃんは本当に受験勉強に集中していた。遊びを吹っ切って勉強していた。僕のほうから、気分転換したらどうだと持ちかけるほどだった。

 かなり自分を追い込んでいたのだろう。僕と交わした約束からすると、もう最後の時間だったから。少しレベルもしょうがなく下げたようだった。
三度目の試験、国立二期校の工学部に入学していた。

 

やったね。皆ほっとした。一番ほっとしたのは、オンちゃんだったのは間違いない。これで、大人としての独立への道の最初の一歩を踏み出したのだから。

 おやじの白山の葬儀には、絵描仲間とかお弟子さんたち、そして僕の会社関係の人たちなど、400人もの人が雪の中やってきてくれた。

 町屋の火葬場までのマイクロバス2台に、同行希望者が多くて、みんなは乗れず、立ちんぼうで行ってくれた人も出るほどだった。おやじもうれしかったにちがいない。

 オンちゃんは、焼かれた骨にふれることもなく、おやじの葬儀は終わった。でも、その後、納骨式のあとの二次会では、僕をさしおいて宴会を仕切っていた。おやじも笑っていただろう。

 

君の最近を見ていると、なんだか、何でも「自分で、自分で」と会社の世界を生きていこうとしているようだ。それは、ちょうど僕が君の年齢ののころぶち当たった壁だ。 人間の社会に一人でできることなんて、皆無に等しい。この壁を乗り越えるのが、今後の君の人生で大切だと思う。

僕が今の君の年齢の頃、僕は幸いに相談できるカウンセラーにであった。家のこととか、女性のこととか、仕事のこととかを話したわけではない。

 

 彼は、僕は自分自身をどう知っているのかという点で僕に関わってくれた。それが、僕のその後を変えたO先生だった。僕は、本当には自分自身を判っていなかった。それを気づかせてくれたのだ。その後、ミュリエル・ジェームスというおばあちゃん先生と出会った。

 

 このメモを書いているのは、そんな誰かを探すことを君に勧めるためだ。女とか恋心とかとは全く違った次元の、新しい世界に触れてみることだ。それには、客観的な専門家、カウンセラーが一番いいと思う。O先生を紹介したいが、一昨年他界された。

 

 ちょっと肩の力を抜いて、自分に怒る事をやめて、誰かと話したらどうだろう。もう少し楽に、生きるためにね。

あとがき( 1 / 1 )

あとがき

 

僕にとっての家族とは、広く考えてみると、

 

僕のおばあちゃん、親父、離婚したお袋(亡くなった)、上の姉(亡くなった)、下の姉、僕、僕のカミさん、そして、僕のこどものオンちゃんとチビの9名。

 

すこし広げて、半血兄弟の兄貴、姉(故人)の二人、

 

さらに広めて、チビの子供たち、娘ばかり二人、

そんなものだろう。全部で13人ぐらいだ。

 

 

もう一つのグループは、まぎれもなく犬たち。

3頭のM.シュナウザー犬の、アンナ、ベー、そしてチェルト君だ。

 

 

親父からもらったものはたくさんあるけれど、

一番は、創造力、無から有を生む力。親父はこれで、一生を油絵描きで過ごした。

 

僕は、親父からもらったものを、

目に見えないものから目に見えるものを作る想像力、構想力でSEとしての長い時間を楽しんだ。

 

この資質は、オンちゃんに明確に引き継がれたようだ。

オンちゃんの場合は、想像力、構想力、それを使って、手で触ることができる物を作る創造力だ。きっとエンジニアとして達成感があるだろう。

 

チビは、壊れた家庭で学んだことを生かして、力の入らない自然体で、いい家庭を作り上げている。その自然体は、チビの娘たちにも受け継がれている。楽しいお母さんをしている。旦那も大切にしているようだ。

 

こんなふうにして、いつの間にか、親の姿、資質、考え方を受け継ぎ、もしくは反面教師として行動し、親から僕に、そして子供たちに引き継がれていくのを見出す。

 

そこには、良いことも、悪いことも、ないまぜになって、受け継がれていくように見える。

 

 

そんなことをまとめてみたくて、この本を作りしました。こうしたことが、各々の家系、家系にあって、つながっているようだとおもいます。

著者プロフィール( 1 / 1 )

著者プロフィール


著者プロフィール

 

徳山てつんど(德山徹人)

          

1942年1月1日 東京、谷中生まれ

1961年 大阪市立大学中退

1966年 法政大学卒業

1966年 日本IBM入社

 

  システム・アナリスト、ソフト開発担当、コンサルタントとして働く

  この間、ミラノ駐在員、アメリカとの共同プロジェクト参画を経験

      海外でのマネジメント研修、コンサルタント研修を受ける

 

1996年 日本IBM退社

 

1997年 パーソナリティ・カウンセリングおよびコンサルティングの

   ペルコム・スタディオ(Per/Com Studio)開設

 

EMailtetsundojp@yahoo.co.jp

HP: http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo

 

著書

 

Book1:「父さんは、足の短いミラネーゼ」 http://forkn.jp/book/1912/

Book2:「大学時代を思ってみれば…」    http://forkn.jp/book/1983/

Book3:「親父から僕へ、そして君たちへ」 http://forkn.jp/book/2064/

Book4:「親父から僕へ、そして君たちへ」      http://forkn.jp/book/2586/

Book5:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1」    

                        http://forkn.jp/book/4291

Book6:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2」

                                                             http://forkn.jp/book/4496

 

 

    

 

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
親父から僕へ、そして君たちへ
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