女教師の賭け

 失踪の事実を知ってからは父親について勝手な空想をするようになった。特に絵を描き始めるとなぜか脳裏に見たこともない男の顔がぼんやり現れるようになった。そのとき、男の顔をじっと見つめるのだがしばらくすると消えていく。この男は父親の亡霊じゃないかと思っているが、決して不快ではない。できれば何か話しかけてくれないかと思っている。この男は若い。二十歳前後で学生のように見える。
 この男が現れると真美雄は時々話しかけることがある。「父さんか?」と声をかけると、男は何も答えず遠ざかっていく。男の顔は何度か点滅すると消える。最後に黄色い長い髪が渦を巻くように広がりながら消えていく。父が失踪した後の消息は定かでない。生きているのか死んでいるのかわからない。この男は死んだ男の亡霊なのかもしれない。父の亡霊なのか?
 薄汚い市営住宅に引っ越したのは15年前である。運が良かったのか日当たりのよい二階の204号室が空いていた。母親はこの部屋に入れたことがとても嬉しかったのかニコニコした笑顔を振りまいているのをぼんやりではあるが憶えている。確かにここは格段に家賃が安い。しかし、母親の性格からするともっと小奇麗なコーポを好んでいたのではないかと思われる。
 真美雄が幼少のころ、母、裕子はクラブで働いていた。服装は周りから見ると派手であったに違いない。台所ではいつも料理をしながらロックを聴いて楽しそうに踊っていた。裕子は真美雄の前で悲しい顔を一度も見せたことがない。そのためか、父親がいないことに寂しさを感じたことがない。
 女子高を卒業後、家を飛び出した。そして、東京でキャバ嬢となった。今の仕事は中学に入学したころからだ。世間体を考えて転職したのかもしれない。おそらく、おばさんが勧めたに違いない。この会社に入れたのはおばさんのご主人のコネだ。女子高卒業後長い間風俗の仕事をしていたが、教師であった両親の躾で茶道、華道をやっていたため礼儀正しかった。ピアノとクラッシクバレーは小学校のときまでやらされていた。
 裕子は中学に入ると一切の習い事をやめた。また、部活も帰宅部だった。長女と三女は両親の方針に従ったが、裕子は従わなかった。小学校の「将来の夢」と題した卒業作文に女優になりたいと夢を書いた。それを読んだ両親は馬鹿にしたように笑ったのだ。そのとき以来、親との間に溝ができた
 真美雄は母親の若いころのことはおばさんに聞いた程度のことしか知らない。裕子は自分のことを真美雄に話したがらない。過去を後ろめたいと思っているのではなく、話の流れで輝雄の話をせざるを得なくなることを恐れている。輝雄との恋愛は裕子にとって宝石よりも輝く宝だ。だが、真美雄に話す勇気はない。あのときの出来事を話すことは愛する輝雄を傷つけるようであり、真美雄までも同じ事になるのではないかと不吉な予感が突如襲ってくるのだ。

                ~美の衝撃~
   

 

 

真美雄にとって学校生活は針のむしろとなっている。高一、高二と全国的な賞どころか福岡地区の賞にも該当しなかった。学校からは授業料泥棒のように見られている。ある教師からは学校を辞めろと暴言をはかれた。真美雄は何度退学しようかと思ったことだろう。退学を申し出るたびに思いとどまらせたのが絵美先生なのだ。絵筆を握れなくなった真美雄になぜか手を差し伸べる。
 卒業まで五ヶ月の辛抱と唇をかみ締める。時間が早く経つことだけしかもはや頭にない。市営住宅から通うような貧乏学生は真美雄だけだ。彼には学友はいない。また、真美雄から友達を作る気持ちはまったくない。周りの学生の贅沢な話を聞いているとムカつくだけだ。貧乏であることを隠す気持ちはないが、同情されると惨めになる。だから、夜、小遣いを稼ぐためにピザの宅配のバイトをやっている。

春日信彦
作家:春日信彦
女教師の賭け
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