女教師の賭け

               ~男の亡霊~
絵美先生へ

美の宇宙 至上の美に歓喜する

心奥深く静かに眠る美 コロナのごとく激しく燃え上がる

美の息吹に陶酔 美の魂に感謝

わが魂「美神」のしもべ

 これは真美雄が絵美先生との衝撃的出会いを詩にしたものだ。子供のころから数えきれないほどの絵を描いてきたが、すべて美を描いたものであった。中学2年のとき遊園地で遊んでいる少女たちを描いた作品が文部科学大臣賞に輝いた。小学校のときにも母親を描いた作品が知事賞に輝きTVニュースでも取り上げられた。そのとき以来、真美雄の心に画家となる夢の風船が大きく膨らんでいった。
 

 彼は福岡美術大学付属福岡芸工高校の三年生。高校生最後のコンクールの締め切りまで1ヶ月を切っているが、もはや作品を提出することはない。画家となる夢の風船は小さくしぼんでしまった。入学後、数点の絵を描いたがまったく美が描けなくなっていた。2年になってからは絵筆を握ることさえできなくなってしまった。美の線がまったくイメージできなくなってしまったのだ。

 

 

 すでに、学校にも母親にも進学をせず就職する意思を伝えている。真美雄は母子家庭で私立高校に進学できる家庭環境ではなかった。彼は中学卒業後、定時制高校に通いながら独学で絵を勉強することに決めていたが、文部科学大臣賞が特待生としての条件として認められ付属高校に入学できた。これは意外な幸運であった。また、この幸運は真美雄に画家となる夢が実現できるかのような錯覚を起こさせた。
 真美雄の名づけ親は父親輝雄だが、ガンで亡くなった。このことは子供のころに母から聞かされた。だが、高校一年のときに母の妹のおばさんから事実を知らされた。このことは口止めされていたらしいが真美雄の懇願に負けて告白した。事実とは父輝雄は失踪したのだ。また、結婚した当時、父は学生だった。知りえたのはこれだけである。彼はもっと詳しいことを聞き出そうとしたが、それ以上のことはかたくなに拒否された。
 失踪の事実を知ってからは父親について勝手な空想をするようになった。特に絵を描き始めるとなぜか脳裏に見たこともない男の顔がぼんやり現れるようになった。そのとき、男の顔をじっと見つめるのだがしばらくすると消えていく。この男は父親の亡霊じゃないかと思っているが、決して不快ではない。できれば何か話しかけてくれないかと思っている。この男は若い。二十歳前後で学生のように見える。
 この男が現れると真美雄は時々話しかけることがある。「父さんか?」と声をかけると、男は何も答えず遠ざかっていく。男の顔は何度か点滅すると消える。最後に黄色い長い髪が渦を巻くように広がりながら消えていく。父が失踪した後の消息は定かでない。生きているのか死んでいるのかわからない。この男は死んだ男の亡霊なのかもしれない。父の亡霊なのか?
 薄汚い市営住宅に引っ越したのは15年前である。運が良かったのか日当たりのよい二階の204号室が空いていた。母親はこの部屋に入れたことがとても嬉しかったのかニコニコした笑顔を振りまいているのをぼんやりではあるが憶えている。確かにここは格段に家賃が安い。しかし、母親の性格からするともっと小奇麗なコーポを好んでいたのではないかと思われる。
 真美雄が幼少のころ、母、裕子はクラブで働いていた。服装は周りから見ると派手であったに違いない。台所ではいつも料理をしながらロックを聴いて楽しそうに踊っていた。裕子は真美雄の前で悲しい顔を一度も見せたことがない。そのためか、父親がいないことに寂しさを感じたことがない。
春日信彦
作家:春日信彦
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