父さんは、足の短いミラネーゼ

アメリカでの遭遇( 4 / 8 )

怖かったフライト

怖かったフライト

 

日本からのフライトでは、JFK(ジョン・F・ケネディ空港)への着陸は、遠くロングアイランドの沖の方まで、うんと迂回して大西洋の方から、陸に向かってアプローチするのが普通だ。しかし僕たちは、マンハッタンの高層ビル群をかすめながら、北のほうから直接、JFKに近づいたことがある。しかもふらつきながら。

 

僕たちはその日、ニューヨーク発・東京直行便を、出発ゲートでもう4時間以上も待っていた。メカニカル・トラブルという奴で、いつになったら直るのかな、と恨めしそうに鼻先のあたりのペンキがはがれた、ちょっと疲れたような感じのその機体を見ていた。飛行機に乗り込むアナウンスを待っていた。やっと搭乗開始で、その時点で東京に着くのはいつになるのかな、なんて考えていた。とにかく待ち疲れていた。

 

水平飛行に移るとすぐ食事になった。五大湖あたりを飛んでいる時にはもうコニャックなんかをなめていた。カナダ上空に入ったなと思っていると、急に大きく機体が揺れた。別に音はしない。しばらくしても機体の揺れは落ち着かない。どうしたんだろうと思って外を見ていた。主翼の上についている、機体を安定させる小さな板が、小刻みに動いて機体の左右への揺れを防いでいる。しかし、いつもと安定度が違う。ちょっと変だなと思った。

 

どのぐらいそんな状態が続いたのかよく覚えていないが、アメリカ人機長のアナウンスがあった。この飛行機は、オイル圧力コントロールの機能が正常に働いていないので、機体を安定がうまく保て無い状態にある。そのため手動で、機体の安定を保って飛んでいるとのことのように理解した。乗客の間にざわめきが起こった。確かに機体は左右のバランスのとり方がスムーズではなくて、怖くはないのだが、一方の翼が反対側の翼より上に行ったり、逆に下に行ったりして水平が安定して保れていない。少し皆の間に動揺が広がった。

 

しばらくそのままのフライトが続き、機長から改めてアナウンスがあった。この飛行機は、安全のためJFKに引き返すとのことだった。太平洋を横断するのだから、安全は最重要だ。でもこの時から、僕たちの異常な経験が始まった。大きく片方の翼を上げてUターン。着陸時の安全のため、太平洋を横断するために積み込んだ満タンの燃料を空中放出するという。主翼の先から霧になって燃料が空中にばら撒かれていく。もちろん禁煙のサインは出ているのだが、雷かなんかで引火したらひとたまりもない。空は曇りだ。白く燃料のガスが流れ出て行くのを見ていた。その間も機体は小刻みに左右にゆれている。しかし直接的な危険は感じていなかった。とにかく早くJFKに戻ってくれと願っていた。カナダの、どこかの飛行場でもいいじゃないかとも考えた。

 

 

とても長くかんじられた時間が過ぎて飛行機は、ニューヨークに近づいた。その時だ。JFKに着陸するのに、その飛行機は、まさにマンハッタンの上空を低空で、しかも低速で飛行しているのを知ったのは…。機体はいぜんとして、チャリンコがふらつくように、左右にゆれて安定しない。高層ビルが、すぐ目の下にある。こんなところはふつう、飛べないなあと思った。いつものロングアイランドの姿はない。太西洋に出るようなそぶりはない。ああ、真っすぐに入っていくんだなと思った。

 

着陸用の大きなフラップが、ゴリゴリと音を立てて主翼から出て行く。それが風圧でゆれている。アナウンスがあって、僕たちは眼鏡をはずし、時計とか腕輪とか、身につけた金属という金属をはずし、すべての手荷物を格納した。そして、みんな自分のひざの上に上半身を突っ伏し、防御の姿勢をとった。エンジン音が大きく聞こえる。突っ伏しているのだから外の様子は見えない。音と振動だけが僕たちへのフェードバックだ。高度を下げていくのが分かる。エンジン音が急に小さくなる。ゴゴゴオーンと振動がきた。着地だ。エンジンの逆噴射が異常に大きく響く。機体が滑走しているのが、とても長い時間に感じた。止まった!突然、皆が拍手した。よかったなーと、やっと顔をあげた。

 

窓の外を見ると、消防車が何台も我々の飛行機を取り囲んでいる。化学消防車やアンビュランスも何台もやって来ている。消防車たちは放水銃をすべて我々の方に向けていつでも放水するぞ、と待ち構えているのが見える。すべての緊急車両が赤と青のランプを回転させている。非常事態なのだ。僕たちはすっかり取り囲まれている。その時、僕は始めて怖さを感じた。僕たちは本当に危険なのだ!エンジンは滑走路の真ん中で、シャットダウンされたままだ。自分でタクシーをして、ターミナルには行けない。空港は閉鎖されているようだ。

 

タグの車が来るのが見える。曇り空のJFKは、僕たちの飛行機を取り囲んで静かなように見える。静まり返っているように見える、何かが起こることを予想して?

恐怖だ。やっとタグがやって来て、僕たちは彼に引かれてターミナルに向う。ゆっくりと機体が動いた。ほっとする。これでやっと休めるぞ、と。ところがだ、僕たちの機体がゆっくりとターミナルに向かう間も、緊急自動車たちは、僕たちに放水銃の銃口を向けたまま、そのままの陣形で、僕たちを取り囲んだまま飛行機について来るのだ。機体が発火する危険はまだ消えてはいないのだ。ゆっくりゆっくり僕の飛行機は、タグに引かれてターミナルに近づいて行った。

 

僕たちは、それからもまだ待たされた。すぐに変わりの飛行機が準備され、それに乗り換えて日本へ飛び立てると思っていた。ところが、航空会社は代替の機体は準備できないので、同じ機体を修理して日本まで飛ぶというのだ。「ちょっと待ってくれよ!」ってことになる。何人かはキャンセルして、その日、飛ぶのをやめたり、他の航空会社に便を変更したりしていた。僕たちはそれもできず、ロビーでぐったり疲れて、修理が終わるのを待っていた。おいおい、またこんなボロ飛行機で12時間も太平洋を越えるのかよって思いながら。どんどん僕たちを追い越して、日本に向けて飛び立つ、ほかの航空会社の飛行機を見上げながら、僕たちは待ちつづけた。

 

僕たちが、その同じ飛行機に乗って東京に到着したのは予定の20時間遅れ。

最悪のフライトだった。

 

アメリカでの遭遇( 5 / 8 )

合衆国国道一号線

合衆国国道一号線

 

アメリカのルート001は何処から始まっているかご存じだろうか?フロリダ半島の南端から、さらにメキシコ湾に向かって小島が転々とつながった、もうキューバに近いさんご礁の島々の終点、キーウエストからだ。その町から、ルート001はアメリカ大陸の東海岸をドンドンと、ニューヨークに向かって北上していくのだ。

 

キーウエストは、マイアミから海上250キロは離れているのだろうか。僕達はそんな町に向かってマイアミから車にのって海の上を走っていった。キーウエストからキューバのハバナまで200キロ弱で、キューバは本当に目と鼻の先と言うことになる。

 

キーズというのは、片方がメキシコ湾、片方が大西洋の島々のつながりだ。さんご礁の小島たちが集まって、この海の上に陸地が点々とする構造を作ったようだ。キューバ危機の時に、これらの小島伝いにアメリカ軍が軍用道路を兼ねてつくった高速道路の橋が架かっている。ほとんど海の上にかかる橋だから、車の中からだと、窓の外は右も左もそのまま海。走っていると言うより、感覚的には自分が海の上を超低空で飛んでいるようだ。

 

そして行き止まりがキーウエストだ。一年中観光客が多くて、ヘミングウエィが好んで過ごした町でもある。南の花がいっぱい咲いていて、もちろんシーフードがとびきり安くておいしい。僕達はルート001の基点を確認してから食事をした。緑いっぱいの庭に並べられたテーブルで、南海の光を浴びてゆっくりと昼飯をとった。

 

行きも帰りも、車は海の上を飛んでいく。軽飛行機に乗って低空を飛んでいくみたいな感覚で、早く、しかし非常にゆっくりした感覚にもなる。対向車が視界に入ってくると、相対的なスピード感が急に戻ってくるのだが、そうでなければ単調な時間が過ぎていく。

 

ほんとうの楽しみ方は、どれか小さな島のひとつに泊まって、ゆっくりとメキシコ湾でヨットをやったり、海に潜ったり、釣りをしたり、美味いものを食ったり、冷え切ったヴェルモットでもなめているのだろうが、旅人の我々にはとどまる島はない。すっ飛んでいくだけだ。せめてキーウエストでゆったりと昼飯して、ショッピングを楽しんで、とんぼ返りでこのルート001を飛ばしてマイアミまで戻る。

 

海の上の島々ハイウエイが終わって、ワニのうじゃうじゃ住んでいる沼地に戻ると、もうそこはマイアミに近い。フロリダにはいっぱいワニが自生している。実はフロリダは湿地帯が多いのだ。僕の友達にフォート・ローダーデールに住んでいた奴が言っていたが、日本から連れていった芝犬が、家の前の沼でワニに襲われそうになったそうだ。気味の悪いところでもある。確かに沼地を覗き込んでみると、いるわ、いるわ。あまりかわいらしいとは思わない。

 

マイアミは大西洋に面した避寒地だ。何にもない。ハイ・シーズンは冬だ。冬はコンドミニアムもホテルも、部屋代がとっても高くなるって聞いた。僕達のホテルは浜辺に面している。フロリダ半島から見る大西洋から昇る太陽はでかくて壮観だった。特別に太平洋に昇る朝日と変りないはずだが、感覚的にはとても新鮮な感じだ。すごく早く目が覚めたからだろうか。浜へ出てみる。真東が浜の正面だ。広い砂浜は確かにきれいだ。日本で、ちんまりと切り取られた海岸を見慣れた僕には、広い広いと感じた。早朝は風も軽やかで、人々がジョギングで浜を遠くまで動いていく。

 

マイアミって特別どうってことはなく、日本で言えばいえば熱海みたいだ。古くからの湯治場のホテルをいっぱいいっぱい集めて、そして大きくしたような感じのところだ。リタイアメントのお年寄りが日がな一日、いろんなことで時間を過ごすことができるように配慮されている。ダンスをしたり、バンドで音楽を聞いたり、カジノをやってみたり、泳いで見たり、適当な運動ができたり、もちろんうまい食事もできて、ダイエット食もあって、何でもお好み次第だ。ゆったりと、しかしちょっとむなしい日々の連続だともいえるような感じだ。要はお年寄り中心の町で、若者は海でがんばるしかないような感じのところだ。フロリダは、退職したみんなが余生を過ごしたいと希望する特異な州だと聞いた。

 

フロリダでは、やはりシーフードが僕たち日本人には大受けだ。けっこう足繁く通うことになる。日本に比べると、ロブスターなんか安くて、びっくりするほどでかく、でもほんとうにおいしい。なかなか刺身ではだしてはくれないが、軽くボイルしたロブスターを、店が出すバターソースを断って、レモンと塩で食べる。こうすると日本人の味覚にぴったりだ。

 

フロリダでの大発見は、ストーンクラブと言う蟹だ。鮮やかなオレンジ色と、黒と白のペイントで色付けしたような、きれいな大きな爪がでてくる。しかも爪ばかりが出てくる。店で聞いた話では、このストーンクラブは非常に貴重な蟹で乱獲はできない。漁師は捕まえても、サイズを測り、小さいものは海に戻す。さらに立派に大きく蟹でも、両方の爪を一度に取ってしまってはいけないという規則があるそうだ。必ず一本の爪を残したまま海に放してやるのだそうだ。蟹はその残りの爪で漁をして生き延びる。そうするうちに、もう一度立派な爪が再生してくるのだそうだ。このアイデアには感心した。

 

石のように硬い殻を、道具を使って壊して爪を取り出すと、もうこれは二杯酢を作って食べるしかない。身が締まっていて、ほんとうにうまかった。この蟹を絶やさないために、手間ひまかかる漁をやっている漁師さん達に感謝だった。食べ終わって、フィンガーボールで手を洗って、白のワインに手を伸ばすとき、幸せの一語だ。

 

フロリダ東海岸には、フォート・ローダーデールとか、パームビーチとか素晴らしい町がいっぱいあるが、アメリカ人が言う、リタイアしたらフロリダに住みたい、と言う気持は、僕のものではないと言うのが感想だ。なんだか、あまりにもぐうたらな生活にどっぷり浸かってしまいそうだと思ったからだ。

アメリカでの遭遇( 6 / 8 )

オースティン

オースティン 

 

テキサス州の州都はオースティン。とても小さな街ですが、僕にとっては大変思いで深い町だ。

 

テキサスと聞くと、どんなことを想像されるだろうか?西部劇の舞台で、ガンマンがいて、荒くれ者がいっぱいいて、デリカシーなんてものは、かけらさえもなさそうな感じがするのだが…。もちろんそれは偏見だって事が分かるけれど、僕のびっくりしたことは、これらの荒くれの男っぽい男性の後ろで、女の人たちは、とても考えられないほどかわいらしく、まるで妖精のように、しとやかに暮らしていることを発見したことだ。姿形もちょっと小柄で、体つきはかなりスレンダーで、フェミニンな服装の人が多い。荒くれ男のイメージと、そのまったく反対の女性らしい女の人が、このテキサスに住んでいるのは大発見。それは、僕たちがアメリカで出あった女性のイメージが、ニユーヨークなんかで男性と対等にバンバン働いている活動的な、女性らしさなんてのは二の次だと自分自身で考えているかのような、パワフルな女性たちを見過ぎていたからかもしれない。

 

すごく逆説的な考えだが、男の人があまりにも男らしさを強調するのに反比例して、女性はより女々しく、男を頼って、彼らにもたれかかって、ゆだねて生活しているような感じをオースティンの町で出会った女性たちは醸し出していた。「荒々しい西部は、女性をより女性的に育てるんだ」と僕は思い込んでしまった。僕の最初に入った南部の雰囲気が漂うホテルが、余計にそんな感じを与えてくれたのかもしれない。しかし、その後、僕の2、3度の、この街の滞在でも、ずっとこの印象がついてまわった。

 

この町で忘れられない店は、ダン・マクラウスキー・ブッチャーズ・ハウスだ。この店は、オースティンの下町に開いているステーキハウスだ。とても大きな肉を、やわらかく、しかも客の好みに合わせて焼いてくれる。とびきり美しい女性が、注文をとりにくる時から、もう他の店とは違う。お客のテーブルまで、本物のちゃんとした生の肉の塊を持ってきて、相談に乗ってくれる。カットの種類と大きさを決め、焼き方を決め、とっておきの付けあわせをアドバイスをしてくれる。もちろん肉が焼きあがってくるまでは時間がかかる。しかしその時間がみんなにとって楽しい。待っている間の自分のアペリティーフと、もう食べ始めている客たちの肉の匂いで、口の中はもう、よだれでいっぱい。ウエイトレスのフェアリーな物腰が、やさしい店の感じをやはりちゃんと作り出している。

 

男を優しく優雅にもてなす女の役割を、十分意識してサービスをしているように見える。こんな感じは、北部の町のレストランでは決して期待できない。ニューヨークなんかでは有名な店でも、どさんと皿をテーブルの上に投げ出していくようなウエイトレスが、いっぱいいるんだから。だから僕は知人がオースティンに出かけるときは、この店をお勧めのリストに必ず入れている。

 

オースティンは大学の町でもある。ちっちゃな街で、中心部はたいてい歩いてどこへでもいける。南部連邦の旗が今も立つ州議事堂はテキサス大学のすぐ側だ。緑がいっぱいで、起伏のある町並みをそぞろ歩きするのも、良い感じだった。何か古い南部の暮らしが垣間見える町だった。

アメリカでの遭遇( 7 / 8 )

アメリカ西海岸

アメリカ西海岸

 

ルート101

 

僕は東海岸でルート001をフロリダで走ったことがあるが、西海岸で偶然ルート101を何回か走ったことがある。百番違いのルートナンバーだ。車を走らせているとアメリカ東海岸や中、南部と比べ西海岸はどんどん日本に近づいているのを実感させられる。ルート101を走っていると、東に比べて車の多さ、混雑度合い、運転の仕方や周りの風景がどんどん、東京っぽく変わってくる。

 

ああ、もう東京に近づいたんだなあって感じる。東の方で高速道路を走っていても、ゆったりとして、あまり緊張感あふれる運転にはならない。しかしカリフォルニアは違う。例えば車間間隔はもう本当に短い。後ろからどんどん詰めてくる。前の車との距離を確保するのは大変難しい。運転マナーがひどい奴がいっぱい出てくる。割り込み、急ブレーキ、ウインカーなしの車線変更、何でもありだ。道路の周りに立つ看板たちも量も多くなるし、けばけばしくなってくる。周りの家たちも高速に沿ってずっと立込んでくる。カリフォルニアでの運転は、東京での運転への自然な準備のかもしれないと思う。サンフランシスコ、サンノゼ、モントレー、カーメルなんかが僕が車で走ったところだが、西海岸の一番のメインだからかもしれない。

 

勿論、一番運転しにくいのは、サンフランシスコ市内には違いない。ケーブルカーが最優先で、信号も常識では考えられない変わり方をする。坂の途中に交差点の水平な踊り場みたいな場所があって、前後の急坂の見通しがあまり利かないところがある。最初に車を借りたのはダウンタウンだったから、高速に乗るまでは本当にひやひやだった。

 

サンフランシスコ

 

カリフォルニアというと、やっぱりサンフランシスコがすぐ頭に浮かんでくる。サンフランシスコには何度も行った。アメリカ東海岸、南部、北部への出張の時の行き帰りの途中泊に、もっぱらサンフランシスコを好んで選んだからだ。

 

前にも話したと思うけれど、ヨーロッパでの生活の体験、印象とそれによって影響されたぼくの価値観は、なかなかアメリカの世界を、そのまま楽しい素晴らしいものとして受け入れることを難しくした。アメリカと聞いても、あまり心が沸き立ってこないのだ。だからアメリカ出張の必要性が出てきたら、僕は積極的にできるだけ部下に譲ったものだ、部下には迷惑だったかもしれないが。そんなわけで、今だから言えるが、ヨーロッパへの出張はもちろんがんばってチャンスを必ず活かしたものだ。ひどい時なんかは、2週間のアメリカ出張に続いて、1週間日本にいて、すぐ3週間のヨーロッパ出張なんかを時差ぼけの連続にも負けずにやったものだ。

アメリカを、そんなに楽しみにしなかったのには訳がある。アメリカでは車が必需品。逆にいえば、人が安心してゆっくりと歩ける場所が少ないということになる。どこかのショッピング・モールの中なんかは別にして。だが、そんなアメリカの都会のなかで、このサンフランシスコは人が自分のペースで歩いてどこにでも行ける数少ない場所だ。人が歩いてどこにでも安心して行けるというのは、人とって生活の本当の基本だと思う、車に頼らずに。

 

もちろんニューヨークもダウンタウンは人が歩いて行動できるけど、でもどこか危険な感じがして、なんとなく安心感がない。いつのまにか、目的の場所に向かってどんどん歩いて行っていると言う感じになってしまう。ゆったりと自分のペースで歩き回れるという感じにはならない。そこにいくと、サンフランシスコではケーブルカーは気楽に使えるし、何処で降りても迷子になる心配はない。方向感覚も得やすいし、おっかない人にもあまり出っくわす感じはない。ほんとうは怖いところはあるのだろうが。サンフランシスコは、ホテルから歩いてどこにでも出かけられる気楽さがあって、とても良い。市内ももちろんだが、バートに乗ればオークランドも、バークレイやもっと東のラッファィエットもラクチンで歩いていける。

 

UCバークレイに一日遊びに出かけた。アメリカの大学のキャンパスの雰囲気を味わいたくて。このキャンパスのゆったりとした感じは、僕の知っている日本の大学にはない。慶応の三田にしても、本郷の東大のキャンパスにしても、やはりちょっとせせこましい感じだ。それにしてもアメリカ人の母校の大学に対する個人的貢献はすごいと感じる。ちょっと金ができると、図書館だとか、ホールだとか、タワーだとかを寄付して、大学の施設をどんどん立派なものにしていっているのだ。社会的な貢献をすることが、立派になることが出来た人の当然の行為だと、彼らが考えているのが良くわかる。

 

ゆったりと寝転んで、スタディアムの観客席でフットボールの練習を見ていたり、大学生協の売店を冷やかしたり、ゆっくりした時間を楽しんだ。バークレイのメイン・ストリートをぶらついて、安い食事に出会って満足、満足の一日。こんなことも車なしでのゆっくりした時間だ。

 

モントレーとカーメル

 

モントレー半島を訪ねることにしたのは、その近くのビッグサーにある、エサレンに滞在したことのある先輩に奨められたからだ。ルート101を3時間ばかり走ってサーリナスで高速を外れると、遠くに低い山の半島が見えてくる。

 

モントレーでは一方通行に本当に苦しめられた。町に入ると、行きたい所に行けずに、いつのまにか町の外に出てしまう。ダウンタウンのホテルを探して、かなり頭にきた。勿論海岸線を走っている分には全く快適なのだが。

太平洋に面した美しい海岸線だ。気分を変えてプラザホテルでランチを取る。優雅なサービスを受けながら、足元を洗う波の音を楽しみながら西海岸の空気を吸う。心がゆったりしてくる。

 

気がつくといろんなところに車をとめて、カメラを構えている自分に呆れてしまう。それほど、この太平洋に面した海岸線に沿って、ちっちゃな個性的な家がずっとずっと続いているのだ。むかし「いそしぎ」と言う映画で、太平洋に沈む夕日を無言で見ていたシーンがあったのを覚えているが、そんな映画に出てくる小さな家を髣髴とさせるかわいい家たちが、きれいに並んでいる。そんな家、小屋が色とりどりに僕のカメラを誘ってくる。

 

17マイル・ドライブに入ると、そこは本当に美しいグリーンの連続だ。ぺブルビーチやサイプレス等の有名なゴルフコースが美しい海岸線に現れてくる。本当にゴルフって贅沢なスポーツなんだな、と思ってしまう。すぐ側の岩場には、アザラシやラッコが、有名なジャイアント・ケルプの森に群がる魚たちをあてに、のんびり暮らしている。これはちょっと日本にはない世界だなと思う。でもそんな時に、ちょっと誰かが一緒だったらいいなと思う。そうしたらこんな感動を共有できるのになあと思ってしまう。そして一番つまらないのは、食事のときだ。一人だといい席は取れないし、いくら美味くても、あまりゆっくりできなくて、ほっとした食事にならないことが多い。海外ではどちらかと言うと、一人ぼっちで旅をしているのはちょっと変に見られるようだ。

 

カーメルは想像どおりのかわいい町だった。ここもゆったりと人が歩いて行動できる。雰囲気のある良い町だ。車を投げ出して、ゆっくり、気の向くままに店を冷やかしながら浜まで歩いていって、そして帰ってくる。カーメル・プラザで食事をしていたら、なんだか淋しくなってきて、もう2泊しようと思っていたのに、次の朝、がんばってルート101を飛ばしてサンフランシスコに帰ってきてしまった。エサレンの風景もみないで。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
父さんは、足の短いミラネーゼ
5
  • 0円
  • ダウンロード

17 / 28