はじまりのとき

 

キラキラとさしていた光も、その色みを変え、茜色になった。

 


相変わらず、僕はこころのザラザラとした三角のでっぱりにつかまり

 


こころはゆったりと、時に速く海を切り進んでいた。

 


海は広くて、あまりにも広くて、こころがどんなに進んでもはしにいきつくということはないようだ。

 


僕はそこで自分の存在のちっぽけさをまざまざと見せつけられ、こころがいなかったらと思うと

 

怖くて背中のほうがブルッとなった。

 


先に見えるのは果てしない世界。そこでたくましく生きる生物たち。

 

下のほうを見やると、もう暗くて何も見えない。

 

恐ろしい巨大な生き物の口がポッカリと僕たちを丸のみにしようとしているみたいだ。

 

さもすると、もう飲みこまれているということかもしれない。「海」に。

 


僕はなんて非力なんだ。前いたところでは何も考えず、ぬくぬくと過ごしていたのに,

 

この広い広い「海」に突然投げ出されたとたんじぶんの弱さとむきあわされた。

 

気がつくと茜色だった海の上層も、下からの大きな口に丸のみされたように闇の群青色に変わっていた。

 


「こころ・・・僕は今自分の存在がちっぽけに思えて仕方がないよ」

 


「ははは、ちっぽけなのだから仕方がない」

 


「冗談じゃないよ!前いたところではそんなこと少しも考えなかった。ここにきたばかりの時もそうだ。

でも、ここの大きさや不可思議さをみるにつれ、存在の小ささが心の中で大きくなってきたんだほんと

変な気もちさ」

 


「同じ場所ばかりにいたらわからないことがある。違う場所に身をおいてこそわかることがある」

 


「こころもそういう気持ちになったことあるの?」

 


「まだないさ。俺はずっとこの海にいる。だから違う世界をみてみたい」

 


僕はうつぼの言っていたことを思い出した。水先案内をすると違う世界にいけるって。

 


「それで水先案内をしようと思ったの?」

 


「そうだ。だから水先案内人にかってでた」

 


海がすこし冷たくなってきた。そこまで言い終えたときにこころが止まった。

 

 

「着いたの?」

 


「ああ」

 

さっきの光と異質の光が海に差し込んでる場所についた。

 

さっきの光を金とするなら、今度のは銀。

 


その光の中を、薄紅色の小さな丸い球体がユラユラと揺らめいている。

 

ひとつやふたつではなく、おびただしい球体。

 


銀色の世界に薄紅色の球体が揺らめく、その光景に僕もこころも何も言えない。

 


そして僕はそこが僕のはじまりの場所・・・

 

こころの水先案内の終着地だということがわかった。

 


「さぁ、着いたぞ」

 


「着いたんだね。僕はどうすればいいの?」

 


「はは、本能に従え!」

 


そういうと、こころはすごい力で背を動かし僕を振り落とした。

 

 


「まって!こころ!まだお礼を言ってないよ!!」

 


そういうが早いか、僕は薄紅色の球体の波に包み込まれていた。

 

こころの顔もよく見えない。

 


下を見ると、岩に美しい花のようなものが咲いていて、そこからこの薄紅色の球体がでてきているようだった。

 


「あぁ、そうか。これも命なんだ。生まれているんだ」

 


僕は、ユラユラと漂う球体の中を、両手両足を精いっぱい動かし、上へ上へと向かった。

 


銀の光が大きく強くなる。

 

もう少しだ。上へ上へ。なんだか苦しくなる。

 

もう無理だ!と思った瞬間。僕は海から出た。

 

銀の光に包み込まれて眩しい世界に。

 

こうして僕は生まれ出た。

 

 

空。

 

青空を見ていると僕は何だか懐かしい気持ちになる。

 

水色も、群青色も、夕焼けの茜色も、月明かりの銀色も。

 


でも、僕をもっと懐かしい気持ちにさせるのは「海」だ。

 


物心ついたときから海に異常な関心をよせ、家族や親せきたちは、

 

「心(こころ)は生まれ変わる前に魚かクジラだったんじゃない!!」 と笑う。

 


僕もそう思う。きっと海からきたんだと。

 


ある秋晴れの日曜日、10歳になった僕は家族みんなでドライブがてら家から2時間ほどの街にある水族館に

向かった。

 

その水族館には他館にはない珍しい魚がたくさんいるらしく、かねてから行きたかったところだ。

 


父がコンビニで割引価格で買った入場券を掲示し中に入ると、大水槽が目の前に広がった。

 


ここの水族館の目玉はこの大水槽らしく、飲みこまれそうな勢いの大きさだ。

 


見たこともない巨大なスクリーン、いや、窓が当たり前のようにそこに鎮座している。

 

まるで海とこの世界との境界線のようだ。

 

そして水槽の中にはゴツゴツした岩があり、その岩には波しぶきがたっている。

 

機械で波を立てているのだろう。

 

水槽上の天窓からは太陽の光が燦々と降り注ぎ、水槽内の景色をその時々によって変えている。

 

僕は胸がドキドキしてきた。

 

自然の海に近いこの水槽にはどんな魚たちがいるのだろうと、

 

水槽のガラスに手をついて奥までゆっくり眺める。

 

大きなかつおやまぐろに、身を守るために群れをつくるアジなどの小魚達。

 

巨大なエイにうつぼの姿も見える。

 

僕の5歳の妹がうつぼを指差し

 

「心兄ちゃん、あれなに??へび??」

 

と聞く

 

「あれはいやらしいうつぼさ」

 


僕はどこかで聞いたような言葉で答える。

 


小型の猫ざめやレモンシャーク、大きくて愉快な面構えのクエ。

 


高鳴る胸を抱えて小さな海を眺めていると、歓声が沸き起こった。

 


カメラのシャッター音があちこちで鳴る。

 

見ると、水槽の岩の向こうから、巨大な影がゆっくりと近づいてきた。

 

「ジョーズだ!!」

 

妹が僕の足にしがみつく。

 

そう、あれは「ホオジロザメ」

 

体長8メートルはあろうかと思われる巨大肉食サメ。

 

この水族館の目玉は、水槽ではなくこの巨大なサメだったんだ!

 

ホオジロザメはまだその生態は謎に包まれていて、

 

飼育も難しいということをサメの図鑑で読んだことがある。

 

そのホオジロザメが僕のほうに近づいてくる。

 

ゆっくり、ゆっくり僕の前を泳いでいくホオジロザメ。

 

水槽に手をついて凝視する僕。

 

ホオジロザメの真っ黒でまん丸の目と僕の目が一番近くなった時、

 

ホオジロザメの目が一瞬白目に変わった。

 

(あっ!)

 

と思ったのもつかの間すぐに元の真っ黒い黒目に戻った。

 

僕以外誰も気が付いていない。

 

通り過ぎたホオジロザメがUターンしてまた僕の前にやってきた。

 

冷酷に見えるその目に巨大な口、その口から覗く三角の歯。巨大な口が横に開く。

 

ホオジロザメが笑った。

 


その時、僕はふっと思いだしたんだ。

 


その真っ黒でまん丸の目、大きな口、ザラザラとした皮膚の三角の背びれ。

 


(あぁ、そうか。君だったのか)

 


僕は水槽に口をよせて言った。

 


(こころ、君の新しい世界ってそこだったの?)

 


こころがほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

subaru
作家:すばる
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