はじまりのとき

 

どこまでいっても果てしのない光に満ち溢れた世界を、僕と大きな奴はゆっくり進む。

 


僕ら以外にも動いているものはたくさんあり、そのものたちを真っ黒くまん丸の目でチラリと見ながら

 

大きな奴はその大きな体を揺らして進む。

 


真っ黒い目というものは、何を考えているかわからなくて、なんだか薄気味悪い。

 


(おい、一体どこに向かうんだ?)

 


いつまでも何も言わない奴の長い体を追いかけて僕は聞いた。

 


(はじまりの場所さ)

 


(はじまりの場所?)

 


(俺はお前をそこまで連れていく。そこから自分で始めるんだ)

 


奴がそう言ったとき、とがった口、丸いけれど鋭い目つき、クネクネして長い体のものが

 

ゴツゴツした岩かげからヌラヌラと出てきた。

 


(おい、そいつは誰だ?)

 


長い奴が大きな奴に聞いた

 


(はじまりの者だ。手を出すな)

 


大きな奴が答える。

 


(へえ、お前に水先案内の役がきたのか。大変だな)

 


(大変ではない)

 


(水先案内の役の後には知らない世界が待っているっていうぜ)

 


長い奴がクネクネ体を躍らせ言った。

 


(知らない世界も悪くないだろう)

 


大きな奴が大きな口を少し開いて笑う

 


(ふん、俺はお断りだね!)

 


長い奴は、僕の周りをグルリと一周して、また岩かげにかえっていった。

 

 

(今の奴は一体誰なんだ?)

 


(いやらしいウツボさ)

 


大きな奴が軽蔑のまなざしでもって答える。

 

(僕は「はじまりの者」って名前なのか?)

 

僕は大きな奴の頭のほうに回り込み聞いた。

 


(俺はそれしか知らない。お前には名前はない。ただお前は「はじまりの者」でしかない)

 


大きな奴はその長い顔の先で俺をつつき先へと促す。

 

 

(じゃあ、お前には名前があるのか?)

 

 

(今まではなかったが、お前がつけたくばつければよい)

 

一瞬上からの光が消え、そこは暗くなった。

 


(じゃあ・・・)

 


僕は狭い所にいたときに、よく頭の中に響いてきた名前を言ってみた。

 

 

(こころ・・・こころってどうだ?)

 


大きな奴は、真っ黒い目をまばたきさせた。

 

(こころか・・いいだろう。そう呼んでくれ。じゃぁ進むぞ)

 


大きな体をくねらせて、こころは先に進んだ。

 


僕はこころの上にある三角のところにつかまった。

 


光がまたキラキラと僕らに差してきた。

 

光がまたキラキラと僕らに差してきた。

 

光は当たり前のようにこの世界にさし、ありとあらゆるものに命を吹き込んでいる。

 

キラキラと光るベールをまとって、僕とこころはどんどん進む。

 


こころのザラザラとした皮膚を手で確かめながら僕は聞いた。

 

 

「ここはとても広くて明るくて気持ちがいいけど、なんていうところなんだい?」

 

 

こころはスピードをおとさず答える。

 


「ここは海さ。生命の源さ」

 


「う み」

 


僕はつぶやいた。

 


「これから僕がいくところはどんな所なんだい?僕はどうしてもそこにいかなきゃいけないの?」

 

 

「お前がこれから行くところはどんな所かは俺は知らない。ただ、お前が始まるだけだ。

 

そしてお前はそこに行かなくてはいけないし、俺はお前をそこに連れていかなくてはいけない」

 

こころはぶつきらぼうにこたえる。

 


上からさしてくる光が少し色みを変える。黄金色から橙色に。僕のもといた世界のように温かみのある色だ。

 

僕はもといた狭いけれども温かく心地のよい世界を思い出す。

 

絶対的な安心感。何も考えていなかった。でも、ここは優しいけれども、絶対的な安心感ではない。

 

何かが潜んでいるような、あらがうことのできない何か危険なことが待っているような、そんな感じ。

 


その時、僕たちの動きが変わった。何か目に見えない強い力でひっぱられるようだ。

 

こころは長い尾を激しくふり、その強い力に対抗する。

 

僕の手がこころから離れた。僕の体は僕の意思とは関係なく、グルグルと振り回される。

 

ゴ~~ッと今まで聞いたことのない音が耳に響く。

 

こころから引き離された僕は、回転しながら岩にぶつかって止まった。

 

岩にぶつかったところが射すような感じがして「イタイ」。

 

そこから赤いものがヒュルヒュルと、いやらしいうつぼのようにでてきた。

 


「大丈夫か?」

 

こころが大きな体を滑らすようにやってきた。

 

僕の体からでてきた赤いものをみて、こころのまん丸とした真っ黒い目が、一瞬真っ白くなった。

 

僕はなんだかゾッとする。優しかったこころがすごく恐ろしいものに感じたが、

 

すぐにこころの目は元のまん丸で真っ黒い目にかわった。

 


「しっかりつかまっておけ。潮は急に変わる」

 

 

こころは僕の目を見ないように体をグルリと回し、背中をむける。

 

僕はさっきのこころの白い目を思い出しドキドキしながらも彼の背につかまる。

 


そしてゆっくりこころは進んだ。

 


「ねえ、こころ。さっきどうして白い目になったんだ?」

 

僕は思いきって聞いてみた。

 

こころは少し考えてから答えた。

 


「本能だ」

 


「本能?」

 


「そうだ俺たちには本能がある。それは生きていく上で欠かせないものだ。例えばさっきの俺の目のことだが・・・」

 


こころがスピードをあげた。僕は振り落とされないようにしっかりつかまる。

 


「俺は生きていくために他の生き物を食べなければいけない。そして獲物をとらえるときには目を守るためにひっくりかえるのさ。ただそれだけのことだ」

 


こころは少し言いにくそうに、でも冗談のように言った。

 


「じゃぁ、さっき僕のこと獲物にみえたんだね」

 

僕も冗談ぽくいうと、こころは「ハハハ」と笑った。

 


「お前も始まったら本能に従って生きろ。自分を活かすのも殺すのも本能だ。たとえそれで死んだとしてもそれは本望だ」

 


僕にはいまいちこころの言っていることがわからなかった。

 


「本能はどうすればわかるの?」

 


「五感をとぎすませるんだ。周りに気をとられるな。そうすれば自然と体は動いてわかる」

 


「ふうん」

 


僕はわかったようなわからないような返事をして、こころの頭の先をみた。

 

傷だらけのとんがった先っぽは、きっと彼が本能に従って生きてきた証だと思った。

 


「こころ、さっきは助けにきてくれてありがとう。それも本能なの?」

 

 

「・・・・・・さあてな」

 

 

掴んだこころの背中が温かく感じた。

 

しばらく進むと、潮の流れが止まったかのように穏やかになった。

 


「もうすぐだ」

 


こころは、少し寂しそうに言った。

 

キラキラとさしていた光も、その色みを変え、茜色になった。

 


相変わらず、僕はこころのザラザラとした三角のでっぱりにつかまり

 


こころはゆったりと、時に速く海を切り進んでいた。

 


海は広くて、あまりにも広くて、こころがどんなに進んでもはしにいきつくということはないようだ。

 


僕はそこで自分の存在のちっぽけさをまざまざと見せつけられ、こころがいなかったらと思うと

 

怖くて背中のほうがブルッとなった。

 


先に見えるのは果てしない世界。そこでたくましく生きる生物たち。

 

下のほうを見やると、もう暗くて何も見えない。

 

恐ろしい巨大な生き物の口がポッカリと僕たちを丸のみにしようとしているみたいだ。

 

さもすると、もう飲みこまれているということかもしれない。「海」に。

 


僕はなんて非力なんだ。前いたところでは何も考えず、ぬくぬくと過ごしていたのに,

 

この広い広い「海」に突然投げ出されたとたんじぶんの弱さとむきあわされた。

 

気がつくと茜色だった海の上層も、下からの大きな口に丸のみされたように闇の群青色に変わっていた。

 


「こころ・・・僕は今自分の存在がちっぽけに思えて仕方がないよ」

 


「ははは、ちっぽけなのだから仕方がない」

 


「冗談じゃないよ!前いたところではそんなこと少しも考えなかった。ここにきたばかりの時もそうだ。

でも、ここの大きさや不可思議さをみるにつれ、存在の小ささが心の中で大きくなってきたんだほんと

変な気もちさ」

 


「同じ場所ばかりにいたらわからないことがある。違う場所に身をおいてこそわかることがある」

 


「こころもそういう気持ちになったことあるの?」

 


「まだないさ。俺はずっとこの海にいる。だから違う世界をみてみたい」

 


僕はうつぼの言っていたことを思い出した。水先案内をすると違う世界にいけるって。

 


「それで水先案内をしようと思ったの?」

 


「そうだ。だから水先案内人にかってでた」

 


海がすこし冷たくなってきた。そこまで言い終えたときにこころが止まった。

 

 

「着いたの?」

 


「ああ」

 

さっきの光と異質の光が海に差し込んでる場所についた。

 

さっきの光を金とするなら、今度のは銀。

 


その光の中を、薄紅色の小さな丸い球体がユラユラと揺らめいている。

 

ひとつやふたつではなく、おびただしい球体。

 


銀色の世界に薄紅色の球体が揺らめく、その光景に僕もこころも何も言えない。

 


そして僕はそこが僕のはじまりの場所・・・

 

こころの水先案内の終着地だということがわかった。

 


「さぁ、着いたぞ」

 


「着いたんだね。僕はどうすればいいの?」

 


「はは、本能に従え!」

 


そういうと、こころはすごい力で背を動かし僕を振り落とした。

 

 


「まって!こころ!まだお礼を言ってないよ!!」

 


そういうが早いか、僕は薄紅色の球体の波に包み込まれていた。

 

こころの顔もよく見えない。

 


下を見ると、岩に美しい花のようなものが咲いていて、そこからこの薄紅色の球体がでてきているようだった。

 


「あぁ、そうか。これも命なんだ。生まれているんだ」

 


僕は、ユラユラと漂う球体の中を、両手両足を精いっぱい動かし、上へ上へと向かった。

 


銀の光が大きく強くなる。

 

もう少しだ。上へ上へ。なんだか苦しくなる。

 

もう無理だ!と思った瞬間。僕は海から出た。

 

銀の光に包み込まれて眩しい世界に。

 

こうして僕は生まれ出た。

 

 

空。

 

青空を見ていると僕は何だか懐かしい気持ちになる。

 

水色も、群青色も、夕焼けの茜色も、月明かりの銀色も。

 


でも、僕をもっと懐かしい気持ちにさせるのは「海」だ。

 


物心ついたときから海に異常な関心をよせ、家族や親せきたちは、

 

「心(こころ)は生まれ変わる前に魚かクジラだったんじゃない!!」 と笑う。

 


僕もそう思う。きっと海からきたんだと。

 


ある秋晴れの日曜日、10歳になった僕は家族みんなでドライブがてら家から2時間ほどの街にある水族館に

向かった。

 

その水族館には他館にはない珍しい魚がたくさんいるらしく、かねてから行きたかったところだ。

 


父がコンビニで割引価格で買った入場券を掲示し中に入ると、大水槽が目の前に広がった。

 


ここの水族館の目玉はこの大水槽らしく、飲みこまれそうな勢いの大きさだ。

 


見たこともない巨大なスクリーン、いや、窓が当たり前のようにそこに鎮座している。

 

まるで海とこの世界との境界線のようだ。

 

そして水槽の中にはゴツゴツした岩があり、その岩には波しぶきがたっている。

 

機械で波を立てているのだろう。

 

水槽上の天窓からは太陽の光が燦々と降り注ぎ、水槽内の景色をその時々によって変えている。

 

僕は胸がドキドキしてきた。

 

自然の海に近いこの水槽にはどんな魚たちがいるのだろうと、

 

水槽のガラスに手をついて奥までゆっくり眺める。

 

大きなかつおやまぐろに、身を守るために群れをつくるアジなどの小魚達。

 

巨大なエイにうつぼの姿も見える。

 

僕の5歳の妹がうつぼを指差し

 

「心兄ちゃん、あれなに??へび??」

 

と聞く

 

「あれはいやらしいうつぼさ」

 


僕はどこかで聞いたような言葉で答える。

 


小型の猫ざめやレモンシャーク、大きくて愉快な面構えのクエ。

 


高鳴る胸を抱えて小さな海を眺めていると、歓声が沸き起こった。

 


カメラのシャッター音があちこちで鳴る。

 

見ると、水槽の岩の向こうから、巨大な影がゆっくりと近づいてきた。

 

「ジョーズだ!!」

 

妹が僕の足にしがみつく。

 

そう、あれは「ホオジロザメ」

 

体長8メートルはあろうかと思われる巨大肉食サメ。

 

この水族館の目玉は、水槽ではなくこの巨大なサメだったんだ!

 

ホオジロザメはまだその生態は謎に包まれていて、

 

飼育も難しいということをサメの図鑑で読んだことがある。

 

そのホオジロザメが僕のほうに近づいてくる。

 

ゆっくり、ゆっくり僕の前を泳いでいくホオジロザメ。

 

水槽に手をついて凝視する僕。

 

ホオジロザメの真っ黒でまん丸の目と僕の目が一番近くなった時、

 

ホオジロザメの目が一瞬白目に変わった。

 

(あっ!)

 

と思ったのもつかの間すぐに元の真っ黒い黒目に戻った。

 

僕以外誰も気が付いていない。

 

通り過ぎたホオジロザメがUターンしてまた僕の前にやってきた。

 

冷酷に見えるその目に巨大な口、その口から覗く三角の歯。巨大な口が横に開く。

 

ホオジロザメが笑った。

 


その時、僕はふっと思いだしたんだ。

 


その真っ黒でまん丸の目、大きな口、ザラザラとした皮膚の三角の背びれ。

 


(あぁ、そうか。君だったのか)

 


僕は水槽に口をよせて言った。

 


(こころ、君の新しい世界ってそこだったの?)

 


こころがほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

subaru
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