算命学余話 #G89

算命学余話 #G89600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G89を購入

算命学余話 #G89 (page 1)

 保育園での虐待事件が話題となっています。世間一般の反応と自分の反応が大抵一致しない日常に慣れている私は、「逆さ吊り」や「ご臨終ごっこ」と聞いても微笑ましい風景しか浮かびません。
 例えば私の友人は昔、幼い自分の子供の両足首を揃えて握り、「ダイソン」とか言いながら子供の頭部や顔面を床に転がすという掃除機ごっこをしていたのですが、親が疲れてやめると子供の方が私に白羽の矢を立てて「是非続きをやってくれ」とせがむのでした。私は「いくら何でも顔面は痛いのでは」と親へ目くばせしましたが、親は「構わない。どうせ乳歯だし」と頷くだけでしたから、仕方なくやってあげました。子供はご満悦でした。確か死体ごっこもどこかでやった気がします。死んだフリをしている子供は、くすぐられるのを心待ちにしており、こんな幼児の頃から人間はSMプレイや背徳・破戒といった欲求を目覚めさせているのだなとじみじみ思いました。いいも悪いもありません。それが人間です。

 今回の事件とこれとは事情や程度が異なると言われそうですが、私は問題の保育士よりも、説明会で保育園に抗議する親たちの声や言葉遣いの方がずっと不快でした。私の考えはこうです。「自分で育児できないのを他人に任せておきながら随分態度がでかいな。札束で弱者の頬を張った昭和の成金社長と同程度に下品だ」。同じ感想は、以前介護ホームで起きた虐待事件でも抱きました。「自分の老いた親のシモの世話をカネを払って人にやってもらっている人間が、被害者ヅラとは片腹痛い。汚い仕事を他者に押し付けている人間のどこに正義があるのか」。こう思ったのです。
 つまり、私の考えでは、育児も介護も本来家族がするのが自然であり、それを他人に任せたりカネで代行してもらうのは不自然な行為なのです。家族が死に絶えていないからやむを得ず、というわけでもないのに。代行する側も、厚意だけではなく、金銭報酬を貰えるからやっている。貰えなかったり少なかったりすれば、やらない仕事です。そんな不自然で不本意なことを続けていれば事故が起こるのも時間の問題ですが、そういう想像ができない人たちが被害者ぶるのはお門違いだし、それを許して加害者だけを責める世の中も総じてお利口ではない。
 これは私が算命学者だから、自然淘汰の思想からこのように理屈を通すわけですが、皆さんはどうですか。世間一般のように全く受け付けない考え方でしょうか。それとも、こちらの方がより整合性があるとお感じでしょうか。

 ともあれ、せっかく世間の耳目を集めた事件ですから、世間様には物事の本質にまで迫ってシステム改善まで行ってもらいたいです。こういう大きな事件が世に出るということは、我々の住む宇宙が「このシステムはもう限界。これ以上進むと全体が崩壊するから、いまの出血に驚いて病巣をいち早く取り除いておきなさい」と有難くも警告している証拠なのです。育児は本来誰がやるべきものか。母親の役目だというのなら、女性の就労について本質議論をしなければなりませんし、男女平等にもとるというのなら、その男女平等の内容に問題があるのだと追及すべきです。そうすれば保育園は「補助的なもの」という扱いになり、保育士を安くて便利な労働力と見做す考え方にも変化が生じるでしょう。保育士は安く使える労働マシーンではなく人間であることにも気付くことができるでしょう。そうやって社会の考え方から変えるべき時期に来ているのです。
 同様の事態が、旧統一教会問題にも言えます。宗教という福祉の名を騙った悪徳収奪は、辻褄が合いません。福祉なら福祉、収奪なら収奪と自他共に認められる活動であれば、自然は淘汰に踏み出しません。福祉の看板を掲げておきながらやっていることが収奪だから不自然になり、淘汰の対象となるのです。その風景はねじれていて、気が流れていきません。喩えるなら動脈硬化や脳血栓みたいなもので、血管の詰まりを正さなければ延命は叶いません。この事件が政治と結び付いているのなら、政治形態の延命のために血栓を取り除く大手術が必要なのです。痛いからといって手術をしないのなら、その先には淘汰が待つばかりです。

 東洋の知恵である「気」の思想で世界を眺めると、物事の本質やそれに逆行するものが見えてきます。算命学はそのように社会を分析して正す機能もあるのですが、残念ながら今日では占いの一手段という使われ方に留まっています。しかし、その鑑定技法の一端を眺めるだけでも、算命学を組み上げた先人たちがいかに深く鋭く人間と人間社会を観察し、考察したかが判ります。
 というわけで、今回の余話は十二大従星天中殺の続きで、天禄星中殺を取り上げます。天中殺なんてお馴染み過ぎる、もう耳にタコだ、判りきっている、と中・上級者には思われるかもしれませんが、天中殺現象は本当に奥深いものなのです。天中殺と聞けば概ね悪い現象を思いつく人がほとんどだと思いますが、例えば今回の天禄星中殺は、むしろ良い事の方が多いくらいです。どうして中殺現象が良い事に結びつくのでしょう。それは、人間や人間社会を深く鋭く観察し、考察した人になら、苦もなく閃いたことだったようです。
算命学余話 #G89600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G89を購入
土星の裏側
算命学余話 #G89
0
  • 600円
  • 購入

1 / 2

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • 購入
  • 設定

    文字サイズ

    フォント