算命学余話 #G88

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算命学余話 #G88 (page 1)

 ドストエフスキーは長編小説『未成年』の中で登場人物に、「その人の笑顔を見れば、心根の真っ直ぐな人間か歪んだ人間かが判る」というような台詞を語らせています。私はドストエフスキーの愛読者ではありますが、その作品群を読み始めたのは二十歳を過ぎてからですし、知名度の低い『未成年』に至っては二十代後半が初読でした。しかし当時は全体的に難解な印象で、会話の細部にも着目せずに読み飛ばしていたようです。いま再読して、この台詞を初めて見る思いで瞠目しています。なぜなら『未成年』の初読より前の、私が文字通り未成年だった頃に、これと同じ内容の持論を自分が人に語ったことがあるからです。
 それは大学一年時のサークルの溜まり場で、語った相手は先輩でした。この「笑顔論」は私が中学生の時分に既に確信していた独自の人間識別法で、これまでに何度か誰かに披露したことはあるのですが、その大学の先輩に語った記憶だけを鮮明に覚えているのは、その先輩がこの持論に全面的に同意してくれたからでした。別にドストエフスキーからの孫引きでもなかったのにです。
 私の持論は、「顔面の造作に関わらず、その人が笑った時に『きれいだな』と思ったら、その人を信頼する。思わなければ、信頼しない」というもので、『未成年』の台詞そのものとは異なるのですが、言わんとしていることは一緒でした。つまり自分の見解は奇しくも文豪ドストエフスキーのそれと一致していた、というわけで、大いに悦に入ったのでした。

 ところで、確かな見識と愉快な辛口で知られる生物学者の池田清彦氏は、「自分がリスペクトしている相手に褒められたり認められたりする時に、人間は幸福を感じるのだ」という発言をしていましたが、これもまた私の幼少時からの持論と合致していて、嬉しく耳を傾けました。というのも、私は世間の主流や流行から外れて生きており、人様と意見の一致を見るということが今も昔も極めて稀なため、たまに一致するだけでも驚くし、その一致した相手が自分の尊敬する知識人であれば、驚きは更に増大して喜びに転じるからです。
 しかしここで注目したいのは、「相手が自分のリスペクトする対象である」という点です。逆に言えば、「自分がリスペクトしてもいない相手にいくら褒められようが意見が一致しようが、全然嬉しくない」ということです。さあ、段々算命学らしい物言いになってきました。

 ここ十年か二十年の間に、世間には「承認欲求」なる心理学用語が広まって、人が生まれた時から誰にでも備わっている本能的な欲求の一つであると今でも認識されています。しかしその語源が西洋言語にあることからも判る通り、これは自己の狭い世界を全世界だと勘違いしている西洋人の最近の発想であって、彼らの文化圏外である日本その他の国々に通用するかどうか、私は大いに疑っています。前回の『算命学余話#G87』で「西洋文明は胡散臭いぞ」論をまさに持論として展開しましたが、「承認欲求」についても同様、西洋人の狭い視野から生まれた一方的な思い込みに過ぎない、万人に通用する「発見」でも何でもない、「ゴリラは狂暴」「ピラニアは狂暴」という浅はかな早合点の一種に過ぎない、鵜呑みにしてはのちのち痛い目を見る、というのが私の意見であり、それを支えているのは算命学の理論です。
 というわけで今回の余話は、「自分がリスペクトしている相手に褒められたり認められたりする時に、人間は幸福を感じる」池田説、及び「自分がリスペクトしてもいない相手にいくら褒められようが意見が一致しようが、全然嬉しくない」説を、算命学的に考察してみたいと思います。
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