算命学余話 #G80

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算命学余話 #G80 (page 1)

 ある工芸作家が、昨今のモノづくりや芸術がデジタル化してクリック一つで大量生産できる仕組みになっていることを憂慮し、「もっと時間をかけて作ったものがより価値を持つ社会になってほしい」というようなことを言っていました。
 例えば手紙。スマホやパソコン画面に数秒で連ねた活字を送信するのではなく、手書きの手紙を書き、そのために気の利いた便箋や封筒を選び、筆やインクの色を選び、きれいな文字を書くために教室へ通い、読みやすく無駄のない文章を捻り出し、季節の押し花でもしのばせる等々することで、より豊かで重厚な「時間」を表現できるし、そこにこそ価値があるはずだと。なるほど。

 より「長い時間」をかけたものは、簡単には崩れたり廃れたりしません。例えば記憶は、試験のために一夜漬けで覚えたものはすぐに忘れますが、何度も何十回も繰り返して覚えたものは、漆塗りのように重ねられて定着し、頭から離れなくなります。そこには「時間」が塗り込まれているのです。
 「時間」には重みがあって、その重みは人生に蓄積されていく。記憶の中には、誰かと過ごした空間があり、交わした言葉や行為や思いがあり、その背景には周辺環境やまた別の人間関係と思惑があって、複雑に折り重なっていますが、その中でも長い時間をかけたものや何度も塗り重ねたものが、最終的にはその人の人生を彩る特徴となるのです。
 そう考えると、現代社会のトレンドである時短の、一過性の、繰り返し反復のない時間の過ごし方やモノの作り方に囲まれて生きることは、最終的にこれといった特徴のない人生に帰結することになります。薄っぺらな人生というわけです。

 前回の算命学余話#G79では、後天運である大運がもたらす作用の一例を取り上げました。後天運は期間の長いものから順に、以下の種類があります。
・大運(十年継続)
・年運(一年継続)
・月運(一カ月継続)
・日運(一日継続)

 このうち鑑定師が重視するのは、大運と年運です。月運と日運は平たく言えば「薄っぺらい」時間の長さなので、特に必要なケースでもない限り目を向けません。今回の余話は、こうした後天運の時間の長さについて考えます。と言っても、あまり目新しい話にはならないのですが、時々算命学をかじった人の中に月運や日運をやたらと気にする人がいて、「そんな細かい後天運まで気にして時間を割いていると、今やるべきことができなくなりますよ」と助言してもなかなか聞き入れてくれないので、今回はこうした人たちに納得してもらうための指南書になります。

 ところで、平安貴族は方位学に凝っていて、悪い方角の土地へどうしても行かなければならない時は「方違え(かたたがえ)」をして、わざわざ遠回りしてから目的地に向かいました。こんなことを外出の度に毎回やっていたら人生の大切な時間を無駄にする。現代人ならそう思います。私もそう思いますし、中世人もそう思ったのでしょう。だから方違えは廃れて、今は行われていないのです。
 しかし、わざわざ遠回りすることで、何かの災いを回避する以前に、もっと別の何かに遭遇する可能性は高まります。少なくとも移動距離は増え、直行した場合とは違った風景を眺めることになりますから。前段の話に繋げるなら、豊かで重みのある時間の過ごし方に、方違えは多かれ少なかれ貢献していたと考えられます。
 一方で、話は飛びますが、私が愛読しているロシアの文豪ドストエフスキーは、お金に困って自転車操業のような創作活動に明け暮れた人でした。その彼が生活費をつなぐためにキリキリ舞いしながらたった27日で書き上げた小説『賭博者』は、今も昔も高い評価を受けています。要するに短期間で質の高い作品を書き上げた。しかしこれは例外です。彼は天才作家だったので、短い時間しか費やさなくとも中身の詰まった作品を書き上げることができたのです。凡人なら取るに足らない、読者の記憶に残らないような駄作になります。今時のツイッター小説のようなレベルがそれです。
 では本題へ参りましょう。
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