算命学余話 #G71

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算命学余話 #G71 (page 1)

 前回の余話#G70「最強運の風景」は人気の回となりました。読者の皆さんの関心が那辺にあるかよく判りました。ですが、この種のテーマで記事を書く時は、多少ためらいを感じます。なぜなら、誤読されると大きな誤解を生む懸念があるからです。
 実際、これまで300回を超えて書き連ねて来た『算命学余話』の中でも、局法や格法などのピンポイントの技法を扱う回は人気が高いのですが、その内容が判りやすいが故に多くの人に興味をもって読んでもらえる反面、「こういう星並びなら必ずこうなのだ」と安易に思い込んでしまう読者もしばしば見かけます。そういう人に限って、「自分はこの局法/格法に該当しているから、かくかくしかじかの人生に必ずなりますよね?」といった問合せを勢い込んで寄越すのですが、こういう人たちは、私が口を酸っぱくして言い続けている「人生は宿命が半分、生き方が半分」という揺るがぬ哲理には一向に目を向ける気配がありません。

 なので、ここでもはっきり文字にしておきましょう。「どんなに宿命が素晴らしくても、生き方がまずければ残念な人生になる」と。「生き方」とは平たく言えば「努力」のことですから、「自分の宿命の星並びを気にして浮かれるヒマがあったら、その星が輝くよう日々の努力に注力した方が運勢は上がる」ことは、毎度お馴染みで耳タコですが、何度でも断言しておきます。
 前回の内容を補足するなら、「最強運」に生まれようとも、生きていなければ最強もへったくれもありません。夭折してしまったのでは意味がないのと同様、社会の中で役割を果たさないのなら、生きていない幽霊も同じです。説教臭い物言いですが、算命学は良識とは仲良しなので、社会性を備えていない大人に対しては冷淡です。
 勿論、「努力が報われない」命式というものもあります。ありますが、それは「その人が生きているうちには」という条件付きのものであって、「子供や孫の代、或いは何十年も経った後に思わぬ所で実る努力というものは、一代限りの運勢判断という狭い鑑定範囲においては考慮しない」という意味に過ぎません。算命学は因果とも仲良しなのです。家系論が土台にありますから。

 ところで先日、武田邦彦氏が「社会に出たらどういう仕事をしたらいいか迷う若者」に向けて、具体的にやりたい業種や職種が思い浮かばない場合はとりあえず「恩返し」をする仕事をしたらいい、と提言していました。そうしているうちに「自分のやりたい仕事」や「やるべき活動」が見えて来ると。さすがです。「抽象度の高い」助言というやつです。

――優れたテキストからは、首尾一貫した複数の物語を抽出することができる。(佐藤優『ドストエフスキーの預言』より)

 私の『算命学余話』が誤読されるのは優れたテキストでない証拠かもしれませんが、「恩返し」というのは卓見です。これは先人から授かった恩恵を、文字通り先人にお返しするという意味よりも、その恩恵を下の世代に施すという意味の方が強いです。なぜなら、先人に恩を返そうとする行為は、結果的に後代の人間に先人の知恵や思想を受け渡す行為になるからです。つまり上から下へ。人体図で言えば「縦線」すなわち精神世界。「頭部から胸部を貫いて腹部へ」という流れ、すなわち「過去から現在を貫いて未来へ」という流れです(『算命学余話#R93』参照)。佐藤優氏はこういうことも言っています。

――無神論者であるマホベッツ教授は、教会の外側の人間だ。しかし共産主義体制の中にある悪と、リスクを顧みずに戦っている。大学を追われ、秘密警察の監視下に置かれていても怯まない。超越的なものに対する信頼がなくては、このような行動を取ることはできない。この超越性は、理性によって身に付けることはできない。超越的なものを信頼する具体的人間の感化を受け、知らず知らずのうちに超越的感覚が伝染するのである。ここでいう具体的人間は、生身の人間である必要はない。テキストを通じ、解釈される具体的人間でもよいのだ。ドストエフスキーの小説が今も読み継がれているのは、そのテキストに超越性を読者に感知させる「何か」が埋め込まれているからだ。(『ドストエフスキーの預言』)

 冒頭に掲げた、「こういう星並びなら必ずこうなのだ」と安易に思い込んで、「自分はこの局法/格法に該当しているから素晴らしい人生になりますよね?」といった問合せを寄越す人たちは、上述の「恩返し」の理屈とは無縁ですし、ましてや「超越的なもの」との縁は皆無です。なぜなら、先人から何も受け取ってはいないからです。
 人体図的に言うなら、「精神世界が乏しく、過去にも未来にもコミットできない」一代限りの人生です。一代限りの人生は人体図横線で表され、そこには現実世界、つまり目先の利益しかありません。だから「自分の宿命や人生が素晴らしいかどうか」にしか興味が湧かないのです。そんな人生は、良識的にも因果論的にも、「残念な」人生に終わるのが自然です。
 そしてその原因は本人の生き方にあるのであり、宿命の良し悪しに求めるのは筋違いです。「運勢が上がる」とは、「未来に向かって上がる」という意味なのですから、人体図縦線を無視して真の運勢の向上など期待できません。そして人体図縦線の星々の光輝を左右するのは、後天運とそれを活用した生き方、すなわち正しい努力なのです。

 これらを踏まえた上で、今回の余話は、人体図縦線にまつわる話です。焦点を当てるのは「頭部」です。知恵を司る座位であり、先祖や先人を意味する場所です。前回の余話でうっかり「浮かれて」しまった人に冷や水を浴びせる内容になりますが、我慢して現実を受け止めることで、運勢向上への足掛かりを得られることでしょう。
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