算命学余話 #G65

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算命学余話 #G65 (page 1)

 東大前で受験生ら三人を切りつけ殺人未遂で逮捕された高2の少年は、東大を目指せるほどの学力がありながら、些細な挫折が元で自分の人生を回復不能なまでに失墜させる行為に及んでしまいました。誰が見ても愚かな行為であり、学力の高さと賢さはイコールではない真実を露呈した事件でした。別に東大医学部に受からなくとも医者になる道は他にもあるし、医者にならなくても人生に成功する道はある。しかし人を切りつけたりしたら、そうした道もその他の可能性への道も閉ざされてしまう。だから普通はやらない。普通は理性が止めてくれる。それが賢さというものです。
 東大卒の医者の中にだって、ろくでなしはいます。そもそも世の中の医者の多くは、病気を治さなくても「診察」だけでカネを取るあこぎな輩です。「赤ひげ」のような医者を目指すのなら立派な目標ですが、現代社会において医者が必ずしも尊敬されていない理由を考えれば、東大医学部入学に人生を一点賭けする価値などないことは明白です。しかし少年にはそれが見えていなかった。一時的な気の迷いだったとしても、ブレーキが掛からず犯行に及んでしまいました。

 何がいけなかったのでしょう。宿命でしょうか。いいえ、この年齢では宿命をいくらも消化していないので、宿命以外の要素が主原因だと考えた方が妥当です。つまり、悪いのは周囲の大人です。彼の耳に人生一点賭けを吹き込んだり、その誤った考え方を諫める労力を怠った、社会全体を含めた大人たちの愚かしさが原因です。尤も私個人としては、東大合格が難しいからといって人生に絶望して殺人や放火を選ぶようなお粗末な頭の持ち主は、この先成功しようが失敗しようが周囲に迷惑を撒き散らすだろうから、いっそここで社会から隔離し刑務所の中で大人しくてもらった方がいい、くらいに思っていますが、この考えは算命学者としては随分乱暴で短絡的です。こういう考え方では議論にならず、『算命学余話』も続きません。

 別の時事を挙げましょう。人口大国中国は貧困国だった頃、食い扶持を減らすため「一人っ子政策」を採用して世界を驚かせました。「貧乏人の子沢山」を回避するための法律を作り、違反した国民には罰金を科したのです。しかしこの政策により少子高齢化が一気に進むと、政策開始から三十年を経て方針を転換。2016年には二人目の出産が可能となり、最近では三人目も可能となりました。ところがそれでも出生率はあまり上がりません。
 中国では赤ん坊のことを「バオバオ(宝宝)」と言い、子宝・子孫繁栄は幸せ・豊かさとほぼ同義でしたが、それは過去の慣習であって、今日では当てはまらないようです。「中国人ともあろうものが子供を欲しがらないなんて」と奇異に思った私は、ハタと気付きました。「子供が富の象徴であったなら、既に富を得ている人間が改めて子供を欲しがらなくても不思議はない。」これが算命学の五行の理屈です。いけない、危うく私も世間のステレオタイプに呑まれるところでした。
 つまり、富を得た中国人が二子目を欲しがらないことは自然であり、不自然だったのは人口抑制を人為的に断行した三十年前の中国政府だ、というのが算命学の理論としては正しいのです。あの時の人為は実は正しくなかった。なぜなら三十年後にやって来る少子高齢化、つまり僅かな若年層が大勢の高齢者の年金を賄わねばならないという事態が、ちょっと考えれば判りそうなものなのに予測されていなかったし、正しい予測をするだけの知恵が彼らにはなかったからです。或いは「目先の利益に飛びついた」。前回の余話の話に被りますが、先の未来を正確に予測するだけの「印」がなかったというわけです。だから道を間違う。結果は正直です。

 冒頭の刺傷事件の加害者も、「人を切りつけたらどうなるか」や「東大に受からなくても満足いく人生はあり得る」という正しい、或いは的中率の極めて高い予測ができず、それはつまり理性を含む「印」がなかったということです。なぜなら、彼の周囲の大人が正しい知恵を授けなかったからです。高い偏差値など、この際何の役にも立ちません。
 高2の刺傷事件と中国の一人っ子政策との間に、共通点が見えませんか? 今回の余話は、「人為」の弊害について考えてみます。思想的な話なので鑑定技術には触れませんが、鑑定の現場では必要な知識です。算命学は自然思想が元になっており、相談者の人生があまりに「人為的に歪められて」いる場合には、それを正す方向へ導くことが求められるからです。

 卑近な例では、昨今コロナのオミクロン株の流行により、またしても緊急事態宣言やそれに準じる自粛政策が採択されようとしています。どちらも以前やってみて、その効果に科学的根拠が見当たらなかったことは、専門家が一番良く知っています。一般市民でさえ体感的に気付いている(賢いなら)。では何故またやろうとするのでしょう。「もしやらずに事態が悪化したら糾弾されるから」でしょうか。違いますよ。正しくはこうです。「もしやらずに事態が鎮静化したら、以前断行した自粛政策は間違っていたことが立証されてしまう。それを糾弾されるのが嫌だ」。だから効果があろうがなかろうが、同じ政策を繰り返すより他に「道はない」。
 何を言いたいか、もうお判りですね? 経験から学んで知恵を得ることよりも、責任を問われることの方が嫌だというわけです。今日の「印」の欠如の正体はこれです。「自分が愚かなままでいい」人が国を動かし、多くの国民がそれに従っている。そこには、知恵を駆使して「こうなるだろう」未来をある程度の的中率で予測する能力が見当たりません。偏差値馬鹿の高2と同じ。一人っ子政策の中国と同じです。だから印の次に来るはずの「福」がいつまでもやって来ないのです。これが算命学で解析できるメカニズムです。
 毎度お馴染みの「堂々巡り」がまたしても。人間、こうはなりたくないものです。なりたくないですよね。ではその回避法について、算命学の知恵を借りて考察してみましょう。昨今流行りのSDGsにも触れます。

 心理学の歴史の中に、こういう事件がありました。心理学の発祥は勿論西欧ですが、当地でそれが世に出てもてはやされた戦前の頃、催眠術を使って意図的に人のヒステリー症状を呼び起こすという実験(或いは治療法)が注目されました。当時は、現代病としてヒステリーがあちこちで報告されていたのです。意識下に眠る深層心理、そこにある不満や怒りを催眠術によって解放させ、その結果としてヒステリーが表に現れる。そういう触れ込みでした。被験者の多くは女性で、女性が半狂乱になる光景がセンセーショナルだったことから、実験現場は見世物よろしく公開され、宣伝されて新聞記事にもなっています。
 しかし今日では、これらはやらせであったことが判っています。つまり被験者は事前に指導を受けてヒステリーの演技をしていたのです。そしてそれを得意とする専門女優さえいました。
 ところが、事態は思わぬ方向へ向かいます。この事件のオチは、専門女優が精神病院に入れられた挙句、本物のヒステリーを患って死んだというものでした。何故こうなったかというと、女優が演技でヒステリーを起こしていると知らない人々は、「これは重症だ」として本人の意思に関わりなく女優を精神病院に入院させたのです。女優は勿論病院で「嘘でした。演技でした」とネタばらしをしたけれども、今まで嘘をつき続けてきたツケが回って信じてもらえず入院を強いられ、事実を語っているのに信じてもらえないというジレンマから、遂に本物のヒステリーを発症したというわけでした。そしてそのまま死んだのです。
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