算命学余話 #G62

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算命学余話 #G62 (page 1)

 前回鑑定事例として取り上げた瀬戸内寂聴氏と-日違いで、占術界の巨人、細木数子氏が亡くなりました。83歳でした。細木氏が新年を占った予言の書は毎年出版され、その売上部数は占術関連図書としてはギネス記録になっているほど、多くの読者を魅了しました。しかし、時を同じくして亡くなったこの昭和の女傑二人をある雑誌が並べて称えたとして、作家たちから苦情の声が上がっています。つまり、瀬戸内寂聴氏の方が遥かに優れた人物であったと。
 もしかしたら、細木氏の著書の売上の方が職業作家である寂聴氏のそれを上回っているのかもしれませんが、だからと言って占い本は所詮文学ではなく、人間の内面を深く考察することを目的とする文芸作品が読者に与える影響とは比べ物にならないし、そもそも僧侶でもあった寂聴氏が聴衆や読者に与えた温かい励ましや元気の力は、かつてテレビ番組に毎週出演して視聴率を押し上げた細木氏の、叱咤の中の上から目線や断定口調から見えた傲慢さとは、雲泥の差だというわけです。

 私はロシア文学に培養された読書愛好家ですから、日本の作家と小説には大いに不満がありますが、それでも占い本と文芸作品を同列に扱って比較することはしません。書き手が心血を注いでもいない浅薄な小説よりは、細木氏の予言本の方が余程真実を言い当てているだろうとは思いますが、どんなに優れた占い本でも、普通に優れた文芸作品にはやはり及ばないでしょう。なぜなら、前者は一種の「解答」或いは研究結果であり、後者は答えの出ていない問題に対する「考察のプロセス」或いはそれを表現したアートだからです。端的に言えば、既に結論の出ている実用書と、これから答えを探すための人生手引書といったところでしょうか。あ、余計判りにくくなったかもしれません。
 ともあれ算命学者である私は、占い師としての細木氏の実力は大したものだと思いますが、確かに昔テレビで見た姿には相手を見下している感があったし(その相手は公平に見ても愚か者でしたが)、肉付きの良い指にはめた巨大な宝石を見せつける姿は、何かいかがわしい稼業で儲けている裏社会のドン的なイメージと繋がっていました。まあ、あまり聡明な人にも高潔な人にも見えなかったというのが正直な印象です。

 そんな細木氏の宿命は、実際どのようなものだったのでしょうか。ご本人が亡くなったので、今回初めて見てみました。もうびっくりです。驚いたと同時に、「こう来たか」といった命式でした。もっとお金集めの上手いギラギラした人かと思っていたのですが、違いました。しかし、やはり普通ではなかった。この宿命に比べたら、瀬戸内寂聴氏の命式などやさしくて普通に見えます。それほどインパクトがある。そして、非常に生きにくい命式です。
 今回の余話は、この占術界の大家の宿命を眺めながら、どうしてこういう星並びだと生きにくいのか、何をすればこの宿命の特殊性を消化できるのかを、考察していきます。細木氏の人生を総攬するのではなく、こういう宿命に生まれたらどうするべきか、どうなりがちか、といった点に焦点を当てます。
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