算命学余話 #G61

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算命学余話 #61 (page 1)

 先日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴氏が99歳で亡くなり、追悼番組がいくつか組まれたので、私も改めてその人生と思想をじっくり眺めました。寂聴氏が出家したのは51歳で、それ以前は性的に奔放な女流作家で鳴らしていましたが、その頃の様子は私は資料として知っているだけで、同時代を生きる人として認識する時の姿は、既に剃髪した姿でした。だからと言って世間一般の僧侶像と同じには見えませんでしたし、面白い話をする早口なおばさんといった印象で、テレビに映ればその発言を楽しく聞いておりました。
 しかし著名な作家であるにもかかわらず、その作品を読みたいとは思いませんでした。引っ掛かっていたのは、その作品が「女」をテーマとしている辺りです。私は人間について深堀りする作家の作品を愛読するため、女や男といった性別で分けて論じるのは片手落ちだという考えであり、どうしても興味をそそられなかったのです。
 男性作家が「男」をテーマに小説を書くことはありません。主人公が男性であっても、描いているのはあくまで人間です。しかし世に言う「女流作家」の作品は女性を主人公にして、テーマも女で終わってしまうので、男女を超えた「人間」にはまだ到達できないといった感が否めません。寂聴氏の若い頃はまだ女性の地位が低い時代でしたし、そこから時代を果敢に切り拓いて行こうとした勇気や偉業は称賛できます。しかし時代を超えた人類普遍のテーマに挑むには、まず「女」の枠から脱して「人間」にならなければならない。もしかしたら、そのために寂聴氏は男でも女でもない僧侶になったのかもしれませんが、僧侶以前の印象が悪いせいか、私は今でもその作品を読みたいとは思いません。或いはもっと歳をとったら、その晩年の作品なら読みたくなるのかもしれませんが。

 今回の余話は、そんな瀬戸内寂聴氏の宿命を拝見してみます。私自身、どうして彼女の作品を読みたいと思わないのか、その宿命から何となく見えて来るものがありますし、作品を読んでいない私にとっては、彼女は作家というより愉快なタレント僧侶であったのですが、その辺りも宿命から読み取れるものがあります。瀬戸内寂聴とは一体何者であったのか、読み解いてみたいと思います。
 参考までに、追悼番組で取り上げられていた寂聴氏の発言をいくつか記しておきます。いずれの言葉にも共通するのは、寂聴氏が正直者だということです。取り繕ったり適当な嘘をついたりといった印象がないこと。これだけでも大したものですが、こうした発言の根底に何があったか、宿命から読み取れるものがあります。

――作家になるために、23歳で夫と娘を捨てて若い男と出奔した時、実の父親にこう言われた。「子を捨てたお前は既に鬼だから、どうせ鬼なら小鬼ではなく大鬼になれ」

――(93歳頃の発言で)長生きが幸せだというのは、自分の経験上は、88歳までだと思う。それ以上生きても、もはや幸せではない。体が利かなくなり、あちこち痛くなり、周囲に迷惑を掛けて生きるしかなくなる。そんな生を幸せとは言えない。

――大病(腰椎圧迫骨折とガン)の前は、「極楽なんて退屈だから、死んだら地獄に行きたい」などと自分は豪語していたが、病気になって耐え難い痛みを経験したら、今は「地獄はもっと痛いだろうから、地獄には絶対行きたくない。極楽に行きたい」と思うようになった。

――自分だけが幸せでも、本当の幸せではない。周囲に、或いは世界のどこかでお腹を空かせて泣いている子供がいるのに、それらを放って自分だけが幸せならいい、というのは本物の幸せではない。

――(病後の自宅療養中に)いま一番辛いのは、横になって何もしないでいること。仕事(執筆)したいのにできない。仕事をしている時は辛いとは感じない。何もしないでぐったりしている時が一番辛い。
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