算命学余話 #G59

算命学余話 #G59600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G59を購入

算命学余話 #G59 (page 1)

 ひと昔前までは、外国人が知っている日本語といえばゲイシャ、フジヤマ、ツナミくらいのものでした。しかし昨今ではマンガ・アニメの影響により「ツンデレ」さえ海外で通用すると聞きます。
 ツンデレ。日本人でもご年配の方には馴染みのない単語かもしれませんが、これはツンツン・デレデレの略語で、人前では冷たく澄ました素振りをしていても、好きな相手と二人きりの時だけはデレデレする、というオトメな女子(或いは男子)やその態度を指す言葉です。こうした態度は日本では昔からあったでしょうが、単語としてはなかったので、新語です。そしてこの新語が海外で認知されるということは、やはり海外にも恋にまつわる態度や現象としては昔から存在していたけれども、ひと言で表す単語はなく、便利なので日本語のツンデレをそのまま外来語として受け入れた、ということなのでしょう。まあ、今後辞書に載るほど定着するかどうかは疑問ですが、「こういう恋愛の態度がある」と看破したのが日本人であるという証拠にはなる言葉です。

 ところで、もっと一般的な日本語に「カワイイ」があります。これも20~30年ほど前から外国人がそのまま使うようになりましたが、専門家の話によれば、西洋にはカワイイを指す単語はおろか、概念そのものがなかったようです。なぜなら、女性に対する褒め言葉は「美しい」であって、そこに幼児性が加わると逆に美の価値が下がったからです。もちろん、赤ん坊や幼児を「愛らしい」と表現することはありましたが、これを大人の女性や、ましてや男性に使うことは、称賛ではなく侮辱に当たったのだと。それほど幼児性が嫌われていたのです。
 その証拠に、西洋絵画に描かれる子供達はどれも可愛くありません。そもそも絵に描かれるような子供は、王侯貴族や大富豪のお子様であるか、誕生したてのイエス様くらいのもので、彼らは一様に「高貴なお方」であるため、庶民の子らのような表情はしないものと認識されていたのです。彼らは猿のように顔をしかめて駄々をこねたりはしないし、鼻水も垂らしてはいない。もっと大人びて、賢いはずだ。シモジモとは違うのだ。こういう前提で描かれるため、実際の子供たちが普通に備えている、拙さから来る可愛げが微塵も感じられない、取り澄ました大人のような顔つきの子供像になる。だから可愛くないのです。

 こうした価値観で長年やってきた西洋に日本の「カワイイ」が浸透したのだから、その威力は大したものです。いや、カワイイという感覚自体は西洋にもあったのでしょうが、庶民っぽさが嫌われて言葉が排除されてきたことを考えれば、今日の現象は庶民の逆襲というか、或いは東洋の逆襲というか、文化レベルの価値観の逆転現象と捉えるべきかもしれません。
 尤も、日本でも60年代までは女性の褒め言葉は「きれい」や「美人」、「別嬪」だったと聞きます。当時も今も「可愛い」には幼児性が込められており、これを使う側には「自分は成熟している」という優越感がある。今時の言葉で言えば「上から目線」や「マウンティング」の表れが「カワイイ」なのだ、とこのような厳しい見解もあります。まあ、私個人としては、脊髄反射のようにカワイイを連呼する人は、その語彙力の乏しさでオツムの弱さが知れると見做しておりますし、「カワイイ」と言われて喜ぶ大人は男女を問わず好感を持てないので、自分が人を褒める時は「カワイイ」は使いません。

 さて本題に入りましょう。いま世界で最も可愛くない少女といえば、環境少女グレタですね。異論はありませんね。グレタの母国スウェーデンはキリスト教国ですから、絵画の中の赤子のイエス様が悟りを開いた大人の顔をしているように、賢い子供ならばしかるべき賢い顔をしていて、大人のように堂々と振る舞い、愚かな大人たちをひれ伏す力があるはずだ。こんな価値観で回っている国なのでしょう。ある女性の生物学者は、スウェーデンという国を以下のように評しています。

「スウェーデンは男女平等社会を強く推進する国ですが、その結果どうなったかというと、女性が男性化しました。男性化した女性は従来男性がしてきた役割を果たすようになり、それが称賛されるため、従来女性がしてきた役割は否定的に見られています。すると、仕事で疲れた夫が家に帰っても、家にいるのは男のような妻になりました。性別は女であっても中身は男なので、女性的な癒しを求めても与えてはくれません。そうです、疲れて帰ってきても、家にいるのはグレタなのです。これが癒しになりますか? 気の毒に、スウェーデンの男性は漏れなくグレタのような女性を妻としなければならない。だから鬱病が蔓延しているのです。そういう病める社会がスウェーデンなのです。日本は本当にこういう国を手本にして男女平等社会を実現したいのか、真剣に考えるべきです。」

 算命学は陰陽論が基礎にありますから、女性が男性化して社会が男性ばかりになることを嫌います。逆も然りです。従って、男女平等社会が提唱され始めた時期は、その反動でオカマが市民権を得始めた時期と一致していると見做しています。敢えてオカマと言っておきましょう。これは女性化した男性という意味に最も近いからです。同性愛者というのは、必ずしも女性化した男性を指すものではありません。女性が男性化するなら、その反動で男性が女性化する。そうやって自然はバランスを取るのだと、算命学は考えています。スウェーデンにグレタが増えるなら、増えた分だけ、どこか別の国では癒し系のオカマが増えるでしょう。つまり、グレタとオカマは表裏一体、同じフェイズの話だというわけです。
 今回の算命学余話は、環境少女グレタ・トゥーンベリの宿命を分析し、既に「環境テロ」という言葉さえ生まれている昨今の環境保護活動の正体について、算命学的観点から読み解いてみたいと思います。
算命学余話 #G59600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G59を購入
土星の裏側
算命学余話 #G59
0
  • 600円
  • 購入

1 / 2

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • 購入
  • 設定

    文字サイズ

    フォント