ラスボスの思想(11)

             情報兵器

 

   私たちは、日々、安定した生活を送っている限り、特に生きているということを考える必要はありません。でも、昨今、新型コロナ感染やワクチン接種副反応と言う言葉が、毎日のように報道される中、「生きる」ということを考えざるを得ないように思えます。生物学的に考えると、酸素を摂取し、生命維持に必要な食物を摂取すれば、私たちは、生きていけるでしょう。

 

 さらに、私たちは、社会的にも生きています。社会的に生きるとは、どのようなことでしょうか? ほとんどの人は、家族生活、学校生活、職場生活、などを送っていることでしょう。これらの生活において大きな役割を果たしているものがあります。それは。五感を通しての情報です。私たちは、生まれた時から、耳、目、鼻、指、口、などを使って、多くの情報を取得しています。

 

 特に、私たちは、家族や学校で言語を徐々に習得するにつれて、言語情報に従って、発言し、また、行動するようになっていきます。次第に、言語情報は、その人の性格や思考を形成していきます。私たちの言語情報の中でも主要な情報は、日常の生活から取得する常識です。この常識は、科学的な要素と宗教的な要素を含んでいることを前述しました。

 常識は、日常生活を送るうえでなくてはならないものです。ということは、常識が私たちの生活と生命に大きくかかわっているということです。すでに述べたように、常識は、科学的な要素と非科学的要素を含んでいます。また、政府の発言が、企業、医療機関、教育機関の言動に大きく作用しています。言い換えれば、政府の発言が、大半の常識を創造しているといえるのです。

 

 ということは、政府によって作られた常識によって、国民の思考や行動が左右されるということです。このことは、すでに、政府政策において何度も実験されています。国民は、政府やメディアが作り出す情報に基づいて、国民は発言したり、行動するという実験データがあるのです。身近な例でいえば、メディアが作り出すファッションの流行がわかりやすいのではないでしょうか。

 

 政府が作り出した常識が国民にとって有益なものであれば、問題ないのですが、非常に不利益な場合は、重大な問題となります。万が一、政府が、常識を悪用したならば、国民はどうなるのでしょうか。もし、政府が、生命にかかわる不正情報を常識として国民に与えたならば、そして、国民がその情報を盲信したならば、国民は、死に瀕することになります。 

 

 国民の言動を左右する情報は、「情報兵器」と言えないでしょうか? 兵器には、核兵器、気象兵器、生物兵器などありますが、情報兵器は、それら以上に破壊力があるように思えます。戦争では、時の政権によって、情報兵器が利用されました。それによって、戦争は正当化され、戦意を高められ、国民はお国のために出兵しました。さらに、終戦間際には、集団自害までさせられました。

 

 私たちは、政府によって与えられた情報に違和感を感じたとしても、次第に洗脳されてしまいます。政府が国民に与える情報は、時には非常に怖いものになるのです。数々の戦争で、政府の情報を信じた兵士たちは、お国のために死をも恐れず、戦地に向かい、犬死していったのです。当時、戦争の無意味さを訴えた学者たちはいました。でも、彼らは、非国民として非難されたのです。

 

 今の世界は、どうなのでしょう。世界中が、コロナパンデミックになり、さらに、ワクチンパスポートが、義務化され始めています。政府が正当化しているコロナワクチン情報は、国民を洗脳しつつあります。科学者たちによる「コロナワクチンは有毒である」との意見は、陰謀論扱いされ、抹殺されています。いずれ、日本の情報社会は政府情報一色に染められてしまうことでしょう。

 

 

 

              命の声

 

 政府の一方的で非科学的な言論は、TVで毎日のように報道されています。TV情報を信じてしまった多くの国民にとっては、それは常識となり、そして、政府の思惑通りの国民の心が作り上げられています。もはや、国民は、自分たちの常識を検証する心も失っています。このままでは、政府を盲信する国民は、コロナワクチンを信仰し、未来を失うことになるでしょう。

 

 現実の生活においては、生きるためのお金が必要です。お金を得るには、働かなければなりません。しかも、高収入を維持するには、公務員や大企業の正社員であることが有利でしょう。また、それらの職業に就くには、一流大学を卒業する必要が出てきます。こう考えれば、政府や企業に従事している人たち、また、大学の学生たちは、保身のため、それら機関の意向に従わざる得なくなります。

 

 そうなると、人は、お金と地位のために生きていることになります。果たして、人はお金と地位のために生きるものなのでしょうか? 現実的に、お金と地位を失えば、名誉も贅沢な生活も失うでしょう。名誉もお金も失うぐらいだったら、死んだほうがましだ、と思う人たちがいるでしょう。でも、名誉とお金を失えば、人は死ぬのでしょうか? 人は、動物です。だから、病気をしない程度の生活環境と食料があれば、人は生存できます。

春日信彦
作家:春日信彦
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