算命学余話 #G53

算命学余話 #G53 (page 1)

 前回の余話#G52では、「自分がこうだと思っていても、他者は全然そう思っていないという事態はよくある」と述べました。勿論、他者もまた同意見であるという事態もよくあります。つまり相反する二通りの事態が同程度に起こり得ることは、人間をやっていれば日々の体験からごく自然に知れることです。それが判らないのはその人が幼稚だからであり、この簡単な道理が判る程度の経験を積んでいないからです。算命学の陰陽論はこのように考えております。手厳しいです。

 例を挙げましょう。無人島の西之島は2013年に火山爆発して以来、今もなお陸地を拡張しています。2013年と言えば、その二年前には東日本大震災に続く放射能汚染により、人が住めなくなったという意味で日本は領土を失ったばかりでした。その思わぬ失地を、二年後の西之島がこれまた思いもかけぬ方法で奪還してくれるという符号について、算命学者は思いを馳せずにはいられませんが、それはさておき、西之島はまだまだやる気のようです。
 一旦収まりかけた噴火活動は2020年に再び大爆発を起こすと、2013年以前の旧西之島は噴出した溶岩によって完全に埋没しました。それまで旧西之島を繁殖地として暮らしてきた稀少種の海鳥たちは、棲み処を失います。もしや噴火で全羽が焼き鳥になってしまったかも。そんな心配をよそに、海鳥たちはしっかり生き延びていました。さすがは鳥です。島が噴火したら、とりあえず上空へ飛んで避難したのです。
 海鳥ですから海水は苦手ではないし、エサは魚。ただ海上で繁殖するわけにはいかないので、陸地は必要です。しかし頼みの新西之島は、面積は広くなったとはいえ未だ溶岩が熱く、とても生物の暮らせる土地ではないと思われました。ところが最新の報告によれば、海鳥たちは溶岩の冷えた僅かな場所を選んで細々と繁殖を開始したことが観察されました。素晴らしい生命力です。このレジリエンスは人間にはありません。飛べるっていいなあ。

 しかしここで着目したいのは海鳥ではありません。地質学者は以下のような発言をしています。
 「従来の学説は、土のない所に生物は棲息できないとしてきた。生物のまだいない原始地球には、まず海底に植物が生え、それが腐敗堆積して土が生まれると、ようやくそれを分解する微生物が生まれ、その分解物や微生物をエサとする動物が生まれ、やがて大型化したと考えられてきた。しかし2013年の噴火で旧西之島は溶岩に覆われ、植物は壊滅した。溶岩はやがて冷えて砕けても、砂にはなるが土にはならない。だからそこに植物は育たないはずなのに、実際には、そこに打ち捨てられた海鳥の雛の死骸と冷えた溶岩の間に、微小の虫が棲息していた。おそらく海鳥にくっついて本土から渡って来たのだろう。その虫も、本土なら土の中に生息し、土を食べるミミズの糞などを栄養源として暮らしているが、ここには土がない。ないにも拘らず、雛の死骸にしがみついて養分を摂っている。これは今までの定説の順番と違い、ひとつ段階をとばしている。つまり定説は、我々の思い込みであったのだ。この世界はもっとずっと多様であり、ただ単に、人間がまだ観察していないもの、遭遇していないものが沢山あることに気付かされた」。
 我々人間は、自分がまだ知らないものを、まるでこの世に存在しないかのように無視しがちです。「自分がこうだと思っていることを、他人もそうだと思いこんでいる」。その思い込みを打ち破る例として、このような地質学の現場の話題を挙げてみました。

 また前回のブログで取り上げた『性と国家』には、チンパンジーの話がありました。
 「チンパンジーは相手の気持ちはわかるんだけど、相手が自分のことを考えているだろうということはわからないそうです。そうすると今、『他人の気持ちになって考えましょう』とか『道徳が重要だ』としか言っていない人は、まだチンパンジーと同じレベルなんですよね。」
 日本の男の多くはチンパンジー並みで、女性の立場になって性やその被害を考えるだけの知能を備えていない、という手厳しい批判でした。日本男性を擁護するつもりはありませんが、女性の中にも「他者から自分がどう見えるか」に思い至らない、自己を客観視できない人は山ほどいると、私は鑑定経験から知っています。勿論日本人以外の外国人も例外ではありません。つまり、「他者から自分がどう見えるか」に思い至る人間は、数からすれば少数派なのです。

 なぜ少数なのかを考えるに、算命学は一つの説を提示しています。それは「名誉」という概念の有無です。日常レベルでは「人目を気にする」でもいい。五行に対応する五徳は福寿禄官印の順番に巡るものですが、名誉はこのうちの官に当たり、順番としては禄の後です。
 既に以前の余話で述べたように、福寿禄を堂々巡りする人は、動物の域を出ていません。人間が動物のレベルから脱するには、自己を客観視できる視点を備えなければならず、それが名誉や人目、美意識を気にする性質へと繋がるのです。そしてその先には印すなわち英知がある。ただ名誉欲だけあってもダメで、そこには正当な理由がなければならない。その正当性は、英知の領域にあるのです。

 折しも最近ブログで紹介した、みうらじゅんとリリー・フランキーの対談本には、「知識とは悩みを解消するために役立てる道具なのであって、ただ記憶力がいいというだけで蓄えられた薄っぺらな知識などは役に立たない。クイズ王などがイマイチ利口に見えないのはそのせいだ」といった話が聞かれました。この種の薄い知識を山ほど取り込めば自分が賢くなると勘違いして得意満面な人は、傍から見たその「カッコ悪さ」に気付いていないので、チンパンジー並みの知能の持ち主ということになるのでしょう。
 算命学は、既に数千年前にこの厳しい真実を看破し、時代を超えて我々に突き付けてきました。今回の余話は、そんな算命学の厳しい人間観察がよく判る例として、天貴星中殺を取り上げます。天貴星中殺をお持ちの方にはキツイ内容になりますが、改善法もありますので、直したい方はご覧下さい。なお天貴星については、『算命学余話#R95』を参照下さい。
土星の裏側
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