算命学余話 #G42

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算命学余話 #G42 (page 1)

 前回の余話#G41では、「依頼人を一時的に満足させるための鑑定よりも、根本的・持続的な幸福を目指す鑑定を優先すべきだ」という私見を述べました。物事の根本的な解決をしないと事態が堂々巡りするだけで何も前に進まない、という意識が私は強いので、こういう方針で鑑定に臨んでいます。社会全体の向上のためにもその方がいいと考えています。
 しかし算命学に限らず、占いを生業としている人の多くは、依頼人の目下の不満を解消するための作業を優先しているようです。その方が相手もその場で満足できて感謝してくれるし、占い師の評判も上がって稼ぎも増えるからです。占い師が実質的にやっていることは人生カウンセリングなのだから、依頼人に不満のガス抜きをさせてやることこそが重要で、看板である占い技術は補助的なものだと言うのです。

 かく言う私も、占いはカウンセリングだとの意見には賛成です。特に膨大な家系論を誇る算命学では、家系を気にしないで生きる現代人のカウンセリングに駆使すべき技法などごく基礎的なものだけで足りるので、難しい鑑定技法の習熟よりもむしろ依頼人の現況を正しく把握し、適切な処置法を提示することの方が優先課題だとは思っています。しかしだからといって依頼人の「一時的な満足」や「堂々巡り」を目指してはいないので、ガス抜き目的の仕事はしていません。そのため「ガス抜き」目的のお客さんを門前払いしてしまうこともしばしばです。
 こういう占い師は儲かりませんが、「返し」は避けられます(『算命学余話#R56』参照)。何より、「ガス抜き」目的ではない依頼人と信頼関係を築くことができます。依頼人が数年後にリピーターとなって再訪してくれたり、『算命学余話』の購読者となって自己解決できる方向へと自分を鍛えてくれるのは、鑑定者としても嬉しいですし、こういう依頼人が一人でも増えることで、「堂々巡り」する人間が減って新鮮な気の流れる健全な人間社会に寄与できると自負しています。まあ占い師にも自分自身の宿命と人生がありますから、占い師それぞれの目指すところが違っていても構いません。占い師自身の宿命消化に見合った仕事をすればいいと思います。

 一次的なガス抜きではなく根本的な解決策をお望みの依頼人全般へのアドバイスとしては、もし可能であるのなら、自分と境遇の近い鑑定師を選んで相談することです。
 先日、30代の元暴走族の落語家が20代の高学歴ニートたちに人生訓を垂れるといった趣向の番組を見たのですが、ニートらが納得するシーンはひとつも見受けられませんでした。当然です。ニートとはいえ高学歴の人間の悩みは、元暴走族から落語家になった人間の悩みとはかぶる所がないからです。境遇が違い過ぎる。だから助言は参考にならないのです。せめて助言する側の年齢が嵩んでいて人生経験値の高さに強みがあったならば、境遇がかぶっていなくともその助言は普遍的且つ有効なものになり得ますが、30代の、暴走族と落語家しか経験していないような特殊な人の成功譚を披露しても、余人の共感を得るのは困難です。

 高学歴の人の相談相手は、同じく高学歴であること、そしてその高学歴を活かせず大きな挫折を経験した人である方が有効です。境遇の近い人の方が、事情がよく呑み込めるからです。そしてその相談相手が占い師であったなら、解決策は更に見つけやすくなると考えられます。占い技術は、一般的な人生経験とは違った角度から人生を読み込むものだからです。
 占いに限らず人生相談の有効性は、結局こういうところに色濃く出るのです。そういう意味で、経歴のよく判らない若手の占い師に相談を持ち込むよりは、人生経験豊富な壮年・老年の一般人を当たった方が、有効策を授けてくれる可能性は高いかもしれません。挫折から立ち直る方法を探りたいのなら、実際に挫折して立ち直った経験の持ち主に相談するのが一番手っ取り早い。餅は餅屋です。

 さて今回のテーマは、十二大従星天中殺の続きで天印星中殺を考えます。
 宿命の、特に陽占は、星がかぶっている者同士の方が共感しやすいのですが、それは天中殺に関してもそうだし、位相法でもそうだし、その他技法も総じてそういうことが言えます。しかし、星や星並びがかぶっているからといって同じ人生を歩むわけはありません。生年月日が同じ人でさえ人生は異なった道のりを歩むのですから、当然のことです。
 星がかぶっている相手とは、例えるなら上述の「境遇の近い人」です。実際は境遇が近いのではなく、物の見方や物事の優先順位、対処法等が近いのですが、こういう相手は共感しやすく、もし経験値が高ければその助言は更に有効度が上がります。例えば、今回のテーマで言うならば、天印星中殺を持つ者同士は共感しやすく、持っていない人とはなかなか判り合えないし、気も合わないし、助言もトンチンカンになりがちだ、ということです。

 陽占における星の数は8つです。このうち星がひとつもかぶらない相手もいれば、三つも四つもかぶっている相手もいる。だから人間の物の見方は人それぞれに分かれ、同じ助言であってもこっちの人には有効で、あっちの人にはトンチンカンになるのです。しかし間違えてはいけないのは、星がかぶっている人だからといって味方になるとは限らないし、星がひとつもかぶらない人だからといって交渉不能とは限らないということです。
 事実、私の旧い友人は私の宿命とひとつも星がかぶっていません。こんなに遠い星の人なのに、どうしてケンカもせず交友が続くのでしょうか。勿論そこには、後天運も含めて、私の宿命の持つ特徴と友人の宿命の持つ特徴とが引き起こす化学反応と、我々自身の生き方自体が引き起こす何らかの作用があるわけですが、今後の算命学研究のテーマになりそうなくらい複雑な読み込みが必要なので、ここでは突き詰めません。要は、星のかぶらない相手だからといって敬遠するのは損になるし、星のかぶっている相手だから共感してくれるはずだと安心するのは早計だということです。なぜなら、星がかぶっていてもその星が輝いていない場合には、星は共鳴しないからです。
 というわけで、天印星中殺を持つ者同士は基本的に共感するはずですが、星が輝いていない場合にはその限りではない、ということを理解した上で以下へお進み下さい。
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