さやかとアンナ


月曜日は特に混む(暑い日はキモイ)。

バスに乗り込むまでに下着が汗をかいている。

香水の匂いが鼻につく。

動物性の香水を撒き散らしている幼顔の女学生。

拓也にくっつくように立っている。

拓也はこの子がお嬢様大学の学生でないことを願っては見たが、

どこかで見たような顔。

きつい匂いが拓也の鼻を突き刺す。


拓也は目を閉じて、絵本のことを考える。

停車と同時に目を開けると、女学生に囲まれたドクター。

眉間にしわを寄せ、空を眺めて立っている。

彼の目はすばやく拓也を発見したらしい。

バスに駆け上がると、女学生たちが道をあけてあげたかのように、

難なく拓也の左隣に現れる。


「先週は、さやかに頼まれた患者のことで、休ませてもらったよ」

「姫野さやかさんですか?」拓也は顔をしかめる。

「はい。患者のことだけど、かなり重症でね。

まだまだ、治療を続ける必要がある」

「患者は暴れたりするかい?」

「いや、いたっておとなしいものさ。暴れる患者もたまにはいるけどさ」

ドクターは普段見せることのない笑顔を見せる。

「悪いけど、医学のことはわからないよ」

「わかりやすく、いずれ話しましょう。さやかのこともあるから」

なぜか、今日のドクターの口調は優しい。


校門前にバスが止まると、ドクターはいつものように、

忘れ物でも取りに行くように足早に駆けていく。

きつい香水の匂い。あの子!少し残念(顔はプりティなのに)


拓也は研究室の椅子に座りドクターの話を思い出していると、

映画を見るように昨夜のことが鮮明に脳裏に現れる。

昨夜8時10分ころ、突然、さやかからの電話。

拓也はミーシャを抱っこして、大好きな日曜ミステリー劇場を見ていた。

拓也のマンションの右斜め向かいにある

喫茶チェリータイムにいるから、会いたいという。

拓也は即座に断ろうと思ったが、この際はっきりさせたく会うことにした。


さやかはいつものジーパン姿で隅の席で窓に視線を向けていた。

入り口で切り出す言葉を反すうし、ゆっくりと正面の席に座った

(今日こそはガツンと言ってやる)。

「ありがとうございます。信じていました」

拓也には理解できない幸福感に満ちたさやかの笑顔が、

拓也の心を包み込んだ。


「あ!」拓也は言葉を失った(頭、真っ白)。

「是非、見てほしいものがあるんです」

さやかは懇願するように、不思議な笑顔を近づけてきた。

すでに拓也の心はさやかに支配され、

拓也はさやかに対して何を断ればいいのか、まったくわからなくなっていた。


さやかは、ここでは見せられないと顔を少し赤らめ、

恥ずかしそうに拓也を部屋に誘った。



拓也はガラスのように透き通ったさやかの白い肌を何度も

目で味わっていると、18階建てのマンションの玄関に立っていた。

エレベーターで8階まで上がると、さやかは降りて左手の803号と

表示されたダークブラウンのドアを開けた。

さやかが入った後、拓也は少し間をおいて入ると、

そこには学生時代を思い出させるような淡く、甘い少女の香り。


きれいに片付けられたキッチンのテーブルの中央には、

20センチほどのプーさん。

ちょこんと小さな椅子に腰掛け、ニコニコ顔。


廊下の左手に部屋が一つ。右手に二つ。

キッチンの窓は南向き。右手の部屋のドアは開けっ放し。

中を覗くと、赤いバラの絵柄の大きなベッド、

そのベッドの枕元に50センチほどのベビー服を着たプーさん。

ベッドの左手に白のサイドボード。

部屋の中央にグリーンの座椅子が二つ、

その上に2枚のDVD(目がキョロキョロ)。


キッチンの右真横の部屋を少し興味ありげに覗いていると、

「こちらへどうぞ」とさやかは花柄のソファーに拓也を案内した。

部屋の隅々に目をやってみたが、

女性の部屋にしては飾り気のない清楚な部屋。


目についたのは、二人で写った写真。

タンス、テレビ、サイドボード、窓の横の壁、

いたるところに二人で写った写真。

左手には赤いサイドボード。

その左横には女性雑誌が飛び出さんばかりのマガジンラック。

その赤いサイドボードの左側上段にはノートPC,

中央にテレビ、右側三段に区切られた棚には、

推理小説と思われる本が200冊以上。


正面の二人用のソファーの上には分厚いゲーム雑誌。

表紙には美男子ロボ・スーパーキングⅢの横顔。

雑誌の横には80センチほどのピンクのスカートをはいたプーさん。


軽い気持ちでさやかに従ってきた拓也。

二人っきりになったことを拓也は後悔する。



「君と一緒に写っているのは、友達の看護師かい?」何気なく拓也は聞く。

「看護師ではないけど、一緒に住んでる子よ。アンナというの。

かわいいでしょう。今度紹介するわね。まだ23歳よ。

どうぞ、今年開発されたコーヒーです」

さやかはプレートに乗せ運んできたコーヒーをテーブルの上に置く。

拓也は香ばしい香りをかいでほっとする。


「君の友達は、ゲームマニアみたいだね」

「ああ、それ。まあそんなところね」

さやかはソファーの上の雑誌を一瞥すると、

どうでもいいような返事をする。

「もういいだろう。見せてくれないか。

君の同僚が帰ってくるんじゃないのか?」

しだいに、苛立ちが高まってくる。

「アンナはいつも2時過ぎなの。心配なさらないで。

先生は結構有名でいらっしゃるんですね。ドクターに聞きましたわ」

「僕のことはいいから、早く見せてくれないか!」

「先生ってせっかちなのね」

さやかは子どもっぽい笑みを浮かべる。


拓也がコーヒーに口をつけると、さやかは何かを取りにいくかのように、

隣の部屋に消えた。

5分ほどすると、さやかはパールホワイトのフレアスカートに

脇の下が大きくカットされたオレンジ色のノースリーブブラウス姿で現れると、

モデルのようにくるっと一回転(シンデレラモードのさやか)。


「先生暑くありませんか?」

さやかは脚を傾げて拓也の正面に座る。

「いや」

「エアコンの効きが悪いの」

「何度も言うようだけど、いい加減に見せてくれないか?

困るよ。僕は独身なんだ。この年になっても男だからね」

拓也の視線は、さやかの白い脚に釘付け。

エッチモードの拓也。


「先生は思った通りの人でしたわ」

「どのようにかね」拓也の声が破裂する。

「私をしっかり見つめてくれる人です」

「冗談はよせ!もう帰る」

拓也は一気に立ち上がる。

「先生、見せたいものが!自分で言うのもなんですが、

自信作なんです」

さやかの強い口調は、拓也の動きを止めた。

「だから、早く見せてくれよ」

「約束してくれます?見るだけで決して触らないって」

「ああ、神に誓って約束するよ。早く見せてくれ。

見たらすぐに帰るから。どこなんだい、見せたいって物は?」



しばらく、さやかは黙っている。

「今からお見せします。私の裸です!」

さやかは、すっと立ち上がる。

「君は、僕をからかっているのか!」

「いいえ、私のお願いなんです」

「君はどうかしてるよ。今夜のことは忘れるから、

僕と会うのは今夜限りにしてくれ」


「なぜ見つめてくれないんですか?先生を信じているのに」

「何を、どのように、信じているのかね」

「先生が私を救ってくれることをです」

「自分で言うのは何だが、僕は学会でも品行方正で通っている。

万が一、このようなことが外部にでも漏れたら、大変なことになる。

どうして僕を苦しめるようなことを言うのかね」


「決してこのことは誰にも話しません。心から好きなんです。

とても、先生のことが」

「それじゃ、僕を彼氏にしたいのか?」

「それとは別です。お願いを聞いてほしいだけです」

さやかは説得するように、ゆっくりとした口調で言う。


「ドクターにもお願いしたのか?」

「はい、ドクターは快く見つめてくれました」

さやかの不思議な笑顔。

「まあ、彼は医者だからな。患者を診るのは当然だろう。

だが、僕は違う。ただの男に過ぎない。

もう、こういう話はよそう。失礼!」


「私を見捨てるんですね!」

さやかは怒ったような声を張り上げる。

「見たからってどうなるんだ」

「救ってほしいんです!」

「女好きの、ただの男なんだぞ。わからん、まったく、わからん」

「ただ、じっと見つめてほしいんです。お願いします」


「何のために!僕に・・・僕に恨みでもあるのか!

君の願いは理解できん」

「お願いです。先生。信じてます。お願いです!お願いです!」


ややかの異常な視線は、拓也の呼吸までも止めてしまった。

反数学的空間に浮いている拓也。

方向も、時間も、重力も、権力もない「さやかの愛」

さやかは魔女?



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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