美女ロボ運転手を横目で時々見てはスヌーピーを読む。
鼻でクスクス笑っていると、学園都市の南端にある
大学所有の15階建てのGLマンションⅠにつく。
拓也は5年前からここの1010号室を与えられている。
いつも、「ただいま!」とドアを開けると「オカエリ」と迎えてくれる
ミーシャのカワユイ声。
唯一、拓也の心を癒してくれるのは、ナポレオン・ブランデー。
それは、特に芳香性の高い人口ブランデー。
保温ケースからグリーンのブランデーグラスを取り出す。
ナポレオンを三分の一ほど注ぐ。自家製香水の出来上がり。
デリシャス!デリシャス!
一人暮らしのため寂しい毎日。変化のない生活。
まず、世界の時事ニュースを衛星テレビで確認。
7時30分、デリバリーセンターから食事が届く。
食事を済ませ、健康のためミーシャを抱っこして
イリュージョン通りを10分ほど散歩する。
書斎に戻ると、世界数学者学会のホームページをざっと見る。
次に、ナポレオンの香りで5分間の瞑想。
気分が落ち着くと、二ヶ月前、ヘロン出版社から依頼された
幼児向けの絵本「女神からの不思議なプレゼント!」を2時間ほど書く。
たまに、寝る前に娘からもらった英語版「テニスの王子様」を読む。
マンション前のイリュージョン通りはちょっとした名所。
通りの両サイドに、それぞれ等間隔に151本の街灯が立っている。
この街灯が愉快!曜日によって街灯の色が変わる。
日曜日はライトブルー、月曜日はオレンジ、火曜日はピンク、
水曜日はホワイト、木曜日はライトブラウン、金曜日はエメラルドグリーン、
土曜日はワインレッド、と一週間を楽しませてくれる。
いつものように、拓也はペンを右手に目を閉じて、
絵本に登場する「数と記号」の妖精たちをイメージしていると、
突然、脳裏に現れたドクターとさやかが、妖精たちを押しのけた。
ことしの5月、初めて拓也はさやかと出会った。
大学に彼女がドクターを訪ねて来たときのこと。
それから5日後、大学の近くにある喫茶ピーチウイスパーで、
さやかから初めての相談を受けた。
こんなところで会えば、ドクターに気づかれるのは時間の問題。
もちろん、拓也から誘ったわけではない。
さやかがこの場所を指定した。
二人で会って3日後には、拓也が彼女と会っていたことを
ドクターからほのめかされた。
拓也は即座に弁解したが、彼は別段気にするわけでもなく、
さらりと話をそらした。
もし、さやかがドクターの恋人であれば顔色が変わるはず。
だが、特に動揺した表情は見せなかった。
彼女の話からするとあまりにも不可解!
さやかはドクターの恋人なのか?
単なる看護師なのか?
なぜ、今頃ドクターを大学まで訪ねてきたのか?
拓也が知っているドクターは、精神科医としての一面だけ。
二人の付き合いは2年ほどになるが、個人的なことはお互い話さない。
ドクターはマスコミでも取り上げられるほど優秀な精神科医。
心理学者としても有名。
彼の論文は世界的に高く評価されており、画期的な見解らしい。
彼が書いた「心理学と精神医学」というかなり専門的な本を、
拓也は気が進まなかったが時間つぶしに一ヶ月かけて目を通した。
拓也の感想は・・・
ドクターの理論はさっぱりわからない。
患者の精神分析についての具体的記述は、まあまあ面白かった。
拓也はドクターについてもっと知りたい。
だが、あまりにも偉い人に思えて避けている。
ともあれ、拓也とドクターの付き合いも今年まで。
彼は来年からニューヨークのライプニッツ大学で教鞭をとる。
大学にとっては大きな痛手。
さやかのことだが、さやかの話は美化されたドクター、自分の欠点、
とりとめのない恋愛についての話ばかり。
そんなことを拓也に話していったいどうなる。
拓也には、さやかの気持ちがさっぱりつかめない。
ドクターと結婚したいのであれば、「ドクターとの仲を取り持ってほしいんです」と
言えば、それで一件落着。
8年もつき合っていて結婚しないほうが不自然。
だが、さやかは結婚のことは一切触れない。
拓也にとってさやかの心は迷路。
二
6月24日(火)、拓也とさやかが会う約束の日。
拓也は約束の時間よりもだいたい20分早く、
ピーチウイスパーのいつもの席で彼女を待つ。
いつの間にか、拓也は彼女の話し相手にさせられていた。
合う時刻に関しては、拓也の都合もあり拓也が指定する。
さやかは、いつものように2時5分にやってくるはず。
さやかと会う前の不思議な「時間と空間」は、拓也が今までに
経験したことがないもの(時間が止まったような、心地よい気分)。
拓也はさやかを好きと思ったこともなければ、恋人にしたいとも思っていない。
ただ、拓也はさやかの女学生にない清潔感と透明感に惹かれている。
約束の時間より5分経つ。この時間がさやかの時間。
いつものように、ガラス窓の向こうに不思議な微笑が現れた。
拓也はさやかを待っているときの不思議な快感を捨てたくない、
また、さやかを嫌っているわけでもない。
だが、これ以上話を聞いても、どうすることもできないことを告げることにした。
彼女が席に着くと多少の躊躇はあったが、
「悪いけど、会うのは今回が最後にしてほしい」と切り出す
(やっと言えた、気が弱い僕)。
「え!」さやかはしばらくしていつもの口調で話し始めた。
「どのように話していいのか・・・・わたしはドクターを尊敬しています。
それ以上に”命”を支えてくれる人です。ずっと、甘えていたいんです」
「わかった、結婚したいんだな」拓也は父親の口調。
「いいえ」さやかは即座に答えた。
「僕には君ら二人の関係は理解できん。
それじゃ、君と会うのは今日までということで」
「待ってください、先生!まだお話したいことが。
ところで、先生はどのような女性がお好きですか?」
「急に話を変えられちゃ困るよ」
「大切なことですから」さやかは、少し強い口調。
拓也はしばらく黙っていた。このまま無言で帰ってしまおうかと思ったが、
口が勝手に返事をしてしまった。
「そうね、やっぱり色っぽくて、和服が似合う女性ですかね」
「そうですよね。今は、奥さんとの関係はどうなんですか?」
「再婚しているよ。離婚してからは、一度も会っていない」
拓也は隠すこともないと思い事実を答えた。
「先生は再婚なされますか?」
「いや~、運命に任せることにしているけど」
拓也は深く考えずに答えてしまった。
拓也はいつの間にかさやかの誘導尋問を受けていた。
彼女への気持ちが振り出しに戻ってしまった。
「ドクターのことなんだが、彼は女嫌いなのかもしれないな。
37歳にもなって、いまだ独身だ。冷たいようだが、
彼のことはあきらめたまえ。あなたなら、きっといい男性と出会えるから」
拓也は突然、思いもかけないことを言ってしまった。
彼女のために言ったのか、自分のために言ったのか、
少し顔がほてってきた(もてるドクターをねたんでいるのか?)
「離れられないんです。ドクターに甘えていたいんです」
「しかし、結婚する気はないと言ったばかりじゃないか。
君はどうかしているよ。失礼だが、ドクター以外に彼氏はいないのかね」
拓也は話し終えるとすばやく周りを見渡す。
荒立った声を聞かれたくなかった。
運良く、この時間は客も少なく、隅の席だったのを幸せに思った。
「彼氏はいます。結婚は考えてはいません。できないんです」
「もうよそう、僕は数学者だ。ドクターのような精神科医でもなければ、
心理学者でもない。僕はどうかしていた。
君の相談に乗ってやっているつもりになって、いい気分になっていた。
浅はかだった。それじゃ」
「待ってください、先生。まだ、お話したいことが」
「今言ったように、僕に相談しても無駄だ。
いや、もうこれ以上会わないほうがいい。変に思われる。
君は、恋人でもなければ愛人でもない」
「はい!私も・・・・先生・・・これからは、別のところでお会いしましょう」
「だからだね!君!」
「おっしゃりたいことは・・・」
「これ以上、僕に何をしろと言うのかね」
「時間だわ、先生。お電話番号、教えていただけますか?」
また、さやかに麻酔薬のような「魔法の言葉」をかけられてしまった(つくづく情けない)
三
月曜日は特に混む(暑い日はキモイ)。
バスに乗り込むまでに下着が汗をかいている。
香水の匂いが鼻につく。
動物性の香水を撒き散らしている幼顔の女学生。
拓也にくっつくように立っている。
拓也はこの子がお嬢様大学の学生でないことを願っては見たが、
どこかで見たような顔。
きつい匂いが拓也の鼻を突き刺す。
拓也は目を閉じて、絵本のことを考える。
停車と同時に目を開けると、女学生に囲まれたドクター。
眉間にしわを寄せ、空を眺めて立っている。
彼の目はすばやく拓也を発見したらしい。
バスに駆け上がると、女学生たちが道をあけてあげたかのように、
難なく拓也の左隣に現れる。
「先週は、さやかに頼まれた患者のことで、休ませてもらったよ」
「姫野さやかさんですか?」拓也は顔をしかめる。
「はい。患者のことだけど、かなり重症でね。
まだまだ、治療を続ける必要がある」
「患者は暴れたりするかい?」
「いや、いたっておとなしいものさ。暴れる患者もたまにはいるけどさ」
ドクターは普段見せることのない笑顔を見せる。
「悪いけど、医学のことはわからないよ」
「わかりやすく、いずれ話しましょう。さやかのこともあるから」
なぜか、今日のドクターの口調は優しい。
校門前にバスが止まると、ドクターはいつものように、
忘れ物でも取りに行くように足早に駆けていく。
きつい香水の匂い。あの子!少し残念(顔はプりティなのに)
拓也は研究室の椅子に座りドクターの話を思い出していると、
映画を見るように昨夜のことが鮮明に脳裏に現れる。
昨夜8時10分ころ、突然、さやかからの電話。
拓也はミーシャを抱っこして、大好きな日曜ミステリー劇場を見ていた。
拓也のマンションの右斜め向かいにある
喫茶チェリータイムにいるから、会いたいという。
拓也は即座に断ろうと思ったが、この際はっきりさせたく会うことにした。
さやかはいつものジーパン姿で隅の席で窓に視線を向けていた。
入り口で切り出す言葉を反すうし、ゆっくりと正面の席に座った
(今日こそはガツンと言ってやる)。
「ありがとうございます。信じていました」
拓也には理解できない幸福感に満ちたさやかの笑顔が、
拓也の心を包み込んだ。
「あ!」拓也は言葉を失った(頭、真っ白)。
「是非、見てほしいものがあるんです」
さやかは懇願するように、不思議な笑顔を近づけてきた。
すでに拓也の心はさやかに支配され、
拓也はさやかに対して何を断ればいいのか、まったくわからなくなっていた。
さやかは、ここでは見せられないと顔を少し赤らめ、
恥ずかしそうに拓也を部屋に誘った。