算命学余話 #G28

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算命学余話 #G28 (page 1)

 人間には人種を問わず、ストレスや無理のない自然な状態というものがあります。安定した状態と言い換えてもいいでしょう。そしてそれは人間が生まれながらに持っているデフォルト状態或いは情報であり、生物としての人類の普遍的な幸福に集約されるものですが、科学的には脳波や脳内分泌物質によって計測可能となっています。
 しかしながら、幸福の条件は国や民族によって必ずしも一致しません。道徳的価値観や経済観念などは生まれ育った環境によって醸成されますし、同じ地域であっても時代によって価値基準は変遷します。同時代の同地域の住民であっても、成育環境が違えば幸福の条件は異なってくるでしょう。そうした個別の差異を取っ払って枝葉をそぎ落とし、最終的に残った幹の部分を抽出した時、人類共通の普遍的安定状態というのが見えてきます。それは一番無理のない状態であり、最も居心地の良い状態であり、そのため変化を必要としない状態であり、当然拒絶反応もない状態です。仮にこれを第一状態としましょう。

 残念なことにこの第一状態は理想であって、現実にはそう長くは続きません。生まれてから死ぬまで安逸でいられる人生は随分恵まれている、というよりいくらも存在しないのです。人は生まれ落ちた瞬間から、環境への適応を余儀なくされる。つまり日々自己変化を強いられるものなのです。生きるためには自分自身を変えていかなければならない。適応していかなければならない。自然環境への適応然り、対人関係への適応然り、社会生活への適応然り。人間の人生とは、実際には生まれた時のデフォルトである第一状態よりもこの適応状態である時間がほとんどです。これを第二状態としておきましょう。

 さて次は、この適応ができない場合です。自分を周囲に合わせられない。合わせることを拒絶している状態です。しかし寒暖などの自然環境に適応できなければ人間は死にますし、病原に対する抗体が作れなければやはり死にます。社会生活に順応できなければ自活できず飢え死にするでしょうし、全ての対人関係に失敗すれば、集団から制裁や孤立を強いられて、やはり死を早めるでしょう。こうした適応不能の状態を拒絶状態または崩壊状態、順番としては第三状態としておきます。
 人間の状態は以上の三通りの状態に分けられるといいます。「ありのままの自然の状態」、「自分を変えて環境に適応した状態」、「自分を変えられずに適応を拒絶した状態」。言葉を変えれば「ストレスフリー」「ストレス克服」「ストレス死または自己崩壊」です。

 現代の科学によれば、ストレスフリーの第一状態というのは確かにどの人間も「知って」いて、脳の原初的な部分に予めインプットされているそうです。時代や場所を超越した根源的な安逸が何であるかを、我々は無意識に知っている。その状態にある時、人間はごく自然に幸福の脳波や脳内物質を出すようにできていて、それを現代科学は観測できるというわけです。
 従って、人類がその歴史の中で積み重ねてきた後付けの価値観、例えば宗教的価値基準や経済的な豊かさ、教育や思想による規範、子孫繁栄、社会的地位や名誉といったものは、人間本来が持つストレスフリーの基準からすれば変動的で、あやふやなものだということになります。同時代の人間にとってさえ異なる価値基準が、人類普遍の価値基準であるはずがないからです。

 そうは言っても、人間は生まれた場所と時代というものがまちまちで、当然ながら自分が属する環境及び価値基準に合わせて生きていかなければなりません。目の前には刻々と進む実生活がありますから、適応しないわけにはいかないのです。わがままが通じるのは幼児期くらいのもので、いい歳した大人が社会に適応できないというのでは、その幼児性を糾弾されても仕方ないでしょう。糾弾されて村八分にならないためにも、大人は子供を環境に適応できるよう育てなければならないのです。こう考えれば、近代以降の産物である学歴教育などは、時代を超えた普遍的価値基準に必ずしも即しているとは言えないことが判ります。50年後には全く価値のないものになり下がっている兆しは、既に見えています。

 第二状態である環境適応ができない場合、人間は崩壊していきます。まず精神が崩壊し、それによって肉体と実生活も崩壊する。最終的には第三状態である死、アポトーシスという形になります。
 第一状態は人間の脳の基礎部分にしっかり埋め込まれているのでブレることはありませんが、第二状態で行われる変革はその時の環境に左右されるので、かなりフレキシブルです。環境に適応するために多大な努力が必要な場合もあれば、ちょっとした工夫だけで足りる場合もある。慣れない食べ物を食べる時、あまりの苦さに息を止めて呑み込むこともあれば、味噌やカレーなど強い風味を混ぜてうやむやに食することもできる。適応の仕方は人それぞれです。
 そして第三状態となると、もうどうあっても適応できない万策尽きた状態なので、残された道は拒絶しかありません。拒絶して生きていけるものなら避けて歩けば済みますが、生命活動に関わるとなるともう死ぬしかない。物理的生命活動の拒絶から、精神的活動の拒絶まで、行きつく先は死ということになります。そこには自死も入ります。

 以前、人間の死というものは概ね自死である話を引用したことがあります。人間の死因は事故や他殺を除くと、老衰は細胞のアポトーシスであるし、ガンなどの病死もそうだし、自殺はずばり自死である。つまり人間とは、いずれは棲息環境であるこの世に適応しきれなくなって環境を拒絶・断交し、自己崩壊を起こして分解されていくものだというわけです。
 以上は現代科学が到達している人間観ですが、こうした人間の在り様を算命学はどのように考えているでしょうか。
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